Jyu Horiuchi Ballet Project  

バレエダンサー・振付家  堀内 充の公演活動報告

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堀内 充の時事放談

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【 p r o f i l e 】

幼少より双子の兄(堀内 元)とともに両親のバレエスタジオでバレエを始める。

1981年モスクワ国際バレエコンクール銅賞、1983年ローザンヌ国際バレエコンクール・ローザンヌ賞を受賞し、ニューヨーク・スクール・オブ・アメリカンバレエに3年間留学。

帰国後舞踊活動を開始する。青山劇場バレエフェスティバル、新国立劇場バレエ団、東京シティバレエ団、日本バレエ協会、東京バレエグループ、佐多達枝バレエ公演など多くのバレエ公演に出演し、また南米やフランスやサンフランシスコ、韓国、中国上海、札幌のダンスフェスティバルにも招かれている。現在、振付活動として「堀内充バレエプロジェクト」を展開している。

1994年グローバル森下洋子・清水哲太郎賞受賞。

バレエダンサー・振付家として、また大阪芸術大学教授、母校の玉川大学芸術学部非常勤講師、京都バレエ専門学校講師、日本音楽高校特別講師、新国立劇場研修事業委員(舞踊)、バレエスタジオHORIUCHIのバレエマスターを務め、後進の指導にもあたる。

◆2017年 6月

 今年の「堀内充バレエコレクション2017」公演を無事に終えた。新旧作品5作品をラインナップし、観客の皆さまにもお楽しみいただけたのではないかと振り返っている。
今回の出演する8割近いダンサーたちがすでに堀内作品キャリアとなり、公演リハーサルも終えたあとも、ダンサーたちは自主的に振付再確認にも余念がなく、お互い指摘し合いそれが毎回積み重ねて踊り込まれていく様子がうれしかった。「あれだけの人数を統率するのも大変だったでしょう」と労いの言葉をいただいたが、出演者自らがこのように作品向上のために行動してくれたからこそで、彼女ら彼らたちに感謝している。
 現存するバレエ団に比べハンディキャップは多いが、5年間続けて上演し、公演後もチャコットWebマガジン、月刊ダンスマガジン、週刊オンステージ新聞、WebサイトThe dance  Times にそれぞれ舞踊評論家の方々が公演評を載せていただき、また個人的にも便りやメールでも観賞記を寄せていただいたことはバレエ公演として存在を認められた証しにもつながり、頑張ってくれたダンサーたちもこの公演でさまざまな各界の方々に目を触れてもらえることが励みにもなってもらえたらと願っている。



◆2017年 5月

 ゴールデンウィークが過ぎてしまった。バレエ界は各地でコンクールが開かれ賑やかになる。東の横浜コンクール、西の神戸コンクール(いずれも略称)と日本を代表するお洒落な港町で若者たちの熱い踊りが繰り広げられる。私も横浜コンクールで第1回から16年連続で審査員を担当させていただいているが、近年の出場者のレベルアップに目を細めている。今年の大会もダンサーひとりひとりの熱演をしっかり見届けようと熱視線を送るあまり、終わるとクッタクタになるほど。
でもその昔、自分も出場する側にいた時に温かい視線で見守って下さった当時の日本バレエ協会会長服部智恵子先生の笑顔が忘れられない。ロシア人のハーフバレリーナであった服部智恵子先生はそれが縁でその後も私の公演にもかけつけて下さり、励ましのお手紙までいただいた。30年以上たった今もその時のカードは部屋に飾ってありあの頃の感謝の気持ちを忘れずに毎回審査させていただいている。

 5月公演が間近に迫ってきた。中旬から通し稽古が始まり、大切なリハーサルである舞台監督、照明・音響合わせも続いている。リハーサルの中でもスタッフに下見してもらうこの時を目指して逆算して稽古を組み立てているといっても過言ではない。私もこれまでに、ミュージカルやオペラなどさまざまな舞台に出演させていただいたが、普段の稽古からスタッフが帯同するそれらの公演などと違い、バレエは極端にスタッフと一緒に稽古を行うことが少ない。でもこの瞬間が私は好きだ。さまざなひとたちとひとつの舞台づくりに関わっている実感があり、こどもの頃父親の仕事現場をいつもスタジオの隅っこで眺め、それが大人の世界に映りやがて憧れとなっていったからである。今年もこのリハーサルを契機に出演者が一丸となって本番に向かって突き進んでいきたいと望んでいる。

 振付の最中でも舞台づくりに関わる実感はあるが、やはり振付家として他のジャンルの芸術家の活動も励みになる。美術家の展覧会がそれだ。同じ芸術家としてどのようなイメージで、テクニックで、そして思想 を持って描くのか興味深く、ニューヨークに留学していた頃MOMA(ニューヨーク現代美術館)にバレエ学校帰りにしょっちゅう足を運んでいた。まだ19歳で振付もしたことはなかったのだが、ジョージ・バランシンがディアギレフ・バレエリュス(ロシアバレエの意)からの潮流でマティス、ピカソなどとコラボレーションを盛んに行っていたため、自分もそれについて興味を持ったからである。ただ大学で講義を受けたわけでもなく、30年近くも前で当時日本語ガイドなどあるはずもなく、不勉強もあり毎回同じ絵を見ながら「うーん、何なんだ…」とじっと見つめていることが多かったのだが(今思うと笑えるが)、なにぶんここはニューヨーク、本物の絵を目の当たりにし、その場にいる瞬間だけでも貴重であった。
 そんなわけで今でも美術館にも通うのが好きなのだが、今や日本にはたくさん舶来ものの美術展が開かれるようになり、この春も多くの展示があり、なかでも国立新美術館のミュシャ展はど肝を抜かれた。アールヌーボーを代表する芸術家アルフォンス・ミュシャだが、パリで活躍したのち、50歳を越えてから故郷のチェコに戻ってからスラブ叙事詩を主題にした絵が今回の展覧会のメインだが、その縦6メートル横8メートルほどの巨大な絵が20点も飾られているのである。まるでわれわれバレエの舞台のプロセニアムほどの大きさで人物もほぼ等身大で描かれている。まさに絵の舞踊とも言っていいほど迫力があり、絵のなかにいる人々の存在感が素晴らしく、そのアピール力は舞台人にとっても学ばされるものがある。ぜひダンサーや舞台人は観に行くべきだろう。6月5日まで開催されている。
あと国立西洋美術館で開催されているフランス・ロマン派のシャセリオー展も鑑賞したが、こちらもバレエファンならば足を運んでもらいたい。グランパドドゥで有名な「ダイアナとアクティオン」の絵や私の初期振付代表作品である「アポロンとダフネ」が観られる。
また先日オペラ「オテロ」を新国立劇場で観たが、シャセリオーはそのオテロも台本に沿って描いており、オペラと絵画がそれぞれの手法でシェイクスピア劇に挑む姿がとても興味深く、バレエ振付家としても大いに学ばされた。実はこどもの頃のぞいていたのは父が振付していたオテロのリハーサルや本番もあったのだが、このように展覧会というのは自身の芸術観だけでなく、人生まで振り返えさせてくれる。こちらは5月末まで。
東京だけでなく、大阪でもバランシンと深交があったマティス・ルオー展があべのハルカスで展示中だ。ふたりともバランシンとコラボレーションをしているが、バレエ「放蕩息子」の美術を担当したジョルジュ・ルオーと同じく「コッペリア」の美術装置を描いたアンリ・マティス、どちらも独創性豊かで芸術家として自己というものを考えさせてくれる。こちらも5月末まで。

バレエダンサー、バレエファンよ、急げ。



◆2017年 4月

 今年の日本の春はなかなか暖かくならず桜の開花も遅く、近年この地球温暖化によって卒業式の風物となっていたものが、久しぶりに4月の入学式シーズンに開花しそれがかえって、かつての自分の世代の頃の開花シーズンと重なり懐かしくもあった。
 東京では今年も5月下旬に堀内充バレエプロジェクト公演を行う予定で、3月より公演リハーサルを開始した。今回もオーディションを中心に選ばれた女性・男性ダンサー総勢50名近くが出演してくれることになり、早くも熱気溢れる稽古が行われている。若いダンサーたちとのふれあいがうれしく、また今回はかつて10数年前まで私のリサイタル公演で長く共演してくれた大切な仲間である3名の女性ダンサーにも呼びかけ、久しぶりに同じ舞台に立つことになりとても楽しみにしている。
 大阪では森友学園問題が連日報道され、塚本幼稚園が連呼されており、私の勤める塚本学院大阪芸術大学にも幼稚園が併設されているが全く別物で、春の辞令式の際、塚本邦彦学長が「よく勘違いされ迷惑だ」と仰っていたが全く同感でどうか間違えないでいただきたい。

 3月はさまざまな舞台にかけつけることが出来た。松山バレエ団東京公演であり、森下洋子先生のジュリエット役を1年ぶりに観させていただきその美しい姿に堪能し、総監督清水哲太郎先生に終演後歓迎を受け、バレエ団の皆さんと記念写真まで撮っていただいた。哲太郎先生にはこのコラムに書いたように未だに恩返しができていないのだが、さすが世界的に活躍されてきた人格そのままに真摯な姿勢で温かいおもてなしを受けた。洋子先生にも「充ちゃんまたバレエ団にいらっしゃい」というお声がけをいただき、ただただ恐縮するだけであった。

 今、国内モダンダンス界でもっとも注目を浴びる若手ダンサーで大阪芸術大学舞踊コース卒業生でもある前澤亜衣子と乾直樹君が主催するピース・オブ・モダンダンスカンパニー公演も素晴らしかった。これまでに数々の振付コンクールに優勝し、それぞれニューヨークへ文化庁在外派遣員として舞踊留学経験を持ち、振付活動を展開している新進気鋭の舞踊家で、今回で5回目の公演であったが私はこれまですべて拝見し、パンフレットにもふたりの活躍ぶりを執筆させていただいたこともあり、また以前にも大学舞踊公演に同時の在校生に彼らの活躍ぶりをみてもらいたくて東京から呼んでゲスト出演もしてくれた。特にふたりのデュエットのパートナーシップはクオリティーが高く国内舞踊界で文句なしのトップクラスだろう。近年無国籍な奔放なダンスが展開されるなか、この若いカンパニーの舞踊スタイルは美しい西洋的スタイルを保っており、バレエ出身舞踊家としてもとても嬉しい存在である。東京で素敵なスタジオ本拠も構えており、今後も目が離せない若手アーティストである。

