2015年1月

12月になるとめっきり冷え込んできてダンサーもそれぞれレッスンやリハーサル前の手入れ、ウォームアップも入念に行わなければならない季節となった。
ニューヨークのバレエ学校時代、いつもレッスンの40分ほど前にスタジオに入っていたがマンハッタンの冬は厳しく、スチームが入っているとはいえ、さすがに広い学校のスタジオは寒さが身にしみた。当時は今のようにセラバンドやストレッチポールを使ったトレーニング法はまだなく、各自思い想いのやり方でストレッチをしていたが、当時から学校帰りにスポーツクラブに週4回通っていたこともあり、体幹づくりは心得ていてそのやり方は今とさほど変わっていなかった。そんな寒さのなかで最後に先生とピアニストがスタジオに入ってくるとわれわれ生徒たちは一斉に立ち上がり、無言でそれまで来ていた上着を脱ぎレオタードシャツとタイツだけになり早くもバーにつかまり、ファーストポジションとなる。そして静寂のなか担任のデンマーク人のスタンリー・ウィリアムズ先生が口を開くのを待つ。彼は始めるまでいつも気持ちが向かうまで何もせず思慮深く一点を見つめていることが多く、時には数分止まっていることもある。そして「オウケイ、エンドゥ…」という静かな一言でレッスンが始まる。今思うとこの瞬間がたまらなく嬉しかった。今日もバレエに触れられるのだという気持ちになりながらファーストポジションとアンバーに全霊を注ぐ。バレエダンサーにとってはこのポジションは一番ではない。ゼロなのだということをニューヨークで初めて知った瞬間でもあったのだ。

ローラン・プティの振付で知られる「アルルの女」を12月の大学学内公演で振付した。アルルはフランスにある田舎町でゴッホが愛した土地でもあり、彼はそこで多数の絵を描いた。昨年のフランス研修旅行でゴッホのゆかりの地や彼が眠る墓を訪ね、美しいビゼーの音楽にも惹かれ、いずれ振付をしてみたいと心にしまっていたが、この夏、熊川哲也君の誘いで渋谷オーチャードホールガラ公演で舞台づくりに関わらせていただいた際、彼の踊るフレデリ(アルルの女の主役男性)を観てその素晴らしさに胸を打ち、よし創ってみようと意を決して取りかかったのだった。ちょうど偶然にも上演前に大学演奏会で演奏を聞く機会もあり、大学舞踊コース生の教え子たち全員を引き連れて鑑賞もした。台本では主人公はアルルの女というタイトルながらその女性は一切登場しないが、自分の演出ノートとして、ロミオとジュリエットのように民族の対立を絡ませて主人公の男女の姿や周りを取り囲むダンサーたちの踊りを構築した。本番ではダンサーたちみんなが熱い気持ちでのぞみ、主題に迫ってくれたのがうれしかった。

12月下旬には毎年恒例のバレエ「くるみ割り人形」全幕を振付し、栃木県宇都宮で17年連続の上演を果たした。今年は雪片のワルツの雪の精の踊りや、スペイン、アラビアといったディベルテイスマンを再振付しよりダイナミックなものになった。地元ダンサーに加わって私のかつての東西の大学の教え子たちが活躍して華を添えてくれた。この公演では毎年演出振付をさせていただき、今後も1年でも長く続いてほしく、この宇都宮でバレエくるみ割り人形が地域文化の発展の一助となることを願っている。雪が降るなかバレエを観て宇都宮餃子を食べて帰る・・・そんな旬なことをぜひ体験してください。

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