2014年12月
10月は芸術の秋と謳われているのだか、正直言ってこの季節それを実感するほど芸術に浸ったことは普通のひとはあるのだろうか。おそらくそんなひとは評論家やジャーナリストとして仕事として招待券を手に取って劇場に出入りするほんの一握りの人間たちに限られているのではないか。スポーツのように時間かけて勝負するものと違い、芸術鑑賞は四季問わずするものであってほしいものだ。この10月に5本ほどバレエ公演を拝見しながらそう思った。
そんななか一番印象に残ったものはKバレエカンパニーのバレエ「カルメン」であった。舞踊・美術・音楽の三位一体の躍動が感じられた。いつも思うことだが、よい舞台に出会いながらその後の舞踊関係のメディア・書籍などの評論を読むとがっかりすることが多い。いちばん聞きたいのは身近な観客としての声を聞きたいのであって、くねった言い方してほめたり、あるいは中傷したりするものなどは読みたくもない。舞踊家でありながらふたつの大学で教壇に立ち文章に触れる仕事も多く、それらの評論を読むと首をかしげることが多い。
ふたつの大学でそれぞれ学内舞踊公演があった。手掛けたものは大阪芸大ではラ・バヤデール幻影の場で、毎年のように上演しているが、バレエ学生の頑張りはもちろんだか、舞台美術学生約20名もこのシーンをオリジナルデザインし、わずか1名しか選ばれない舞台装置実現に向けてしのぎを削る。競争がはげしいだけあって毎年素晴らしいセットに出会える。弱冠二十歳の描くバヤデールのヒラヤマのシーンは実にみずみずしい。今年も舞踊コース生たちは見事にバヤデルカ、ソロルを演じたことも付け加えておきたい。
玉川大学舞踊公演では能の“胡蝶”をバレエ化に取り組み「blossom」と名付けた作品を振付し上演をした。こちらも梅の木の装置や精たちや女性法師の衣裳や効果音まですべて同じパフォーミングアーツ学科生によるもので、こちらも若さ溢れる創造性ゆたかな舞台となった。国内の文化祭や芸術祭といったものは出品者のみが評価される対象なのだか、今は名もなき彼女彼らたちが作り上げるものこそが未来に向けた芸術創造の源であるはずで、評論するひとたちはそんな彼女たちを評価すべきでこのような瞬間に立ち会って広く芸術を愛するひとたちに伝えてほしいものである。