 Kバレエカンパニー・スプリング2017公演で親友が久しぶりに踊り、相変わらず客席を沸かせた。今回は10分ほどの新作小品に女性とデュエットを踊っただけだったが、オーラが突出しそれが美しく、また主題である音楽に反応するひとの心を巧みに表現していた。3月に私の大切な恩師を亡くしたときにも連絡をくれ、友人に対する温かい気遣い、励ましはやはり一流の芸術家の姿勢をみる想いでうれしかった。他に「ピーターラビットと仲間たち」や「レ・パティヌール」も上演し、かつてロイヤルバレエ団時代に踊った彼にとって思い入れのある作品を並べたことが自身のバレエ団の若いダンサーに対する愛情の証しに映り心動かされた。            
 スターダンサーズバレエ団でわが師ジョージ・バランシンの「セレナーデ」が上演されたがここでも私の大学の教え子である若手男性ダンサー宮司知英がリーディングロールを務めてくれたのも嬉しかった。
 また同じ東京芸術劇場で行われた現代舞踊協会公演では私の同世代のモダンダンスアーティストである二見一幸君の振付作品「RITE-儀式-」に心惹かれた。昨年同じ公演で同じく同世代のモダンダンスアーティスト能美健志君の作品「春の祭典」も独創的ながら正統派で力強いインパクトを残し、同じ時代を生きる芸術家として励みになった。ふつう音楽界でも若いときからの贔屓のアーティストにはこちらが幾つになっても同世代の誇りとして一緒に追いかけ続ける。まさにふたりの存在はそれで私の誇りでもある。若いひとたちはこのように横のつながりを大事に共に歩みながら生きてほしい。

 音楽界の話が出たのでおまけにひとつ。舞踊公演やオペラ公演鑑賞に飛び回る合間を縫って木村カエラのコンサートにもお忍びで?ひとりで足を運んだ。以前私のバレエ作品で彼女の楽曲を使わせていただいたぐらいファンで(同世代ではないのだが…)この春のツアーを楽しみにしていた。東京・国際フォーラムで行われたコンサートでは何と前から10番目をゲットした。実をいうといい席がとれすぎてしまったと言った方が正直な気持ちで、その日は昼間のリハーサルで疲れ気味で出来れば今日は座って楽しみたいなとかすかに思い始めた。だが当日コンサート会場客席は開演前こそまわりの観客は座って静かに待っていたのだが、隣の女性は10分ぐらい前から立ち上がって入念に腕や肩をグルグル回し始めてウォームアップを繰り返し、反対側の女性ふたりも静かに話をしていたのに、5分前になったらカバッとジャケットを剥いでカエラTシャツになって高揚感丸出しで立ち上がった。そしてカエラ本人がステージに登場するとやはり全員総立ちでコンサートは始まった。私はもちろん?甘い気持ちを捨てて立ち上がり、こちらは世代を超えて声援を送りコンサートを楽しく楽しく堪能したのだった。


◆2017年 3月

 今年の2月は東京と大阪には私が滞在中はどちらも雪が降らなかったがそれでもかなり寒い日が続いた。中旬には大阪芸術大学卒業舞踊公演を無事に終えた。今年は特に観客動員が素晴らしく2日間合わせて3階席を含めたほぼ満席の900人近くお越しいただいた。これは出演者の力に他ならない。舞台という瞬間芸術に多くの方々を招くことも大切にさせており、学生ダンサーたちのその努力と実行に拍手を送りたい。また遠方よりお越しいただいた観客の皆さまに感謝したい。名物となったラストのフイナーレも今年も出演者4年生から1年生まで全員が踊り抜き多くの涙を誘った。

 2月・3月は舞台観賞に忙しくなる。毎年この時期は冬と春の定期公演シーズンの合間で海外からもバレエ団が頻繁に訪れ来日公演が行われる。私も大学が春期休暇中でタイミングがよく、昨年はドイツ・ハンブルグバレエ団、今年はフランス・パリ・オペラ座バレエ団公演を観に行った。ハンブルグバレエ団は名振付家ノイマイヤーが健在で、「回転木馬~リリオム」という全幕バレエと彼のバレエコレクションを並べたガラ公演のふたつを鑑賞し、パリ・オペラ座バレエ団はトリプルビル「テーマとバリエーション」「アザーダンセス」「ダフニスとクロエ」を観た。芸術監督を昨年までわが母校の後輩であるニューヨーク・シティ・バレエ団のプリンシパルダンサーだったベンジャミン・ミルピエが務めていたが、彼の作品を初めて観れて嬉しかった。在任期間中の2年間はパリジャンたちにはアメリカンバレエ出身ということをあまり好意的に受け入れてくれず(ベンジャミンは自国フランス人なのに!)苦労したようだが、今後は国際的振付家として世界じゅうを飛び回って頑張ってほしいと願っている。他に親友が久しぶりに出演するKバレエカンパニー、かつて自分が数多く主演を務めた東京シティ・バレエ団をはじめ、スターダンサーズ・バレエ団、そして国内モダンダンス界最高峰の現代舞踊公演などを観に行く予定で楽しみにしている。
   
 バレエの姉妹芸術であるグランドオペラについても触れておきたい。バレエを学ぶためにはオペラもぜひ学んでほしいと日頃から教え子たちには話している。私自身若い頃ニューヨーク留学時代は好んでメトロポリタン歌劇場に足を運び観に行っていた。レパートリーのなかでは定番だが、「タンホイザー」「アイーダ」「フィガロの結婚」が好きであった。オペラを初めて観るひとには「椿姫」を勧めたい。音楽が美しく馴染みやすく、何度聴いてもあきないからである。若かった頃は仕送りでお金も限られていたため、観るときは4階席ばかりだったが、ニューヨーク・リンカーンセンターにあるふたつのオペラハウスの特徴はこの3・4階席以上の席数が全体の半数近くを埋めていることである。オーケストラ席と言われる1階席は100ドルや200ドルで日本円でも何万もするが、この最上階は日本円でも千円程度で立ち見なんて500円ぐらいだった。実はこの上階の観客席で繰り広げられる光景がとってもユニークでニューヨークの名物でもあったのだ。初めてそこに座って観賞していた時、あることに驚いた。オペラの名場面シーンでコーラスが繰り広げるところで、「さあ、いよいよだ」とこちらもわくわくして聴いていると「あれ?」と不思議に思うことがあった。それは舞台とは真反対の聞こえてくるはずのない観客席のうしろから大合唱が聞こえてくるのである。ん?と振り返ると、何と自分と同じぐらいの音楽大学生であろう若者たちがみんな楽譜を膝もとに置いて大合唱をしていたのである。まだカラオケなんてない時代、つまりここが絶好のカ・ラ・オーケストラで歌う場所でもあったのだ。こっそり口ずさむのではなく、堂々と歌い上げ、中には指揮棒持って振りながら歌っている者もいた。純粋に聴きたいオペラファンの方々はみんな1階席で聴いており、4階席ならば確かにかなり遠くてバレないから大丈夫って感じであった。なので前観てもうしろを見ても楽しかった頃を思い出す。ニューヨークに行ったらオペラハウス、特に上階へどうぞ。未来の三大テノール歌手に会えるかもしれない。ただ昔の話しで今はやってなかったらごめんなさい。

そんな隠れオペラファン?の私は昨年から今年にかけてオペラを5本ほど観ている。オーチャードホール芸術監督を務める親友も仕事柄オペラを観る機会がよくあり、お互い食事しながら「オペラはバレエみたいに原型や原振付といったものがないから、どんどん新演出が塗り替えられるように行われて、観ている側もついていくだけでも大変だなぁ」 「そうだそうだ」と話している。だから発想も奇抜で現代バレエもうかうかしてられない。この1年観たなかでも、モーツァルト「魔笛」はSF映画で登場するような大怪獣が多数出現するし、シュトラウス「サロメ」では大胆に天国・地上・地獄の3つが一挙に舞台上に立体的に三階式にセリに仕組まれたなかを歌手たちが行き来し、フランス革命を題材にした「アンドレア・シェニエ」も円形のせりに二場面のセンスある現代的美術装置が交互に回転しながら演出されていた。自分自身もオペラ振付をしたことがある「カルメン」はスタンダードながら大がかりな闘牛場の装置が度肝を抜いた。今月観た「ルチア」は主人公のルチアと恋人のふたりの結末を予感させる巨大な美術装置の岩山が実に不吉で美しい。しかしなんと言っても後にあのロマンティックバレエのジゼルの発想もとのひとつとなった30分を超える独唱゛狂乱の場゛を歌い上げたプリマドンナ、オルガ・ペレチャッコ・マリオッティの歌唱力、演技力が圧巻であった。音楽のドニゼッティもジョージ・バランシンがバレエ作品を創っていることもあり、バレエファンでもとても耳障りが心地よく楽しめる。今回は新国立劇場新演出ということもあり、観たものがああだこうだ言うのは観てない者に対して失礼でご法度なので控えるがすべてが素晴らしく、ぜひ足を運んでもらいたい。


◆2017年 2月

 今年もローザンヌ国際バレエコンクールが行われた。今回も日本人受賞者を出し、これで12年連続だそうである。すごいのかどうかはわからないが、報道される一方で、このコンクールを目指しながらさまざまな理由で果たせなかったり、過去に悔しい想いをしているひとたちもたくさんいるのも事実である。このコンクールで入賞してもその後成功の道を歩んだ者は決して多くない。バレエは日本にとってまだまだ現実的に厳しいものがある。スポーツは優勝したりすると賞金がありうらやましい気持ちにもなる。ローザンヌコンクールもキャッシュプライズと言って賞金もあるが、コンクールに出場するために本人はもちろん自身に付き添う指導者の分までの日本とスイスの渡航費や滞在費がかかり、その費用であっという間に消えてしまう。私も過去2回に渡って出場したが、1回目は父、2回目は母が付き添ってくれ、よく思い出話ではあの時はお金がかったなぁと笑いながら話していたものである。そんな親に今でも感謝の気持ちを忘れないようにしている。

 1月8日に日本バレエ協会関東支部神奈川ブロックに振付を委嘱されたバレエ「ライモンダ第3幕より祝典の場」を無事に上演することができた。今回舞台装置は宮殿を描いたドロップではなく、白を基調とした柱ジョーゼットと言われる中にイルミネーションを仕込むことができる立体的な宮殿を思わせる装置を飾っての上演となった。本番は主演の大滝ようさん、ロサンゼルスバレエ団の清水健太君、NBAバレエ団の山本晴美さんらが好演し大きな拍手をいただいた。この作品ではバレリーナとして活躍された沼田多恵さんがバレエミストレスとして携わっていただき、彼女の力なしでは上演を果たせなかったことを付け加えさせていただきたい。

 2月18日19日と2日間にわたり大阪芸術大学卒業舞踊公演が大学芸術劇場で上演するため、1月から2月にかけてのべ2週間近く劇場を貸し切ってリハーサルを行っている。オペラ、バレエを視野に入れた本格的劇場でこれだけの期間独占して劇場レッスンからゲネプロまで出来るのは国内では新国立劇場ほか数ヶ所ぐらいで、私もアメリカやフランスでゲスト出演させていただいたバレエ劇場での生活を思い出し、自然と毎年この時期は張り切ってしまう。朝10時半から始まるレッスンでも私の友人や知人であるレッスンピアニストをお呼びして行いバレエダンサーたちも熱がこもる。彼女たちにとっても有意義で素敵な時間でもあり、月曜日から金曜日まで毎日クラスをするのだが、こちらも全霊を込めてるつもりが時として力が入りすぎてたまに説教までしてしまい、水を差すこともしょっちゅうですまない気持ちにもなる。そんな訳で「ああ、また言っちゃったな…」なんて夜ひとり大阪のホテルで反省する日々が続いている。

