Jyu Horiuchi Ballet Project  

バレエダンサー・振付家  堀内 充の公演活動報告

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時事放談2012

◆2012年 12月

10月の終わりに芸大舞踊コース卒業公演が行われた。約半年間にわたって稽古を積み、4年間の集大成ということもあり、上演した4作品はどれも中身の濃いものであった。何よりも出演者20名がほとんど休憩なく、いわゆる¨出ずっぱり¨でたいへんな忍耐と体力を要するもので、ひとりひとりに「よく踊り抜いてくれた」と労った。終演後の教員と舞踊コース生全員によるミーティングでも涙が多く見られた。

11月に入り、年末に東京文化会館で上演するバレエ「ルードヴィヒ」のリハーサルが相変わらず続く。振付家佐多達枝先生とは20年以上にわたり作品を踊らせていただいている。自分がこの年まで現役ダンサーとしていられるのも先生がおられたからこそで、ダンサーとして求められて舞台に立つことは冥利に尽きる。東京でリハーサルに通う道中では、いつも自分がダンサーとしてもっともあわただしい日々を過ごしていた30代の頃がたびたびふっと思い起こされ、嬉しい気持ちになる。厳しかったニューヨークのバレエ学校留学時代のおかげでもある。だからこそ今主任を務める大学舞踊コースでは教え子たちには厳しい姿勢で臨んでいる。彼ら彼女らのその先にみえる未来に向かって。

11月下旬には卒業公演に続きその舞踊コース学内公演のなかで「ライモンダよりグラン・パ・クラシック」を発表した。出演した2回生はこの作品を深く理解し真摯に取り組んでくれた。この作品はハンガリアンステップが多用されているのが特徴で前述したニューヨークバレエ学校時代に踊った思い出深い作品でもあった。

長く振付活動をしていても時として思わぬことがおこる。玉川大学卒業プロジェクト舞踊公演で振付する新作バレエ「ソナタ」を自宅にこもり、それまで数時間にわたってある音楽を聞いてコンビネーションなど熟慮を重ねていたときに、行き詰まってふとした想いでほかの音楽に耳を傾けた途端、その音楽に吸い込まれ「こっちにしよう…」と思い立ったのである。もう振り移し稽古に出掛けなければならない数分前のことである。そして即座に今まで考えたものを水の泡にし、そちらに没頭した。その結果わずかな時間であっという間に構想・振付が出来上がってしまったのだ。芸術家には時として神が降臨する話を何度も耳にしたことがあるが、まるで誰かが曲の変更を指南したようで、きっとこの体験もそのひとつなのかも知れないと思わずにはいられなかった。今からこの作品を上演する日が待ち遠しくなった

◆2012年 11月

10月に入ると大阪芸大舞踊コースの卒業制作公演や学内公演稽古、玉川大学でバレエを専攻する教え子に振付する新作作品稽古がそれぞれ活発するなか、年末に出演するベートーベン交響曲第九番をバレエ化させた「ルードヴィヒ」のリハーサル、また年末恒例のバレエ「くるみ割り人形」の振付稽古が加わり、あわただしい日々が続く。

ここ数年さまざまなジャンルが交錯して¨DANCE¨というネーミングが曖昧になってきていると感じる。ストリートダンスの力が大きいだろうが、踊る側もかなりハードルが下がり、ダンサーなのかタレントなのか一般人なのか区別がつかない。それらがメディアに氾濫してクリエーターと称して職業として成り立つ動きまで目立つ。実際社会はそれほど甘くないのだか・・・。社会の流れとして仕方のないことかもしれないが、私たちパフォーミングアーツ(オペラやミュージカル・バレエやモダンダンスを主とする舞台芸術の呼称)にそんな勢力を交えてはならない。絵画・音楽・演劇とならぶ舞踊芸術は劇場における舞台上で発揮されるもの、あくまでも額縁のなかで展開されるものだからである。かつて自分の長いニューヨーク留学生活時代に生まれたストリートダンスのルーツを知る者として、そのジャンルのダンスは文字どおり道路や公園、イベント広場あるいはスタジオなどで繰り広げられるべきものであると主張したい。一般人はすべてをダンスとして一緒に括ろう(くくろう)としているが、今こそ専門家は歯止めをかけなければならない。またそのブームに乗ろうとしてわれわれのジャンルもそこへ乗り込むこともあってはならない。私は今後も仲間や後輩、教え子たちとともにパフォーミングアーツの未来を守るためにもまい進する決意である。

