2018年1月

 今年の冬は寒い。1月下旬の東京に大雪が舞った日は大学授業の帰りで、マイカー通勤しているのだが、細道の坂の積雪にはまってしまい全く動かなくなり、まだ11月に買ったばかりの自慢の新車(MAZDACX-3)だったのに人生初の路上置き去りにして帰るという失態を演じてしまった。翌朝早くに戻り近所迷惑のお詫びにあたり一帯を雪掻きをした。何とか事なきを得たが、雪といえばやはりレニングラードを思い出す。今ではサンクトペテルブルクと改称したが、高校生の頃バレエ研修旅行で訪れ、やはり真冬で雪が降り積もりかなり寒かったのを覚えている。駅からのバスでキーロフ劇場まで行き劇場前に降り立ったとき、降りしきる雪のなか真っ白な銀世界の中に凛として建つオペラハウスの美しく雪化粧された光景が忘れられない。これがロシアバレエの聖地を生まれて初めて見た衝撃的な瞬間で、以来そのおかげで雪とバレエのむすびつきが今でもほどけないほどだ。その日はキーロフバレエ団のカンパニークラスを幸運にも受けさせてもらったが、窓の外の雪景色とは違い中のバレエスタジオはポカポカに暖かく、みんなレオタードにタイツ姿のダンサーばかりで寒さなんてどこへやら熱気に包まれた男性クラスだった。

 年明けにぐんまバレエアテリエというコンクールがあり前橋まで出掛けた。このコンクールは賞を設けずわれわれ審査員がひとりひとりにシートにアドバイスを書き込みそれを出場者が受け取るというもの。出場者より審査員の方がハード?でこちらがアドバイスを審査されているみたいとは冗談だが、ひとりひとりを瞬時に判断して書かなければならなかったのだが、若いダンサーたちのためならという一心で彼女たちの踊りを見守った。その時一緒に審査員を務めたなかに、ふたり、私にとっては忘れられないパートナーがいた。ひとりは渡部美咲(現姓秋定)さんで、彼女とは自分のダンサーキャリアのなかでもっとも長く、多くの作品で共演させていただいた。彼女もかつてローザンヌ国際バレエコンクール受賞者で、今や誰もが踊ったことがあるほど高い人気演目のバリエーションである「タリスマン」のパドドゥをロシアバレエ指導者から初めての日本人ダンサーとして公式に指導を授かり、東京の青山劇場バレエフェスティバルでオーケストラ演奏による公演でふたりで踊らせてもらったことが印象深い。その踊りのおかげでグローバル森下洋子・清水哲太郎賞という奨学金付きの賞を財団からいただいた思い出がある。また名女優の大地真央さんからお声掛けいただき、東京や大阪で彼女のグランドショーにもふたりで出演させていただいたり、自分自身の振付作品にも主役のペアで踊ってく数多く共演させていただいた。
 もうひとりは矢場裕子(旧姓西山)さん。広島で2回グランパドドゥ「グラン・パ・クラシック」を20年前に踊っただけだがこちらもとても印象深い思い出となっている。当時彼女は神戸バレエコンクール優勝をはじめ数々のコンクールに上位に入る輝かしいキャリアの只中で、バレエ界でも期待の若手として知られ、彼女の指導者でおられた先生からパートナーの依頼を受け踊らせていただいた。やはり技術は抜群で一緒に組んだアダージョも素晴らしい出来であった。その後新国立劇場バレエ団でファーストソリストまで登りつめ、「くるみ割り人形」や「シンデレラ」など数々の主役を踊り、ここでも輝かしいキャリアを積み重ねていった。
 そんなおふたりと踊っていた当時ある思い出がある。東京で1幕物バレエ「アポロンとダフネ」という自作の作品を渡部美咲さんと主役をふたりでソワレに踊ったのだが、翌日マチネで広島で西山裕子さんとグランパドドゥを踊ったのだ。つまり東京で夜9時に踊り、翌朝いちばんに空路広島入りして午後2時にグランパドドゥを踊るというあまりにもハードで強行日程だったのだが、どちらもおふたりのレヴェルの高いダンサーだったので最高の踊りを披露することが出来た。もちろん2日間踊り終えた小生はクッタクタだったのだか、まだ若かったパートナーにはそんなところ見せてはいけないと必死になって前日も当日もへっちゃらぶりを装っていたことを覚えている。当時ふたりともまだ他人同士であったのだが、その後バレエ界トップバレリーナとしていつのまにか友人同士となったようで20年後こうして審査室でも和やかにされ、それを遠めに眺めて何だかとても不思議というか、素敵に感じた。
 -舞踊人生の思い出に感謝である。

第33回大阪芸術大学卒業舞踊公演が行われます。バレエの巫女たちの4年間の集大成の場にぜひみなさまお越し下さい。

・・・2018年2月17日(土)・18日(日)14:00開演 大阪芸術大学 芸術劇場                                 (お問い合わせtel:0721-93-3781)
 

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