 久しぶりに好きなフランス映画の話しをひとつ。現在全国の映画館で「ショコラ」が上演中で、この映画を心待ちにしていたので早速足を運んだ。ショコラとはフランス語でチョコレートの意。一見かわいらしいタイトルに聞こえるが、フランス史上初の黒人芸人ショコラことパディーヤというサーカス芸人の苦節の人生を描いた実話の映画化である。 愛と涙に満ちていて期待を裏切らなかったが、私がもっともこの映画で楽しみにしていたのは、主役のショコラではなく、サーカスで相方をつとめた白人芸人役を演じたジェームス・ティエレ。彼はローザンヌ生まれのなんとあのチャーリー・チャップリンの孫であり、このことは日本ではあまり知られてなく、今回の映画の宣伝でもあまり触れていない。彼は今は40代に突入したのだが、祖父が活躍したアメリカには渡らず映画の母国フランスで俳優として活躍している。その彼の人生も興味深いが、チャップリンといえば道化的な喜劇俳優としてあまりにも有名で、私も子どもの頃何度もテレビで見て彼の演技を楽しんでいた。父もチャップリンのことが好きだったようで好んで見ていたことを覚えている。私自身父が舞台人で二世としてこの世界に身を置かせてもらっているが、そのためか俳優、芸術家、芸人といった人たちの二世、三世の活躍が気になるところで、歌舞伎俳優などもそうだ。今回は祖父と同じような役どころまで演じているティエレだか、背かっこうまでチャップリンにそっくりで、迫真の演技を見せ楽しませていただいた。芸術家として血統とは何かということを含めとても学ばせられることが多く、また今やシルクドソレイユ全盛の時代だか、サーカスの原点を知る貴重な映画でもある。ぜひ足を運んでもらいたい。




◆2017年 1月

 南米のコロンビアのメデジン市で立て続けに悲劇が起こった。日本人留学生が強盗殺人に遭い、またプロサッカーチームのストライカーたちを乗せた航空機が墜落してしまうというあまりに痛ましい事件・事故が相次いだ。あまり日本人には馴染みのない都市だが私は25年程前になるがそこのバレエカンパニーに招かれ踊った思い出がある。今やテロ事件が頻発したり社会情勢の悪化のなか、今ではとても日本人が行ける場所ではないが当時は南国情緒に溢れ暖かい気候でヒスパニック民族が住む魅力的な土地であった。人々も温かくまた美しい街並みで素敵な思い出がある。劇場もオーケストラが優秀で生演奏で上演したが本番は素晴らしい音楽で踊らせていただき、いわゆる南米気質でカーテンコールも熱狂的であった。夜もテラスのあるレストランで夜空が澄んでいるなか、山あいの夜景があまりにも美しく、暖かな風あたりのよいテーブルで乾杯をした。どうか、またふたたび活気を取り戻してほしいと願っている。

 12月から年明けにかけ、クラシックバレエ(和製英語・英語ではクラシカルバレエ)の巨匠であったマリウス・プティパとワイノーネンの改訂振付を3公演相次いで手掛けた。日頃から自身による振付作品を発表しているので、私が改訂振付していることを存じないひともいるようで「堀内さん、全幕の振付もやってください」とよく言われるが、「ジゼル」「白鳥の湖」「くるみ割り人形」「ロミオとジュリエット」「真夏の夜の夢」などすでに手掛けている。オペラやミュージカルのバレエシーンもかなり振付しており、もっと発信していかなくてはならないのかなとも思うが今日はこれには触れずにおく。

 12月中旬に大阪芸術大学舞踊コース2回生による公演を2日間にわたり上演した。主な演目は「ラ・バヤデールより幻影の場」とモダンダンス「SAKURA」であった。この時のバヤデールを改訂振付したが、今年も大学舞台美術コースの学生によるデザインおよび制作で装置を彩り、若干二十歳の学生による美術は実にみずみずしく美しい。美術だけでなく照明デザインも照明コース生によるもので、ダンサーのみならずみな若者たちでつくられ、まさに世界でひとつだけのバヤデールであった。毎年このシリーズは行っており、今回でもう6作目で今や私の楽しみのひとつとなっている。今年は大学2回生ダンサーたちのクォリティも高く、2日間公演ダブルキャストで主役ニキヤとソロルはじめバリエーションもそれぞれ持ち前の力を発揮しハイレベルな出来となった。

 12月25日クリスマスに今年もくるみ割り人形全幕を上演した。「栃木・宇都宮にも毎年クリスマスシーズンにバレエくるみ割り人形を定着させたい」という舞踊家橋本陽子先生の願いから委嘱され今年で19年目を迎えた。先生ご自身のエコールドゥ・バレエがこれまで東京と宇都宮の2ヵ所であったが、東京に統合されることになり本年を持ってクリスマス公演が最後となった。19回と言っても毎回同じではなく、さまざまな振付シーンの改訂を行ってきたこともあり、今回は集大成ということになった。特に雪片のワルツから2幕ディベルティスマンが私の振付力の持ち味を発揮できる場面で毎年かなりの盛り上がりを見せる。宇都宮スタジオ生、私の教え子たちを含めたバレエダンサーたちの力がゲスト男性ダンサーとともに高いテクニックと表現力が際立っていた。

 年明けの1月8日には日本バレエ協会関東支部神奈川ブロックの主催公演で、「ライモンダ第3幕より祝典の場 グラン・パ・クラシック」を委嘱された。公演は神奈川県民ホールという横浜で唯一のオペラハウスで上演する。ライモンダ第3幕は主人公ライモンダと騎士ジャンヌ・ド・ブリエンの結婚式の中でさまざまな踊りが披露される場面で、この作品中のグラン・パ・クラシックとしてふたりの男女のプリンシパルと4組のソリストによって繰り広げられるオリジナル作品にコールドバレエを融合させ、随所にハンガリアン的な要素を盛り込ませ振付した。
20世紀の代表的振付家ジョージ・バランシンが若き頃ロシア帝室バレエ学校時代に踊った同作をオマージュした「Cortege  Hongrois」(ハンガリアン行進曲)というバレエ作品を1973年に発表したが、その後1985年にニューヨークシティバレエ団によって復刻上演され、翌年、当時私が付属のバレエ学校在籍中にこの作品に学校公演で主演する機会に恵まれた。自分にとってバレエ「ライモンダ」はむしろこちらの印象が強く、今回の公演ではこのときのメモワールをもとにシンフォニックバレエとして再構築・改訂振付を行ったのである。バヤデールと同様自分がかつて踊ってきた思い入れのある作品でもある。ロサンゼルスバレエ団の清水健太君、NBAバレエ団の山本晴美さんをはじめプロフェッショナルダンサーたちも顔を揃え、振付を終えたあと日々の仕上げのリハーサルでも熱い視線でダンサーたちを見守っている。

 今年も1年が終わろうとしている。この1年間も自身の振付作品をさまざまなところで上演させていただいた。ざっとラインナップを並べると

①「ラプソディインブルー」音楽・ガーシュイン
②「フォーシーズンズ」音楽・グラズノフ
③「ロミオとジュリエット」音楽・プロコフィエフ
(2月 大阪芸術大学卒業舞踊公演・大阪芸術大学芸術劇場)

④「ロマンシングフィールド」音楽ドヴォルザーク
⑤「バレエの情景」音楽ストラヴィンスキー
⑥「レ・シュマン」音楽プーランク
⑦「パリのよろこび」音楽オッフェンバック
(5月 堀内充バレエコレクション・東京目黒パーシモンホール)

⑧「グラズノフスィート」音楽グラズノフ
⑨「真夏の夜の夢よりスケルツォ・妖精たちの踊り」音楽メンテルスゾーン
(7月 大阪芸術大学キャンパス上演会・大阪芸術大学芸術劇場)

⑩「パリジェンヌのよろこび」音楽オッフェンバック
(8月 大阪YSバレエカンパニー公演・NHK大阪ホール)

⑪「リトルバレエ」音楽ルヴィンシュテイン他
⑫「真夏の夜の夢スケルツォ」音楽メンテルスゾーン
(9月 バレエスタジオHORIUCHI・東京目黒パーシモンホール)

⑬「カルナヴァル」音楽シューマン
⑭「レ・スィネ」音楽木村カエラ、シューベルトほか
⑮「ラ・バヤデール幻影の場」音楽ミンクス
(10月‐12月 大阪芸術大学学内舞踊公演)

⑯「Horizon\ホライゾン」音楽フェダーセル
(12月 玉川大学芸術学部演劇スタジオ)

⑰「くるみ割り人形全幕」音楽チャイコフスキー
(12月 宇都宮エコールドバレエ・栃木県宇都宮市教育文化会館)

⑱「ライモンダ第3幕祝典の場」音楽グラズノフ
(1月 日本バレエ協会関東支部神奈川ブロック公演・神奈川県民ホール)

・・・と18演目上演させてもらった。来年もさまざまな演目、そしてダンサーとの出会いを楽しみにしたい。


 
 

◆2016年 12月

 いつまでも暑いと思ったらいきなり真冬の寒さになったり、例年の如く暖冬に逆戻りになったり、秋という季節がいつのまにかなくなってしまい寂しい。
かつてアメリカで5年間生活し帰国して一番故国を感じたのが四季という季節感であった。アメリカでは10月頭まで夏でそこから一気に冬になり、下旬のハロウィンや11月下旬の七面鳥を食べる感謝祭などは寒いなかの行事という印象が強い。そんななか日本の秋まつりは風情があって、いつもニューヨークにいるときは「今頃日本は秋でみんな楽しんでいるんだろうなぁ…」なんて思いふけっていたものである。今はこうして日本にいてもかつての思いはなくなってしまった気がする。でも“芸術の秋”という言葉は今はなく、1年を通してバレエやミュージカル公演が行われるようになり、触れる機会が多くなったのはいいことである。

 今年も10月下旬から12月にかけて東西の大学で相次ぎ舞踊公演を行った。
まず大阪芸術大学舞踊コース卒業制作公演が10月下旬に行われた。大学4年間の研究成果を披露する場で春からずっとリハーサルを積んできた4作品が上演された。私は毎年指導という立場で携わっているが、時間と労力をかけているだけ力作が多いのに毎回ながら目を細めている。
一般の大学卒業論文とは違い、舞台芸術の世界は言葉は悪いが「○と×は紙一重…」などと言われるだけあってとても特殊で難易度の高いものだと思っている。少なくとも初期設定をしてやり、また方向性があらぬ角度を向いてしまったら是正してあげることこそ大学教員の役割だと思っている。また卒業制作とは卒業論文とは異なりひとりではなく、医学と同じように研究チームのように何十人と集まってスクラム組んで行うため、ひとつ間違えば全員が落第という悲運も抱えているからである。卒業制作としてテーマがふさわしいか判断することがまず大切で、それから時々リハーサルを傍らからみて「ここの場面は補足しないと」「舞台装置をもっと使わないと」といったアドバイスをしている。今年の作品は人間である自分自身の内面の弱さをつつかれながらもその中でも希望を見つけて生きようとする姿を主題にするものが多かった。卒業制作作品のほかに卒業メモリアルに毎年私が自分の振付作品をプレゼントしているのだが、今年はロベルト・シューマン音楽「カルナァル(邦題で謝肉祭)」を贈った。夏休みに3日間ほどで朝から晩にかけて一気に振付し、数日後には劇場で試演会までしたのだが、さすがもう私と4年の付き合いで堀内作品も4、5本踊っているためか堀内節?がわかっているだけあってトントン拍子でリハーサルが進んでしまう。こんな子たちとバレエカンパニーを構成すればバンバン作品が上演できるのになぁといつも思う。残念ながら彼女彼らたちはさまざまなバレエ団に巣立ってしまう。ボヤきはこのへんにして、本番では多くの観客が集まりカーテンコールでは惜しみない拍手が送られた。