◆2012年 10月

8月下旬に「なかの国際ダンスコンペティション」が行われた。毎年このコンクールに出場する新鋭の振付家たちの活躍を楽しみにしていて、今年もさまざまな作品が出品し、審査側も興味深く拝見させていただいた。

9月には大学舞踊コース4回生卒業公演のために振付する「パリジェンヌの喜び」の稽古を開始した。オッフェンバックの同名の音楽にフレンチカンカンダンスを主軸にした作品で、わずか2週間後に大学芸術劇場でキャンパス上演会で試演する強行日程ながら舞踊コース4回生生はみんなしっかり取り組んでくれた。3日間で仕上げるという早さでたいへんだったと思うが、最終日はリハーサル後に天王寺市内で全員で食事会をしてその稽古を労った。その食事会ではみんな大騒ぎしていたのは言うまでもない。

とき同じ夏の終わり頃から京都にも通い始めた。やはり勤めている京都バレエ専門学校主催による「卒業生の会」というバレエコンサートが9月中旬にあり、ダンサーとして出演させてもらうことになり、そのリハーサルのためであった。思いがけない出演依頼で、なぜかといえばバレエ専門学校の理事長でおられる蘆田ひろみ先生とご一緒に踊ることになったからであった。蘆田先生は国内におけるバレエ解剖学の権威でおられ長く親交があり、大阪芸大にも非常識講師として教壇に立っていただいているので力が入らないわけがなく、オペラ・タンホイザーの名曲「夕星のうた」をバレエ化するべく振付させてもらった。騎士ウォルフラムが恋心を抱く主役エリザベートの旅の無事を祈ったアリアで(注:物語では彼女は旅の最中病いに倒れてしまう)で甘くせつない旋律が美しく、本番は台風にも関わらず専門学校生と大学舞踊コース生と双方の学生が多く入り交じって集まり、舞台ホリゾント一面に広がる星模様を背にふたりで精一杯踊らせていただいた。終演後は校長有馬えり子先生、日本バレエ協会長薄井憲二先生、バレエ専門の週刊オンステージ新聞社長の谷孝子先生たちと囲みながら京の風情先斗町そばで出演者たち一同と打ち上げに参加させていただいた。

◆2012年 9月

8月は1~2日札幌で公演リハーサル、2日夜東京に戻り、3~4日は大阪で公演本番、5日に再び札幌に戻って公演本番と目まぐるしい日々を過ごした。

8月4日NHKホール大阪で、大阪を拠点とするY・Sバレエカンパニー公演でバレエ「カルメン」を上演した。公演はダブルビルで「カルメン」は3年前に上演したものを改訂して再演した。このバレエ団は結成わずか5年あまりながらすでに「シンデレラ」「真夏の夜の夢」「ジゼル」と全幕物を、それも関西最高峰の劇場であるNHKホール大阪で上演を果たしている。私も毎年演出振付させていただいているがバレエ団の中心的存在の山本庸督君高井香織夫妻は大学の教え子で、ふたりは在学中にロミオとジュリエットのタイトルロールを踊り、そのままゴールインした素敵な経歴を持ち、卒業後もアメリカのバレエ団で活躍している。バレエ「カルメン」でもホセ役とミカエラ役を演じ、満員の観客から多くの拍手を受けた。毎年このバレエ団公演はバレエ団員や実力派の男性舞踊手ら若いアーティストたちと共に舞台づくり携わることが出来、有意義な時間を共有させていただいている。

札幌の公演は「ドリームオブダンサーズ」と題したもので私の公私にわたる恩師のひとりである久光孝夫先生の主催するバレエフェスティバルで、数年ぶりに振付作品を出品させていただいた。今回ここでも北海道在住の若いダンサーたちが私の作品に果敢に挑んでくれた。友人でもある気鋭男性ダンサーの石井竜一君が芯を務めてくれたのが嬉しかった。

