2016年12月

 いつまでも暑いと思ったらいきなり真冬の寒さになったり、例年の如く暖冬に逆戻りになったり、秋という季節がいつのまにかなくなってしまい寂しい。
かつてアメリカで5年間生活し帰国して一番故国を感じたのが四季という季節感であった。アメリカでは10月頭まで夏でそこから一気に冬になり、下旬のハロウィンや11月下旬の七面鳥を食べる感謝祭などは寒いなかの行事という印象が強い。そんななか日本の秋まつりは風情があって、いつもニューヨークにいるときは「今頃日本は秋でみんな楽しんでいるんだろうなぁ…」なんて思いふけっていたものである。今はこうして日本にいてもかつての思いはなくなってしまった気がする。でも“芸術の秋”という言葉は今はなく、1年を通してバレエやミュージカル公演が行われるようになり、触れる機会が多くなったのはいいことである。

 今年も10月下旬から12月にかけて東西の大学で相次ぎ舞踊公演を行った。
まず大阪芸術大学舞踊コース卒業制作公演が10月下旬に行われた。大学4年間の研究成果を披露する場で春からずっとリハーサルを積んできた4作品が上演された。私は毎年指導という立場で携わっているが、時間と労力をかけているだけ力作が多いのに毎回ながら目を細めている。
一般の大学卒業論文とは違い、舞台芸術の世界は言葉は悪いが「○と×は紙一重…」などと言われるだけあってとても特殊で難易度の高いものだと思っている。少なくとも初期設定をしてやり、また方向性があらぬ角度を向いてしまったら是正してあげることこそ大学教員の役割だと思っている。また卒業制作とは卒業論文とは異なりひとりではなく、医学と同じように研究チームのように何十人と集まってスクラム組んで行うため、ひとつ間違えば全員が落第という悲運も抱えているからである。卒業制作としてテーマがふさわしいか判断することがまず大切で、それから時々リハーサルを傍らからみて「ここの場面は補足しないと」「舞台装置をもっと使わないと」といったアドバイスをしている。今年の作品は人間である自分自身の内面の弱さをつつかれながらもその中でも希望を見つけて生きようとする姿を主題にするものが多かった。卒業制作作品のほかに卒業メモリアルに毎年私が自分の振付作品をプレゼントしているのだが、今年はロベルト・シューマン音楽「カルナァル(邦題で謝肉祭)」を贈った。夏休みに3日間ほどで朝から晩にかけて一気に振付し、数日後には劇場で試演会までしたのだが、さすがもう私と4年の付き合いで堀内作品も4、5本踊っているためか堀内節?がわかっているだけあってトントン拍子でリハーサルが進んでしまう。こんな子たちとバレエカンパニーを構成すればバンバン作品が上演できるのになぁといつも思う。残念ながら彼女彼らたちはさまざまなバレエ団に巣立ってしまう。ボヤきはこのへんにして、本番では多くの観客が集まりカーテンコールでは惜しみない拍手が送られた。

 3週間を経て今度はひとつ学年下の3回生の学内公演を行い、こちらも日本舞踊作品を含めた全4作品約1時間40分をたった13名の出演者で上演した。私の作品は「Le Sygnes(仏題で白鳥という邦題)」というタイトルでを振付した。白鳥伝説を主題に独自の解釈で迫り、ラストは白鳥の姿を思わせるバレエを展開する。この13名の女性ダンサーたちは夏に東京で同じく私の振付作品「スケルツォ」を踊り喝采を浴びたが、その時の経験を生かし、この作品でも美しく舞い、ラストシーンの湖畔を背にしたシルエット姿の思い想いのポーズを浮き上がらせ幕となった。

 続いて玉川大学芸術学部舞踊系学生の1年集大成となる卒業プロジェクト舞踊公演が12月上旬に5日間にわたり町田市にある大学キャンパス内にある演劇スタジオという小劇場で上演された。ここでも公演演目最後を飾るバレエ作品を任されているのだか、8年目を迎えた今年は19名のダンサーが織り成す私の最新作「Horaizon」を振付し上演した。ドイツ人作曲家による音楽を使用し、モダンダンス技法とダンスクラシック技法をダンサーとともに分けて振付し、文字通り地平線に映される美しい人間模様の姿を主題にした。実は2ヶ月弱の短いリハーサル期間で、思うように時間が取れないこともあり、振付展開も二転三転することも多かった。でもダンサーたちはどんな時であろうとレオタードとピンクもしくは黒タイツ姿のみの姿で数時間立ちっぱなしで私と向き合い振付をもらう。私がある一方のグループに振付しているときは、もう一方のグループは休むことなく与えられたパをおさらいしたり、あるいはみんなでフォームを揃えたり余念がなく素晴らしい姿勢である。これは大阪芸術大学でも全く同じ姿勢で挑んでいるのだか、決して私からこの姿勢を強制しているわけではない。彼ら彼女たちの先輩たちが長く舞踊に対するこのような真一文字の姿を持って私に向かい、それが代々後輩に受け継がれてきたのである。私はこれこそが大学舞踊の素晴らしいところだと実感している。師と教え子、先輩と後輩といった人間関係が深く形成されているところが素晴らしいと思う。だからこそ彼女たちが卒業して何年経ってもかつて自分が踊ってきた公演に足を運ぶ。これは大学スポーツにも言え、野球やラグビー、柔道、駅伝といった試合にも同じような光景が見られる。もちろんこのような師弟関係が出来るまでにも長い歳月を必要とするが、大阪芸術大学舞踊コースで16年、玉川大学舞踊系で11年教えてきたからこそ築けたものと自負している。・・・ 相変わらず得意の横路に逸れる話をしてしまったが(実は大学の90分の講義でもそうで本題からよく逸れてしまう。学生は優しくニコニコ聞いてくれるから調子に乗ってしまうのだが。)卒業プロジェクト舞踊公演本番では19名が一体となって踊り抜き、カーテンコールでは多くの拍手を浴びていた。実は今回私はさまざまな公演や稽古が重なってしまい、本番を6回中1回しか観れなかったのだか、かつて踊ってくれた卒業生ダンサーたちが何人もかけつけてくれて、みな「観に来たのにいなかった!」「せっかく久しぶりに会うの楽しみにきたのにいないなんて…」というメッセージをたくさんいただいてしまった。こちらはただ平謝りする返事しかできなかったのだが、このような師に対する温かい愛情(勝手な思い込みもあるが・・・)がまさに大学舞踊のうれしい側面なのである。

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