 3週間を経て今度はひとつ学年下の3回生の学内公演を行い、こちらも日本舞踊作品を含めた全4作品約1時間40分をたった13名の出演者で上演した。私の作品は「Le Sygnes(仏題で白鳥という邦題)」というタイトルでを振付した。白鳥伝説を主題に独自の解釈で迫り、ラストは白鳥の姿を思わせるバレエを展開する。この13名の女性ダンサーたちは夏に東京で同じく私の振付作品「スケルツォ」を踊り喝采を浴びたが、その時の経験を生かし、この作品でも美しく舞い、ラストシーンの湖畔を背にしたシルエット姿の思い想いのポーズを浮き上がらせ幕となった。

 続いて玉川大学芸術学部舞踊系学生の1年集大成となる卒業プロジェクト舞踊公演が12月上旬に5日間にわたり町田市にある大学キャンパス内にある演劇スタジオという小劇場で上演された。ここでも公演演目最後を飾るバレエ作品を任されているのだか、8年目を迎えた今年は19名のダンサーが織り成す私の最新作「Horaizon」を振付し上演した。ドイツ人作曲家による音楽を使用し、モダンダンス技法とダンスクラシック技法をダンサーとともに分けて振付し、文字通り地平線に映される美しい人間模様の姿を主題にした。実は2ヶ月弱の短いリハーサル期間で、思うように時間が取れないこともあり、振付展開も二転三転することも多かった。でもダンサーたちはどんな時であろうとレオタードとピンクもしくは黒タイツ姿のみの姿で数時間立ちっぱなしで私と向き合い振付をもらう。私がある一方のグループに振付しているときは、もう一方のグループは休むことなく与えられたパをおさらいしたり、あるいはみんなでフォームを揃えたり余念がなく素晴らしい姿勢である。これは大阪芸術大学でも全く同じ姿勢で挑んでいるのだか、決して私からこの姿勢を強制しているわけではない。彼ら彼女たちの先輩たちが長く舞踊に対するこのような真一文字の姿を持って私に向かい、それが代々後輩に受け継がれてきたのである。私はこれこそが大学舞踊の素晴らしいところだと実感している。師と教え子、先輩と後輩といった人間関係が深く形成されているところが素晴らしいと思う。だからこそ彼女たちが卒業して何年経ってもかつて自分が踊ってきた公演に足を運ぶ。これは大学スポーツにも言え、野球やラグビー、柔道、駅伝といった試合にも同じような光景が見られる。もちろんこのような師弟関係が出来るまでにも長い歳月を必要とするが、大阪芸術大学舞踊コースで16年、玉川大学舞踊系で11年教えてきたからこそ築けたものと自負している。・・・ 相変わらず得意の横路に逸れる話をしてしまったが(実は大学の90分の講義でもそうで本題からよく逸れてしまう。学生は優しくニコニコ聞いてくれるから調子に乗ってしまうのだが。)卒業プロジェクト舞踊公演本番では19名が一体となって踊り抜き、カーテンコールでは多くの拍手を浴びていた。実は今回私はさまざまな公演や稽古が重なってしまい、本番を6回中1回しか観れなかったのだか、かつて踊ってくれた卒業生ダンサーたちが何人もかけつけてくれて、みな「観に来たのにいなかった!」「せっかく久しぶりに会うの楽しみにきたのにいないなんて…」というメッセージをたくさんいただいてしまった。こちらはただ平謝りする返事しかできなかったのだが、このような師に対する温かい愛情(勝手な思い込みもあるが・・・)がまさに大学舞踊のうれしい側面なのである。



 
 

◆2016年 11月

 私はちょうどその時新国立劇場中劇場の舞台袖で自分の出番を終え、荒い息をしたままステージの方に目を向けていた。そこには次の出番でニューヨーク在住の頃から大好きだったビリー・ジョエルの「ピアノマン」の調べに乗って黒のワンピースドレスでサスペンションライトの中で鮮やかに踊る名倉加代子先生の姿があった。その美しい光景を見ながら「終わってしまったな・・・」とゲネ・本番合わせて7回にわたった舞台を振り返っていた。
 11月3日から4日間、6回にわたる名倉加代子ジャズダンス公演に出演させてもらった。全公演満席に近い観客の前で22年ぶりにサン・サーンス音楽・名倉加代子先生振付による「死の舞踏」を総勢50余名の精霊役の女性ダンサーたちと踊った。冒頭に12の鐘が響き、うずくまっていたダンサー全員が甦るように立ち上がり、息つく間もなく全編を踊り抜く激しい作品であったが、稽古でも1回通すだけでフラフラになるほど振りがびっしり詰まっていた。
 今回本番で一番印象に残ったのが、作品の最後で夜明けの告げとともに精霊であるダンサーたちが一斉に崩れふたたび墓に戻るように倒れてしまうところで、リードオフを務める私が、また眠りについてしまう彼女たちを必死に呼び起こそうとする場面。最後には自分も倒れて幕となるのだが、その瞬間倒れているダンサーたちのまさしく激しく踊り抜いた直後の余韻がまるで魂のように浮き上がっている空気感を感じたのである。そんな素敵な空間に包まれた瞬間が忘れられない。
 また前半のプログラム最後の「サマータイム」という作品にカンパニーのプロフェッショナルジャズダンサーたちと共演させていただいた。アメリカ西海岸の夏の夕暮れを場面設定され、人々がその光景を胸に想う気持ちを舞踊化させた名倉先生の新作でもあり、さすが長年師弟関係のなかで舞踊経験を積んだダンサーたちの表現力とテクニックが素晴らしく、バレエダンサーの自分では演じきれないものがたくさんあり、リハーサルで共演ダンサーの方々からのアドバイスを受けながら学ばせていただき、素敵な振付を踊らせていただいた。終演後名倉先生からは「充君ありがとう。」という言葉をいただいた。ありがとうとは私が言わなければならない言葉で、そんな気持ちに対して感謝の気持ちに溢れた。
 名倉先生は公演ではピアノ演奏によるデュエットやジャズナンバーを次々とカラフルでお洒落でダイナミックに踊り、満員の観客を沸かせていた。まさかこの20年間ふたたび袖から先生の輝く踊りを見守るなんて想像しなかっただけに私にとっても今年1年のベストとなる思い出になった。
 この最高峰のジャズダンス公演にお越しいただいた方々にあらためてお礼申し上げます。

(Dance Square  http://www.dance-square.jp/nk1.html


◆2016年 10月

 ジャズダンスといえば私にとっては子どもの頃から馴染み深いジャンルで、一言でセンス良くて格好がいい踊りで、バレエに相反するというか、拮抗したものというイメージがずっとあった。父親が長く舞踊界で活躍したなかでも、バレエ作品と同時にジャズダンスを融合させたジャズバレエ作品も多く残した。彼はニューヨークに1年間研修しジャズダンス界の巨匠ルイジのもとでダンステクニックを学び、帰国してからは以前よりもジャズダンスに傾倒してわれわれ家族が驚いたことを覚えている。ユニークバレエシアターも当時は朝のカンパニーレッスンは月水金はバレエクラス、火木土はジャズダンスクラスであった。父親の代表作であった「ジャズ・コンチェルト」は私もローザンヌ国際バレエコンクール受賞記念公演でも踊った思い出深き作品である。そんな経緯があり、ジャズダンスは私にとってはむしろバレエの姉妹芸術であるモダンダンスより身近であった。
 名倉加代子先生はジャズダンス界最高峰の舞踊家で、ジャズダンス通の私も?存じ上げていて定期的に行われていた青山劇場公演にもバレエ団の先輩に連れて行かれ観に行ったり、あるいは振付されている宝塚歌劇やミュージカルの公演にも足を運んでいた。洗練されスタイリッシュで脚線美に溢れたダンステクニックは魅力的でいつも観終えるたびにため息が出るほど美しさに満ちていた。
そんな憧れのなか1996年に名倉加代子先生から「充君、私の公演に出てくださらない?」と青山劇場舞踊チーフプロデューサーをとおして声をかけていただいたのだ。その頃名倉加代子先生は何度か私の舞台ものぞきに来ていただいたことを覚えているが、さすがに目に留めていただけたことはとてもうれしかった。
公演は毎回2部構成で、1部は60分ほどのストーリーあるダンスドラマ作品で、2部はオムニバス形式で10数曲からなる作品集であった。出演させていただいた公演では、<ある青年がダンスをすることを夢みて都会に出て来ながら、街の行き交う人々の冷たさに失望したあまり、交通事故で命を落としてしまう。そして彼が天国で舞踊教師であった神父(橋浦勇先生)と出会いその神父が青年の夢を叶えさせようとふたりでふたたび地上へ降り、舞台で主役を得て脚光を浴びる> ロマン溢れる作品で、クラシック音楽からジャズ音楽で綴った素敵な1幕ものであった。私はその青年役を踊らせていただいたが、私のロール(役の意)以外はもちろんジャズダンス手法で80名以上のジャズダンサーの踊りは圧巻。クライマックスのブロードウェイショーではサン・サーンス音楽「死の舞踏」を上演するのだが、そのダンサーたち総勢と踊り抜く瞬間はいつも苛酷で文字どおりタイトルそのもので踊り終えた直後は舞台上で吐きそうで固まってしまったことを覚えている。「充君の代表作になったらうれしいわ」といつも話してくれた言葉は優しく忘れられない。作品では踊り終えたあとはまた天国に戻り雲の上で満身創痍のまま倒れているのだが、名倉先生の優しさそのままが振付に表され、カンパニーメンバーの15名ほどのミューズの女性ダンサーたちが私を囲んで揺り起こし、最後に踊りを共にするシーンがとても心地よく温もりがこれまた忘れられない。
2部ではオムニバスで、「充君、私と踊って下さらない?」と言ってくださり、素敵なジャズを踊らせていただいたが、先生は真っ白のジャケットスーツで現れ、その姿はまるで月の神アルテミスのように輝いていてとても素敵な瞬間を踊り舞台上で共有させてもらった。こうしてかけがえのない6回公演にわたる舞台に出演させていただき、カーテンコールでも抱きしめてくださり、終演後「いつかまた必ずご一緒しましょう」と言ってくださり公演は幕を閉じた。

 歳月は流れ、今は2016年、あれから私は名倉先生と出会う前の頃に戻り、毎年ジャズダンス公演は客席で昔と同じようにため息まじりに作品やダンサーの美しさに見とれながらいつも観させていただいていた。あまりにも月日が経っているので、公演を観ているときにたまに、あの時の天国から舞い降りた青年役のように「あれは本当に夢を叶えさせてもらえた白昼夢だったんだなぁ」なんて想いふけたりもしていた。
と、ところが、である。来月11月上旬に新国立劇場で行われる公演にふたたび名倉先生から「充君、キャンスト(公演タイトルの愛称)にまた出て下さらない?」と声がかかったのである。それも「あなたの代表作をもう1度踊ってもらいたいのよ」と。自分でもあまりの驚きと嬉しさに高揚感をおさえきれなかった。この20年間名倉先生のあの時の別れの言葉を疑うことなく信じてきたが、まさに約束を果たしてくれたのである。偉大な舞踊家の姿勢とはまさに真性なる気持ちなのだとあらためて感じた。今回はかつてのダンスドラマは上演しないが、舞踊劇中のあの「死の舞踏」を踊らせてもらうことになった。自分の持てる力をすべて出すつもりでのぞもうと、現在再び名倉先生のスタジオに通いリハーサルしている。

