2018年2月

 今年もローザンヌ国際バレエコンクールが行われた。日本人の入賞は13年ぶりに逃したと聞く。そして中国や韓国の台頭が目立ったと新聞コラムに載っていた。中国や韓国はもともと日本人より身体能力も引けをとらず優秀で、たまたまローザンヌコンクールに出場しなかっただけで、北京国立中央バレエ団や韓国国立バレエ団、同じく韓国ユニバーサルバレエ団は30年以上の歴史を誇りバレエ界にその名を轟かしていた。ニューヨーク留学時代にも北京中央バレエ団のアメリカ公演を観に行ったが演目こそ古風で新しさはなかったものの、ダンサーのレベルは高く、男女とも欧米人と同じようなルックスのダンサーばかりだったこと覚えている。7年前に公開された映画「小さな村の小さなダンサー」の主人公のモデルとなった中国人バレエダンサー李存信と20年以上前に京都で出会い、同じ公演に出演する機会に恵まれたが、背も高く西洋人以上にバレエダンサーとして資質を備えた身体能力に驚かされた。当時彼はアメリカのヒューストンバレエ団のプリンシパルダンサーで大活躍をしていたが、当時の日本人ダンサーで彼に及ぶ者はいなかったし、彼の出身の北京舞踊学院が素晴らしいという噂もうなづけた。映画はその後彼がアメリカ人バレリーナと結婚し、中国に里帰りする愛の結末まで描かれている。見逃した方はいまだにYouTubeで予告編も見れるのでぜひご覧いただきたい。李役のロイヤルバレエ団中国人バレエダンサーのツァオも素晴らしい。李存信とは個人的にも声かけてくれて「充、本気でやる気ならばヒューストンバレエ団のベン(当時の芸術監督)にぼくが声かけてみるから来いよ」とまで言ってくれた。その時はとても嬉しかったのだが、当時22歳だった私はすでにマイアミシティバレエ団に内定していたのでついていけなかった。ところが人生とは意地悪なもので、その後マイアミシティバレエ団にはわずか6週間で解雇されてしまい、あの時は本当に運命について考えさせられたものだった。

 2月のおよそ半分は劇場で過ごした。大学にある芸術劇場だが、ここは本格的なバレエ、オペラ、ミュージカルが上演できる設備が整っている。2月下旬に行われた大学卒業舞踊公演のリハーサルだけでおよそ10日間を費やすことが出来たことは舞踊学生にとっては幸せなことだ。ふつう海外のバレエ団は劇場管轄のバレエ団が一般的で劇場の中にバレエ団本体があるので、劇場リハーサルなんて当たり前なのだが、ここ日本では東京という一都市に10数の大バレエ団がひしめいており、そのうち劇場付きのバレエ団はふたつしかない。私自身出演した海外の劇場のなかで、フランス・ルーアン市立バレエ団がとても印象に残る。やはり劇場の中にバレエスタジオを構え、年に数多くバレエ公演を行っていた。芸術監督ひとり、バレエミストレスひとり、唯一の日本人ピアニストひとり、そしてダンサーもわずか12名ほどの何よりもまるでひとつのリビングで過ごしているようなアットホームな雰囲気に魅せられた。わずか1週間の滞在だったが私が踊った演目の終演後、客席で観ていた芸術監督や団員が袖までかけつけてくれて労ってくれた温かさが忘れられない。しかしあれから20年経ち、財政難でバレエ団はなくなってしまったらしく残念でならない。海外バレエ、特にヨーロッパは日本と真逆でバレエ人気が衰え、コンテンポラリーダンスという若さや斬新さを出した演目が台頭した要因もある。最近こそバレエは人気を盛り返しているようだが、一度削られた財政予算を取り戻すのは容易ではない。
そんな若かった頃の思い出があり、この劇場付き大学バレエに私はかつての想いを馳せ、今年も卒業舞踊(バレエ)公演に情熱を注いだ。2日間の本番までの間、ダンサーたちはさまざまな自身との葛藤や喜び、衝突といった若いエネルギーを燃やし舞台に立ち向かった姿はやはり輝いていて、本番中にあるアクシデントが起こってしまい号泣する姿にこちらも心痛め涙してしまったが、それでも素晴らしい若き瞬間に立ち会えることが出来、これも忘れられない思い出となった。
…でも彼女たちが私のようにいつの日が振り返ることなんてあるのかなぁ~

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