中旬には日本バレエ協会「全国合同バレエの夕べ」という伝統ある公演が東京で行われ、そこで「真夏の夜の夢・結婚の場」を発表させてもらった。久しぶりの生オーケストラによる演奏でもあった。オーディションで選考した女性ダンサーとともに東京で活躍する後輩や友人である男性ダンサーを集結させて踊ってもらったことも楽しい思い出ともなった。この作品についてもいろいろな公演評をいただいた。国内のバレエ水準は国際的にもまだまだだが、公演評論水準も発展途上である。舞踊評論家やジャーナリストで親しい間柄の方は何人かおり、公私にわたってお付き合いさせていただいて学ばせていただいている。ただ端からみてお互い突っ込み合うのではなく、私情抜きで励ましたり支援し合うことが大事で、それがバレエ界の底上げにつながると信じている。

◆2012年 8月

7月は私にとって1年でもっともあわただしい季節である。

今年は夏にバレエ協会主催全国バレエの夕べに振付作品を出品することもあり、日曜日の昼間はバレエスタジオHORIUCHIの公演リハーサルをしてから夜と翌日月曜日はそのバレエ協会のリハーサル、火曜日は玉川大学でバレエ授業2コマ、水曜日から金曜日は大芸大舞踊コースの授業やリハーサルに追われ、大阪滞在中大学後の夜はY.Sバレエカンパニー公演の稽古があり、東京には土曜日の朝帰るといった具合。世の中忙しい人間はたくさんいるので大変だとは決して口には出さないが気を抜くことができないのは確か。

今月は舞踊コース2回生22名がキャンパス見学会上演会で大学芸術劇場で自作のチャイコフスキー組曲を踊った。チャイコフスキーは若き頃、老バレエマスターのマリウス・プティパのためにたくさんのバレエ音楽を手掛けた。プティパとは親子ほどの年齢が離れていたと聞く。だからこそ若きチャイコフスキーはプティパの意図を忠実に従ったのだろう。三大バレエをはじめ多くの作品にはプティパ原振付が数多く存在し、いつの時代になろうとこの振付は不変であるべきだか、90年代以降さまざまな改訂版、それどころか全編振付しなおす傾向になった。もはや伝統文化を守る姿勢はそこにはなく、新しい現代版としてつくり直している。そのことについてはまたあらためて論じることにして、私自身でかき集めたチャイコフスキー音楽を用いてシンフォニックバレエを振付たものを踊ってもらった。ダンサーたちは振付の意図を汲み真摯に踊りきり、当日たくさんの観客で埋まった客席から大きな拍手を受けていた。

下旬にバレエスタジオHORIUCHIのワークショップ公演が五反田ゆうぽうとであり、スタジオ生とともにバレエ「CARNIVAL」を上演した。これは1992年にユニークバレエシアター公演で父堀内完が振付したもので、原作ではディアギレフ・ロシアバレエ団がニジンスキー主演で初演している。20年ぶりアルルカン役で出演させてもらった。父が私につくってくれた役でもあり、この作品を本公演でふたたび取り上げることになった際、アルルカン役に決まってからはいつもより肉体訓練に余念がなく毎回のリハーサルはとても感慨深く、相手役のコロンビーヌを務めた城野有紀はバレエ団トップの高い表現と技術を持つダンサーでもあり、本番ではお互い実力を発揮し満足のいく出来で観客から多くの拍手をいただいた。

他に舞台では大阪芸大ミュージカル「日陰でも110度」が大阪城公園そばのシアターブラバで上演し、2幕冒頭のバレエシーン約10分の振付をし、教え子である舞踊コース3回生が舞台いっぱいに踊り、熱演し大きな拍手をいただいた。自分でもこのダンスナンバーはとても気に入っていて、自ら楽譜をもとにバレエ用に編曲して演奏していただいたほどで原作のブロードウェイ版と比較してもらいたいほどである。残念ながら観たことはないけれども。この公演の劇場入りしてからも稽古を怠ることせず、3日間毎日リハーサル室でバレエカンパニークラスをしてから本番に臨めたことも意義深かった。大阪芸大舞踊コースの存在はまだまた東京には知られていないところが多いけれど、大学のバレエコースでは国内最高の実力を持っている。ぜひ大学内外における公演を観に来ていただきたい。

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