ぜひみなさま観にお越し下さればと思います。


★名倉ジャズダンススタジオ第22回公演 「CAN'T STOP DANCIN'2016」



◆2016年 9月

 9月22日、目黒パーシモンホールでかつて私の父が主宰したユニークバレエシアターの後身であるバレエスタジオHORIUCHI主催のバレエコンサートがあった。こどもから大人まで日頃のレッスンの成果を披露するエントリー型の舞台だが、このバレエコンサートで私のひとつの念願が叶えることができた。以前ずいぶん前だがこのコラムで触れたことがあるのだが、私がつとめる大阪芸術大学舞踊コースのバレエダンサーと玉川大学パフォーミングアーツ学科舞踊系のバレエダンサーが共演を果たしたのである。
 たまたま両大学とも毎年行っている学外公演が開催されない事情となり、毎年のなか今年該当してしまった在学生である彼女たちが大学の外で踊る機会がないというのは不運で何とかしてあげたいという主任教員の立場からの想いで、自分自身のバレエスタジオではあるが舞台に立つ機会を設けようということになった。どちらも私の振付作品を出品させてもらったが、大阪芸術大学3回生13名と玉川大学芸術学部生3年生5名は前日の通し稽古で初めて顔を合わせ、一緒にバーレッスンをした。いつも毎週火曜日玉川大学、水曜日から金曜日大阪芸術大学で日頃レッスンをしていながら、東京と大阪ということもあり、まず両大学生が顔を合わす機会などなく、大学で教えて10年以上経つがこの合同レッスンは(ただの私事なのだが)画期的で記念すべき瞬間でもあったのだ。レッスン後はお互いのリハーサルにも立ち会い、終了後は私の企画で交歓夕食会までひらき、親交を深めることができた。
 翌日の本番はみな綺麗で気迫ある踊りを東京の観客に披露して多くの拍手を受けていた。
 この瞬間が彼女たちにの将来にとって実りあるものになることを願いながら私も客席で見守らせてもらった。


◆2016年 8月

 夏になるとバレエ界で賑やかになるのはバレエコンクールで、シーズン到来とばかりに全国各地ではバレエコンクール一色になる。SNSでも若い子たちは「コンクール出場!」とアップし、現役ダンサーどころか元ダンサーで審査員となった方々までもが「審査しました!」と自ら嬉しそうに載せている。まさにバレエ愛好大国だが、かくいう私もこの夏3つのバレエ・ダンスコンクールの審査を務め肩書きに「審査員」が加わってしまうのではないかと思えてしまうほどの奔走ぶりであった。

 私のバレエコンクール歴も今の子たちほどではないが、国内で最も長い歴史を誇る東京新聞主催全国舞踊コンクールに中学・高校時代に3回出場し、3位、3位、2位という成績を残したが、いちばんのコンクールにまつわる思い出は4年間にわたり2度出場したローザンヌ国際バレエコンクールもそうだが、モスクワ・ボリショイバレエ団の本拠地であるボリショイ劇場で2週間に渡り繰り広げられた第4回モスクワ国際バレエコンクールが深く印象に残る。
 私は高校生のときはバレエ少年おたくといっていいほど、バレエに関する雑誌、本はすべて読みあさり、週末になるとどこかしらの劇場に出没して公演を見まくっていた。ときにはひとりで関西にも出向くほどだったので国際コンクールについてもリサーチ済みで中学時代からローザンヌとモスクワ国際バレエコンクールに出場することが夢でもあった。
 モスクワコンクールは1981年6月に行われたが、両親のサポートのおかげで前年の冬に足ならしのためにロシアを訪れモスクワのクラシックアンサンブルバレエ団やサンクトペテルブルグのキーロフバレエ団のカンパニークラスを受けさせてもらった。何しろ30年以上前の話である。当時ヤポンスキ(日本のロシア語訳)のバレエ少年がやってきたと聞いただけでソビエトバレエ関係者はめずらしがってどこへ行ってもこの私をかわいがって?引っ張りだこで連れまわしてくれたのであった。中でも国立キーロフバレエ団のカンパニークラスにはさすがに興奮した。偉大な伝説の男性ダンサー、ルドルフ・ヌレエフやミハイル・バリシニコフたち出身のバレエ劇場のリハーサル室で、しかも彼らが若き頃の写真集で見た光景のなかでのレッスンは忘れられない(後にこのふたりとはニューヨークで出会うことになるのだが)。みんな自分よりひとまわりもふたまわりも上の世代のダンサーであったが、当時このバレエ少年が観に行ったキーロフバレエ団東京公演で「眠りの森の美女全幕」で王子を踊った男性ダンサーもいてレッスン後駆け寄ったら笑顔で握手してくれたことがうれしい思い出であった。
 モスクワ国際バレエコンクールの話に戻すとこのコンクールがなぜ世界一のコンクールかというと、4年に1回の開催であり、予選から決選まですべて国立ボリショイ劇場主催で、しかもボリショイバレエ劇場オーケストラによる生演奏で行われるからでもあった。予選前にはオーケストラ合わせの舞台リハーサルがあり、指揮者とテンポの打ち合わせまでするのである。
 その時にアクシデントがあった。バリエーションは決選までにすべて違う6曲を用意しなければならず、予選はまず通らなければメダルにも届かないので最も得意なパキータの男性バリエーションで臨んだが、リハーサルのときにプレバレーションをして、さあ袖から出ようとしたら別の音楽が始まってしまったのである。後からわかったことなのだが、日本でスミラフィル・メッセレル女史からいただいた振付はキーロフのもので、ボリショイバレエ団バージョンとは別のものであった。私は「ニエット!(違う)」と言ってオーケストラピットに降りて自分のバージョンの音楽をピアノで弾いて説明した。その時は必死になっていたのだか、弾き終わると楽団員から拍手喝采を受けてしまった。そこでロシア人と初めて交流したような温かい雰囲気になったことを覚えている。音楽の力は言語を超える力を持つことを感じた瞬間でもあった。
 またコンクール本番までは市内にあるボリショイバレエ学校に移動しスクールのスタジオでひとりあるいはパドドゥひと組ずつ1スタジオをリハーサルのために割り当てられた。学校には16スタジオあるから充分に間に合うことも驚きだが、もっと驚いたのが、ビアニストまでついてきたことだ。最初は「すごい!さすがバレエ大国…」なんて感じていたが、30年前のことでもあるが、その当時バレエスタジオにも音響設備などあるはずもなくグランドピアノだけ。つまりバレエは歴史は古くもともとは音楽はすべて本番も稽古も器楽演奏によるものであったことの古くから伝わる伝統芸術の証で、それがずっとフランスやロシアでは現在でもルーツがそのまま自然に受け継がれている。
 なぜバレエはレッスンのときは生演奏なのだろうかと日本人は感じるひとが多い。「生で感じる音が踊りには大切なのよ…」などと理由づけるひとを聞いたことがあったがそんなことではなかったのだ。伝統文化である重みを本場で感じた貴重な体験であった。こうして大会が始まるまでの数日間、その時は師である父とダンサーの私、そして男性ビアニストの3人だけでレッスンからバリエーションのリハーサルまでじっくり出来、また劇場内にある練習用舞台まで(300名収容の中ホール)使わせていただき、コンクールに向けて高揚感とともに最高の準備となった。
 コンクールは結果は決選までいき、男性部門で第3位銅賞をいただいた。メダルを受賞したのは日本人男性では史上3人目で10代での受賞は初めてであった。今ではこのコンクールでも日本人をはじめ多くの東洋人が受賞している。ただ一番このコラムで書きたかったことは、自分の結果ではなくコンクールというものがどれだけバレエが権威のあるものであるかということを気づかせてくれたことである。
 当時世界最高峰のバレエの殿堂ボリショイ劇場で「さあ踊るぞ!」と前奏が始まりソッテをして舞台に出て客席に向かってポーズを取ったときである。目の前の客席側の光景のあまりの美しさに一瞬踊ることを忘れるほど呆然としてしまったのだ…。なぜなら劇場の豪華なシャンデリアの輝き、オーケストラピットの沢山の譜面台のあかり、マエストロの存在、そして何よりもボリショイバレエ団グリゴロビッチ芸術監督、名花マヤ・プリセスカヤ、アメリカ人振付家ロバート・ジョフリーをはじめ20人近くいた審査員席ひとりひとりの前にあった審査用のキャンドルライトすべての輝きが、まるで教会のミサのような厳然な雰囲気を醸し出していたのである。ちょうど開会式のあとということもあり、客席も満席でドレスアップされた観客たちに見守られ、そのなかでバレエを踊った瞬間が忘れられない。これまでの人生のなかで踊ってきた舞台空間とあまりにもかけ離れた絢爛な光景であった。踊り終えたあともブラボーというカーテンコールの声もロシア語訛りで美しかった。また4階あたりのバルコニー両サイドから薔薇が何輪も投げられ、それを拾いレベランスをするのである。今でいうフィギュアスケートのカーテンコールで投げられる花と一緒である。袖に入り興奮おさまらないという気持ちより、バレエがこれ程までに高みある芸術であったのかということが驚きで胸に突き刺さり、自分のこれまでのバレエ観の愚かさを悔やんだ。私はこのコンクールで得たさまざまな経験をとおしてクラシックバレエの尊厳を10代半ばで知ることができ、その時にこの素晴らしき芸術と一生ともに歩んでいこうと心に誓ったのである。

 世界でもっともバレエコンクールが盛んな国となった今、ただ興行として主催者の思惑で実施されることにうんざりする。あのモスクワのコンクールは今は知らないが当時なんと参加費はタダであった。まさにクラシックバレエの国際的普及のために行われたのである。今後のコンクールの在り方についてもぜひこのコラムを読んで考えていただきたい。

・・・おまけ

ロシア
 コンクールを終え日本に帰国する際、ひとりの若い男性ダンサーが私のところにやってきて「おめでとう」と言って一冊の絵本を笑顔で手渡してくれた。それはボリショイ劇場の歴史を綴った素敵なものであった。私は彼に何度も”スパシーバ”と御礼を言い、かたい握手を交わした。

 数年後、ボリショイバレエ団東京公演「白鳥の湖」を観に客席にいた私は王子が出てきた時に目を疑った。 
プリンシパルダンサー、ヴァシュチェンコで、私に絵本をくれた彼であった。

◆2016年 7月

 5月のゴールデンウィークの頃の話に戻るが、松山バレエ団公演「ロミオとジュリエット」全幕を観る機会に恵まれた。バレエ団の清水哲太郎総監督から声をかけていただきお誘いいただいた。舞台は美術・装置が豪華絢爛で出演者も多彩で、演出も造詣が深く、主演の森下洋子さんが可憐で期待を超えた出来栄えであった。なぜ日本バレエ界の礎を築いた方から声をかけていただいたかというと話はかなり昔にさかのぼる…。

 清水哲太郎先生は少年の頃の憧れの男性ダンサーのひとりであった。私が中学・高校生の頃の日本のバレエ界はどこも活気に満ちていた。牧阿佐美バレエ団、東京バレエ団、松山バレエ団、スターダンサーズバレエ団、東京シティバレエ団、そして父の主宰するユニークバレエシアターといった東京を本拠地とする各バレエ団はオペラ、バレエを主とする第二国立劇場立ち上げに向けて我こそがそこで明日を担うバレエ団だという気概で存在感を示し、それが切磋琢磨されよい刺激になっていた気がする。
 私がバレエを始めて最初に憧れたダンサーは当時父の一番弟子であった金森勢先生で、その後牧阿佐美先生のもとで指導を受けるようになってからは三谷恭三さん、今村博明さん、池亀典保さん、さらにさまざまな公演に観に出かけるようになってパイオニア的存在の深川秀夫先生、ドラマティックなダンサー堀登さん、海外帰りの篠原聖一さん、中島伸欣さんといった気鋭で大人の香りに満ちた男性ダンサーに惹かれた。その後それら先輩ダンサーたちとは私の一途な気持ちが通じた?のか同じ舞台に立つ機会にも恵まれ今も親交が続いている。
 ただ清水哲太郎先生とは同じ作品で舞台に立つことは結局一度もなかった。彼は松山バレエ団の芸術監督を務め、全幕バレエをすべて自分で演出・振付・主演をこなす舞踊家で当時国内で最高のバレエダンサーであった。初めて観たのが「コッペリア」全幕の主人公フランツ役で溌剌とした踊りで、男性のパ(技)でレヴォルヴァーというジャンプを国内で初めてマスターして観客に披露したことを鮮明に覚えている。またくるみ割り人形全幕でも独特の雰囲気を醸し出した素敵な王子は忘れられない。その中でも森下洋子さんと踊ったミハイル・フォーキン振付の「薔薇の精」の観に行ったときの深い表現力が脳裏に焼きつき離れず、私がローザンヌバレエコンクールで受賞してニューヨークへ行く直前の国内最後のユニークバレエシアター公演で「薔薇の精」を選び、その演出・振付・指導を思いきってあつかましくも父を通して哲太郎先生にお願いしたことがあった。彼は忙しいなか快く引き受けてくれて毎回厳しくリハーサルをしてくれた。たまに松山バレエ団のカンパニークラスまで受けさせてもらい、その時はいつもバーは隣り合わせで立ってくれて、まるで兄のように接してくれてありがたかった。そして何と本番ではメイクまでしてくれたのには感激した。哲太郎先生は長く北京舞踊学院に留学されていたこともあり、舞台メイクはとても東洋的で素敵で今でも忘れられない。リハーサル以外でも気さくに話しかけてくれて「おい充、ガールフレンドはいるのか?」とかそんな話題まで口にしてくれ人間味のあるよき兄貴的存在でもあった。本番は2日間にわたり、初日の出来は力みすぎてひどく叱られこちらも落ち込んだが、2日目はダメ出しを受けて素直に直し踊ったら「昨日と全然違うじゃないか」と手放しで褒めていただけたのがとても嬉しく、今でもあの時の笑顔が忘れられない。実は彼も私が留学したニューヨークのスクール・オブ・アメリカンバレエに留学した経験があり、のちに私の師となったデンマーク人名教師スタンリー・ウィリアムズ先生のもとで研鑽を積んでおられていた。
 あの時の出会いは今思うとたいへん貴重なものであった。「いつしかアメリカから戻ったら哲太郎先生のもとでバレエがしたい…」と思いめぐらすようにもなっていたことを覚えている。しかし人生とは儚いこともたくさんある。私のひとつちがいで前年に同じローザンヌ賞を受賞した貞松正一郎君がロイヤルバレエスクールに留学し、周囲では私とライバル関係的に見られていた存在でもあった。そんな彼が私がニューヨーク入りしたあとに、ロンドンの帰りに現れ「充君、僕はこれから松山バレエ団に入って哲太郎さんのもとで頑張るからね」と言い残して帰国していった。その時何だか椅子取りゲームに破れたような感覚にもなったことも遠因なのか、その後哲太郎先生と一緒になる機会はやって来なかった。
 ただその10年後私がバレエ界を席巻して大活躍した(あくまでも勝手な思いこみだが)頃、1年でもっとも活躍したダンサーに贈られるグローバル森下洋子・清水哲太郎賞という賞をいただいた。この賞は双子の兄の元や親友の熊川哲也君、ローザンヌ賞同期の吉田都さん、高部尚子さんが受賞されている誉れ高き賞で、哲太郎先生自ら私を選考したとあとから聞き、あの時以来何も恩返しをしていない無礼を恥じ感謝の念にたえなかった。
 長い話となったが、実はこの5月はそれ以来の再会でもあった。終演後私は舞台袖を通され、彼と久々の対面を果たし「おーい!充!」と強く手を握りしめ、しばらく離してくれなかった。その握りしめた感触が本当にうれしく、その時の笑顔はまさにあの薔薇の精で褒めていただいた時の顔そのものであった。

 今西麻布にある私のバレエスタジオHORIUCHIの壁には天使の彫刻が張られている。今から30年前、私が踊った薔薇の精の上演の際、舞台美術を担当していただいたのが名匠朝倉摂さんで、あの有名な薔薇の精が現れるシーンでなくてはならない舞台装置である窓の縁に飾られていたものである。清水哲太郎先生にはいまだにあのときの恩返しは出来ていないのだが、私が舞踊人生のなかでももっとも大切な舞台であった証として残し、そこで今なお私は舞踊活動を続けているのである。



◆2016年 6月

 今年も東京を中心にフランス国際映画祭が開かれる。日本では外国映画といえばアメリカ映画と決まっていてファンタジーやSF娯楽作品やアドベンチャーものなどがかならず上映している。私もかつてアメリカに5年間滞在していたときは映画をよく観に行き、日本に戻ってからも話題作には足を運んでいた。もう5、6年前の話になるが、ハチ公の米国版「HACHI」や「ベンジャミン・バトンの数奇な人生」などはバレエダンサーやレッスンピアニストが主人公で、それが身近に感じて楽しく今でもたまに見ている。若い頃は「バック トゥ ザ フューチャー」や「ターミネーター」に夢中になったもので、自作のバレエ作品にそのタイトルを真似たり、作品の雰囲気を醸し出したり、自身の振付にも影響を受けた。

 今はフランス映画が好きだ。バレエ作品でドラマを手掛けるようになり、台本を読みあさることもあるが、フランスの戯曲台本を読むと、かならずまず主人公の独白から始まる。まるでアニメやドラマの始まりのあらすじを説明するような感じなのだか、それがひとりの主人公の語りによってストーリーの3分の1ぐらいを一気に語られる。本を読むときは特に感じなかったのだが、それが映画になるとその独白の場面が注目すべきところなのだ。映画が台本と同じ語りから始まり、その話に合わせた情景や出来事が映画音楽とともに展開される。その映像各シーンで映画監督や映画音楽家、また俳優たちの芸術的知性や感性が発揮され、季節に合わせた街並みや公園などの風景、またそこにいる俳優たちの演技が、ドラマティックな舞踊作品のように映り、どの作品も10分ぐらい続くが実に美しいのである。フランス映画の特徴はまさにそこで、毎回それが楽しみで開演直後がわくわくする。
昨年の公開作品「彼は秘密の女ともだち」と「ポヴァリー夫人とパン屋 」とも冒頭のシーンは素敵で期待を裏切らなかった。さすがバレエの母国フランスで舞踊芸術のセンスはこんなところからきているのかもしれない。この映画祭がなければあまりフランス映画を観る機会はなかなか得られないのでお見逃しなく。



◆2016年 6月

 今年も堀内充バレエコレクション2016公演を無事上演することが出来た。毎年双子の兄である堀内元とふたりで作品を分けあって上演していたが諸般の理由で今年は私のバレエ作品5演目の上演となった。

 今年の出演者は過去4年間最多の50名で東京・西麻布のバレエスタジオも連日にぎやかにダンサーが出入りして稽古も熱気を帯びた。今回は全部私の作品だったためにダンサー全員と関わることが出来たのが収穫であった。またいくつかの作品はバレエミストレスを置かず、直接振付から稽古指導まで携われたのでダンサーとコミニュケーションが取れ、アーティスト同士の交流が出来た気がする。
 勤める大学でも年間5本ぐらい作品を振付しているがバレエミストレスは置いていない。そこは教育と実践の場でさまざまなアドバイスこそが大切になり、またダンサー側の教え子たちが授業としての受講姿勢の評価に関わってくるからでもある。それが自分のなかで慣習的になっているためか、通常の公演時に振付家は棚上げされてむしろダンサーは本番が近くなるにしたがってバレエミストレスと親密になってしまうこともあり、それに寂しさ?めいたものを感じてしまうのである。演劇の台本・脚本家、あるいは音楽の作曲家と同じような扱いは振付家は受けたくないものである。ダンサーの生身の身体を目の当たりにしてその場であれこれ振付をし、考え込んでそのダンサーたちが夢に出てくることもしょっちゅうで一方的な片想いかもしれないが、そんな想いに馳せるのが振付家の姿である。何だか他愛のない独り言になってきたのでやめておく。

 公演は各作品ダンサーたちの熱のこもった踊りで胸が熱くなった。自分がプロデュースする公演は昔からいつも本番は客席から観れないが舞台袖で見守っている。ジョージ・バランシンはほとんど客席には行かずミスターBと書かれた専用スペースと椅子が袖に置かれていた。今自分もバレエ振付家となり、その気持ちがわかるようになった。

 「ロマンシング・フィールド」は私がダンサーとして絶頂期の頃、フットライツダンサーズというダンサーズグループを結成して大阪と東京で公演を行っていたときに振付した思い出深き作品で初演当時、この作品らが評価されてグローバル森下洋子・清水哲太郎賞を受賞したものでもあった。若い感性を生かしてセントラルパークで過ごす男女5組の姿を寓話や月に寄せる想いなどを重ねて描写した。

 「バレエの情景」はストラヴィンスキーの同名の音楽をバレエ化させたもの。音楽は情動に満ち、また終末に向けた嘆きにも聞こえる主題と変容が印象的で、バレエブランの持つ儚い夢と重なり、幻想の世界を構築した。しかし自分の作品に対する思想に気になるところもあり、かつて同名のアシュトン版をロイヤルバレエ団で主演した親友に意見を求めた。彼は自身のバレエ団の活動にあわただしいなか返事をくれ、丁寧に答えてくれこの新作づくりに「頑張って!」と励ましてくれた。この言葉に勇気づけられたことはいうまでもない。

 「ラプソディ・イン・ブルー」はこのコラムにも書いたように昨年初演した再演作品。昨年のプレミアムガラという公演で出会った、今や仲間といえるダンサーたちに加えて本公演のキャストを新たに加わって上演した。やはり私のニューヨーク時代の話や作品意図を毎回彼女たちに語りながら進め、リハーサルも充実したものになった。

 「Les chemins」は毎回、私が踊る自作のデュエット作品、今回で4作品目で、昨年の「夕星のうた」、一昨年の「flowersong」と悲恋の主題が観客の共感を得たが、今年は一転ユーモアある愛の機微を描かせてもらった。音楽は“愛の小径”を起用し、文字通り、散歩道に引っかけて男女の恋の駆け引きを表現させてもらった。私はもちろん?好きな女性を追いかける男性を演じた。毎年のラインナップをみると実らぬ愛が私のテーマなのか…。

 「パリジェンヌのよろこび」はカンカンダンスをあくまでもショーのようなダンスにはせず、ポアントシューズを用いたシンフォニックバレエの上演を目指した。30数年前に父が「アロンダンセ」という仏語で「踊ろうぜ!」というタイトルで振付し、私が姉と共演した思い出深き作品でもあったが公演6日前に永眠し、くしくも父を追悼するかたちとなった。女性ダンサーたちは華やかにシンボルカラーであるオレンジ色に、男性ダンサーは紺色に染まりながら熱演してくれた。なおその女性が着用した衣裳もすべて私の母が製作したもので、観客の皆様にその衣裳をおみせすることが出来たのもうれしかった。

 本番当日は観客席でも毎年さまざまな顔ぶれの著名人の方々がみえて下さる。各バレエ団芸術監督の方々をはじめバレエ関係者はもとより、舞踊家・音楽家、プロデューサーや毎年10名を超える舞踊評論家、また演劇演出家、指揮者、作曲家、俳優や女優やオペラ歌手、舞台美術家、大学教授や高校教員、芸術大学生、文芸作家、漫画家にカメラマン、元体操オリンピック選手までと実に多彩な芸術家が集まり、休憩時間ではそれぞれが交流されている。かつて昭和の時代に夕刻になると美術展や音楽コンサートといったところに音楽・文芸・演劇のアーティストたちが集いロビーやそのカフェがサロンとなり芸術家同士が親交を深めていたことを父から聞いたり三島由紀夫の愛読書から知っていた。私が望むのはまさにバレエ公演もそのような芸術家のサロンとなることであり、来年以降もさまざまな方々をお迎えしたいと願っている。
終演後は劇場そばの食事処を貸し切り、夜遅くまで若い出演者たちと公演の打ち上げ会を行い、短いながらも充実した稽古の日々、そして本番を労いながらみなと楽しい一夜を過ごした。



◆2015年 5月

5月に東京で行われるプレミアムダンスガラと題したバレエ公演に振付を依頼され作品を発表することになった。公演を企画したのは同じバレエダンサーの西島数博君で、彼とは親交が深く、若い頃ともにサンフランシスコバレエ団に招かれ同じ作品を踊ったことがあり、以来お互いそれぞれ出演する舞台にはよく応援にかけつける仲になり、そんな彼が自身の公演をすることになり声を掛けてくれた。作品も彼自身がガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」を振付して欲しいというもので喜んでお引き受けした。
そのためのオーディションが開かれ、女性13名を選考させていただき、主役級の男女1組のダンサーを加えて都内のバレエスタジオでリハーサルを行なった。友情で結ばれて順風満帆で行くはずと思われたが思わぬことが次々と起こった。まず音楽は素敵なジャズ音楽ながら、いざ舞踊化させるにはなかなかの難解で百戦錬磨?の私でも手こずることが多かった。それに加えなぜかこのリハーサルではスタジオ手配の手違いが多く、振付の最中に稽古を突然中止させらたりアクシデントが絶えなく、紆余曲折の稽古の日々が続いた。
しかしである。ほとんどのダンサーと初顔合わせで、またダンサー同士も初めてながら、かえってそれが作品完成に向けて熱い気持ちを奮い立たせ主役を務める柴田有紀さんをはじめ一致団結し、振付を無事進めることが出来たのである。こうして稽古をさせていただいたスタジオ主催のスタジオパフォーマンスを経て作品も完成して、異例の本番前に夕食会まで開いてみんなで素敵な時間を共有した。その時マジックショーがあるレストランに出演者全員を招いたのだが、それもあって一同大はしゃぎであった。一期一会とはまさにこのことで、本番もダンサーの力が結集して作品に大輪の華を咲かせてくれた。

◆2015年 4月

4月になり暦では新年度が始まった。毎年勤める大学で卒業制作の授業を担当している。卒業制作公演があり、その中で舞踊を専攻している者は当然舞踊作品を取り上げる。よって舞踊作品を創作するにあたりそこでさまざまな作品の指導にあたるのだか、私自身この科目を担当して14年目を迎える。これまでに実にさまざまな作品を見てきて平均して毎年4-5作品なのでその数は50作品前後になる。1作品20-15分ぐらいの上演時間で10-15名ぐらいのダンサーで作品は構成される。ほとんどがモダンダンス手法である素足を原則としている。しかし指導教員の研究専門がバレエ、ダンスクラシック技法による振付であるため、バレエ作品、ポアント作品をつくりたがる傾向があるが舞踊学の根底は素足によるモダンダンスが基準であるからなるべくその方向で取り組ませている。

毎年卒業制作を見守りながらさまざまなバレエ、ダンス公演観てきて感じることだが、わが国のダンスシーンは実に多様で今やストリートダンスやコンテンポラリーダンスの分野はほんとに日本人なのかと疑いたくなるような破天荒な作品が氾濫している。この道の先輩として言わせてもらえば、やはり首をかしげることが多い。かつてアメリカに5年間いたこともあり、祖国を離れた経験から自身の民族について問われたり、問いかけることが今の世代には薄れている気がしてならない。若い世代だからといって現代社会のに反映される多国籍的な奔放な作品カラーを生み出すことが使命ではない。むしろこれからの時代、とくにオリンピック開催を担う国としてより自国の民族性、カラーというものを大切にしなければならないのではないか。芸術とは美しくしようと思考した瞬間に発生するものである。ただ生きる瞬間を噛みしめるダンスを目指すだけのものはそれは“行動”に過ぎない。テレビなどでぜーぜーハーハーしながら動いたり、無意識に近い手振り身振りする姿をダンスとして受けとってしまうことをよく目の当たりにするが、それはダンスではない。かならず美と向き合う時間をしっかりかけ、創造しなければならないと常に学生にアドバイスしている。

日本には“舞踊”という素晴らしい言葉がある。このことばの真意をさぐることがわが国の民族性あるダンスを追求することに繋がると信じている。大阪芸術大学舞踊コースの専攻課題はまさにそこにあるのである。



 
 

◆2015年 3月

2月下旬に今年も大阪芸術大学院舞踊コース卒業舞踊公演が行われた。毎年チケットは完売で観に来られない方々が多く今回初めて2日間にわたり上演した。それでも出演者たちの宣伝努力もあり、両日とも満席で合計1000名近い観客で溢れた。上演作品は「ホテル・モーツァルト」「アルルの女」「ラ・バヤデールより宮殿の場」「パキータ」や卒業制作作品、モダンダンスなどラインナップし、恒例のフィナーレでは大きな拍手を受け涙なみだの幕切れとなった。
卒業する20名は東京へ上京してバレエ団を目指す者やテーマパークで新しい活動の場に向かう者、そして大学院に進学する者などさまざまである。卒業とはいえこれら若き芸術の挑戦者たちを引き続き温かく見守っていきたい。

◆2015年 2月

新年というのにつらい気持ちで取り組むふたつの舞台があった。それは青山劇場・青山円形劇場のふたつの劇場が閉館されることになり、どちらもその最終公演に関わらせていただいたことだった。

ひとつは毎年年末と年始にかけて行うこどもの城・青山円形劇場主催のファミリーオペレッタ最終公演「夢の国のちびっこバク」で、高円宮妃殿下原作のオペラ化したものでバレエシーンを振付担当させていただいた。年末年始は高校生から小学生まで選考されたジュニアダンサーにバレエを振付することが恒例となっていて毎年楽しみにしていた舞台でもあった。
この劇場は今から27年前に劇場開場記念バレエ公演の際に振付作品を出品・出演させていただいて以来、さまざまなバレエ・ダンス公演にダンサーとしていちばん最盛期の頃に出演させていただいた思い出深き場所であった。近年では玉川大学芸術学部パフォーミングアーツ公演でも後輩バレエダンサーたちに毎年必ずバレエを振付し上演させていただいていた。
演出・脚本・主演をすべて引き受けていたオペラ歌手の吉村温子さんは私の恩師のひとりである同劇場プロデューサーの故高谷静治さんのご夫人で長くこの公演をライフワークのように取り組んでおられていただけにご本人の無念さを思うといたたまれない気持ちでもあった。本番初日は演出を担当された私の尊敬する舞踊家の名倉加代子先生と高円宮妃殿下と3人並ばせていただいて観賞し、公演を見守らせていただいた。

もうひとつは同じくこどもの城・青山劇場主催の青山バレエフェスティバル最終公演が1月下旬にあり、そちらも振付・出演させていただいた。すでにこのフェスティバルは10年ほど前に閉幕したがこの閉館を前に、日本のバレエシーンを牽引した姿を最後にもう一度観客にアピールしようと行われたもので、こちらも長きに渡り関わらせていただき、とくに芸術監督を務めさせていただいただけに名残惜しい限りであった。双子の兄堀内元やこの公演をきっかけに親友となった熊川哲也君、バレエキャリアのなかで長いあいだ良きパートナーとしてペアで踊ってくれた渡部美咲さんや多くの恩師、先輩、後輩との思い出は尽きない。
またフェスティバルだけでなく、名倉加代子ジャズダンス公演やホリプロバレエ公演、ミュージカルなど数多くの公演に出演させていただき、最近でも大阪芸術大学東京公演でもバレエシーンを教え子たちに振付をしてきただけに、この最後の舞台に立てたことは有意義であった。
ただ、今回の公演はかつての出演者が一同に会したわけではなく、ベテランから若手まで今の国内のバレエ界の第一線で活躍するアーティストが集結しただけあり、こちらもしっかりと踊ることに必死でそんな感傷に浸る余裕など全くなかった。そんななか最後の全員によるカーテンコールではやっと気持ちが高揚して、皆が一斉にレベランスときに笑顔いっぱいにバンザイジャンプをしてしまい、観客がどっと沸いた。終演後に多くの関係者からそれを話題にされてしまったが自分の中ではあまり特別なことをしたわけではなく、若い頃この劇場でたくさんはしゃがせてもらってきたので、たまたまその時の側面がいつも通り出ただけであったのだ。劇場も喜んでくれたかなぁ。

◆2015年 1月

12月になるとめっきり冷え込んできてダンサーもそれぞれレッスンやリハーサル前の手入れ、ウォームアップも入念に行わなければならない季節となった。
ニューヨークのバレエ学校時代、いつもレッスンの40分ほど前にスタジオに入っていたがマンハッタンの冬は厳しく、スチームが入っているとはいえ、さすがに広い学校のスタジオは寒さが身にしみた。当時は今のようにセラバンドやストレッチポールを使ったトレーニング法はまだなく、各自思い想いのやり方でストレッチをしていたが、当時から学校帰りにスポーツクラブに週4回通っていたこともあり、体幹づくりは心得ていてそのやり方は今とさほど変わっていなかった。そんな寒さのなかで最後に先生とピアニストがスタジオに入ってくるとわれわれ生徒たちは一斉に立ち上がり、無言でそれまで来ていた上着を脱ぎレオタードシャツとタイツだけになり早くもバーにつかまり、ファーストポジションとなる。そして静寂のなか担任のデンマーク人のスタンリー・ウィリアムズ先生が口を開くのを待つ。彼は始めるまでいつも気持ちが向かうまで何もせず思慮深く一点を見つめていることが多く、時には数分止まっていることもある。そして「オウケイ、エンドゥ…」という静かな一言でレッスンが始まる。今思うとこの瞬間がたまらなく嬉しかった。今日もバレエに触れられるのだという気持ちになりながらファーストポジションとアンバーに全霊を注ぐ。バレエダンサーにとってはこのポジションは一番ではない。ゼロなのだということをニューヨークで初めて知った瞬間でもあったのだ。

ローラン・プティの振付で知られる「アルルの女」を12月の大学学内公演で振付した。アルルはフランスにある田舎町でゴッホが愛した土地でもあり、彼はそこで多数の絵を描いた。昨年のフランス研修旅行でゴッホのゆかりの地や彼が眠る墓を訪ね、美しいビゼーの音楽にも惹かれ、いずれ振付をしてみたいと心にしまっていたが、この夏、熊川哲也君の誘いで渋谷オーチャードホールガラ公演で舞台づくりに関わらせていただいた際、彼の踊るフレデリ(アルルの女の主役男性)を観てその素晴らしさに胸を打ち、よし創ってみようと意を決して取りかかったのだった。ちょうど偶然にも上演前に大学演奏会で演奏を聞く機会もあり、大学舞踊コース生の教え子たち全員を引き連れて鑑賞もした。台本では主人公はアルルの女というタイトルながらその女性は一切登場しないが、自分の演出ノートとして、ロミオとジュリエットのように民族の対立を絡ませて主人公の男女の姿や周りを取り囲むダンサーたちの踊りを構築した。本番ではダンサーたちみんなが熱い気持ちでのぞみ、主題に迫ってくれたのがうれしかった。

12月下旬には毎年恒例のバレエ「くるみ割り人形」全幕を振付し、栃木県宇都宮で17年連続の上演を果たした。今年は雪片のワルツの雪の精の踊りや、スペイン、アラビアといったディベルテイスマンを再振付しよりダイナミックなものになった。地元ダンサーに加わって私のかつての東西の大学の教え子たちが活躍して華を添えてくれた。この公演では毎年演出振付をさせていただき、今後も1年でも長く続いてほしく、この宇都宮でバレエくるみ割り人形が地域文化の発展の一助となることを願っている。雪が降るなかバレエを観て宇都宮餃子を食べて帰る・・・そんな旬なことをぜひ体験してください。

◆2014年 12月

10月は芸術の秋と謳われているのだか、正直言ってこの季節それを実感するほど芸術に浸ったことは普通のひとはあるのだろうか。おそらくそんなひとは評論家やジャーナリストとして仕事として招待券を手に取って劇場に出入りするほんの一握りの人間たちに限られているのではないか。スポーツのように時間かけて勝負するものと違い、芸術鑑賞は四季問わずするものであってほしいものだ。この10月に5本ほどバレエ公演を拝見しながらそう思った。

そんななか一番印象に残ったものはKバレエカンパニーのバレエ「カルメン」であった。舞踊・美術・音楽の三位一体の躍動が感じられた。いつも思うことだが、よい舞台に出会いながらその後の舞踊関係のメディア・書籍などの評論を読むとがっかりすることが多い。いちばん聞きたいのは身近な観客としての声を聞きたいのであって、くねった言い方してほめたり、あるいは中傷したりするものなどは読みたくもない。舞踊家でありながらふたつの大学で教壇に立ち文章に触れる仕事も多く、それらの評論を読むと首をかしげることが多い。

ふたつの大学でそれぞれ学内舞踊公演があった。手掛けたものは大阪芸大ではラ・バヤデール幻影の場で、毎年のように上演しているが、バレエ学生の頑張りはもちろんだか、舞台美術学生約20名もこのシーンをオリジナルデザインし、わずか1名しか選ばれない舞台装置実現に向けてしのぎを削る。競争がはげしいだけあって毎年素晴らしいセットに出会える。弱冠二十歳の描くバヤデールのヒラヤマのシーンは実にみずみずしい。今年も舞踊コース生たちは見事にバヤデルカ、ソロルを演じたことも付け加えておきたい。

玉川大学舞踊公演では能の“胡蝶”をバレエ化に取り組み「blossom」と名付けた作品を振付し上演をした。こちらも梅の木の装置や精たちや女性法師の衣裳や効果音まですべて同じパフォーミングアーツ学科生によるもので、こちらも若さ溢れる創造性ゆたかな舞台となった。国内の文化祭や芸術祭といったものは出品者のみが評価される対象なのだか、今は名もなき彼女彼らたちが作り上げるものこそが未来に向けた芸術創造の源であるはずで、評論するひとたちはそんな彼女たちを評価すべきでこのような瞬間に立ち会って広く芸術を愛するひとたちに伝えてほしいものである。

◆2014年 3月

2月下旬に第29回大阪芸術大学卒業舞踊公演が行われ、今年も500名を超える観客が集まり、盛大に行われた。今年度卒業生による卒業制作作品や、「ジャズコンチェルト」「カルメン」「グラズノフスィート」といった私の振付作品などを上演させていただいた。4学年総勢80名近くの全舞踊コース生出演によるもので、一昨年まで大阪国際交流センターという市内で学外公演を行っていたが昨年から大学内の専用劇場で上演となった。大学舞踊コースの高いレヴェルをもっと知ってもらうためにも再び学外公演で上演したい想いもあるが、舞踊コース生はこの公演に対して自分自身のキャリアのなかでももっとも大切なものと位置づけ、全身全霊を持ってのぞんでくれたことが素晴らしく、今や公演名物となったフィナーレで光り映し出される彼女たちの姿に今年も胸が熱くなり、幕が下りるまで観客は惜しみなく拍手を送っていた。この模様は今年も芸大テレビでも収録し、今でもネットで配信しているのでぜひ覗いてもらいたい。

 
堀内元・堀内充バレエコレクションと題した公演を今年も5月に行うことになり、さっそくそのリハーサルを開始した。

◆2014年 2月

今年の冬は寒く冷たかった。特に乾燥した空気が身にこたえる。ダンサーにとっても保湿は大切だが、ニューヨークにバレエ留学していた頃、今こそ温暖化であまり降らなくなったが、当時のニューヨークはもともと日本の緯度では青森あたりであることから冬になると雪がよく降り、バレエ学校の授業を終え外に出るとまだ汗で湿っている髪の毛が瞬く間に凍ってしまうほどだった。しかしアパートに戻るとスチームという暖房設備があり、これはニューヨークのどこのアパートもそうであったが管理人の判断で勝手に入れられるので部屋はポカポカ暖かく、時には外は雪なのに中はTシャツ1枚なんてことはしょっちゅうであった。蒸気がわき出てくるので、ダンサーにとってはありがたく、モスクワのホテルでも同じような体験をしたことがあり、欧米人の生活にカルチャーの違いを感じ、当時ダンサーの実力差もこんな生活環境からもあるのだと思ったものだった。今はエアコンで自分たちの意思で温度調整し、加湿器までそろえなくてはならず、必ずしも昔は不便なことばかりではなかった。

ローザンヌ国際バレエコンクールで今年も若き日本人がたくさん大活躍したことが大きく報道されていた。素晴らしいことで、むかし私も吉田都さんとダブル受賞し、今ほどではないがテレビや新聞に取り上げていただいた。しかし、あの頃を振り返るといい思い出ばかりではない。日本で受賞によって周囲にもてはやされ、意気揚々とニューヨークに留学したが、バレエ学校に入ると誰も自分がローザンヌ受賞者だとは知らず、それどころから全米やヨーロッパから学校オーディション(日本でいう入学試験)で選抜されて集まった優秀なダンサーばかりで、自分より2倍ぐらいの体格や美貌な者ばかりで圧倒されてしまった。ローザンヌで1番2番になっても学校ではその他大勢のなかに過ぎず、その年の最後の学校公演でも主役どころか、出演できるのが精一杯であった。ただこんなたいへんな想いにさせられたのは自分自身の甘えもあるが、日本の報道があまりにも掻き立てすぎたことも一因だったかもしれない。今、まさに今年の様子もそうで、テレビでも大げさに「世界一おめでとう!」とか言われていた。あくまでもローザンヌコンクールは本当に優秀なダンサーはすでに世界一流のバレエ学校に所属していて出場していない。コンクール受賞はダンサーにとってはスタートラインに立ったに過ぎず、バレエ団に入って主役を射止める保証はどこにもない。どうか周りはほどほどに祝福して今後の彼らを見守ってあげてほしいと願うのである。

>>>>>時事放談2013

◆2014年 1月

今年も秋から冬にかけて多くのバレエ・ダンス公演が盛んに各地で上演されている。ローザンヌコンクールで奨学金を得て付属のバレエ学校を卒業したニューヨーク・シティ・バレエ団も来日し、バレエ界は大いに賑わっている。そんな中ふたつの大学公演で私も初演再演ものを含め3つの振付作品をつくり、ダンサーたちと共に汗を流した。
またクリスマスシーズンにもバレエ「くるみ割り人形」堀内版全幕を今年も栃木県宇都宮で上演を果たした。今年も王子役は牧阿佐美バレエ団のプリンシバルダンサー京當侑一籠君が務めてくれた。

 日頃からダンサーにはしっかりと観る側に立ち、自己と他者の目で自身を見つめて踊るよう伝えている。「楽しんで踊りたい」などと最近はすぐ口にするようになったが、かつてはそんなこと言える空気は若い世代にはなかった。でもそれは悪いことではなかった気がする。もちろん今や人は楽しみたくてプロもアマチュアも舞台に立つ。しかしバレエは舞台芸術におけるものであり、テレビやイベントで繰り広げられる”だんす”とはかけ離れた芸事の世界にある。踊りが多様化した今こそ、バレエを教える側はしっかりと技術だけでなく、接するためのしきたりやマナーまで厳しく教えなければならない。私が教える大学でもバレエの敷居をつねに高くしており、ドレスコードもヘアスタイルのシニオンはもちろん指定し、レオタードとタイツのみでスパッツなどダンスメーカーが商業向けに宣伝しているスタイルは一切許していない。大学や専門学校で学ぶダンサーたちはいずれ指導者になることを視野に入れているはずで、それを怠ると、楽しむ”だんす”と一色単にされてしまうだろう。バーレッスンの最中に水を飲んで受ける姿勢もフィットネスクラブやカルチャーセンターが健康法を謳っているに過ぎず見苦しく映る。私が若い頃に受けてきたパリオペラ座バレエ学校、ボリショイバレエ団、キーロフバレエ団、スクール・オブ・アメリカン・バレエでもバーでゴクゴク飲んでいる優秀なダンサーはいなかった。「今は時代が違うわよ」と言いたい者は言えばいい。こちらは一流になるための手段ではないよと言っておくし、ビジネスに利用されている自分に気づかずお・ど・ら・さ・れ・続ければとつけ加えておく。

 
 

>>>>>時事放談2012

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