2022年9月(2)

  芝公園にある郵便貯金会館メルパルクホールが隣接するホテルと共に閉館された。この劇場はジャパンバレエにおける都内でもっとも多く公演が行われていた舞台で、バレエ界のたくさんの関係者やファンから惜しまれた。もちろん自分のバレエ人生の中でも多くこの劇場に携わってきただけに寂しい気持ちに溢れた。
今から40年以上前小学生の頃に牧阿佐美バレヱ団「くるみ割り人形」全幕でフリッツ役を務めたのがそこでの初舞台。その時の演出・振付がイギリス人ジャック・カーター氏で昭和の時代、それも小学生にして外国人振付家と出会う今思うと何と素晴らしい機会を師・牧阿佐美先生よりいただいたのかと感じる。そんな華々しいデビュー以来中学生になり「飛鳥物語」や橘バレエ学校公演、高校生になってから谷桃子バレエ研究所「シンデレラ」全幕王子役、アメリカ留学帰国後は工藤大弐バレエ公演、毎年秋にあった東京バレエグループ公演、東京シティバレエ団、日本バレエ協会公演、現代舞踊協会公演などに出演と枚挙にいとまがない。そしてもっとも思い出深いのがユニークバレエシアター1992年9月3日に上演した公演。その公演では父がふたつの近代バレエを手掛け、小生がジャズ音楽に振付した「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の3本立てで3作品とも出演した。当初兄が「カルナヴァル」にアルルカン役に主演する予定だったが前日のゲネで足を怪我し降板してしまい、代役として踊り大車輪の活躍となり、後日新聞夕刊をはじめ、多くの舞踊新聞、雑誌に取り上げていただき、この舞台は自分が舞踊界から去るときに「思い出の舞台は」と聞かれたら(有名スポーツ選手じゃあるまいし、まずないが…)おそらく公演をベスト3に入れるだろう。
 その後この劇場では現役ダンサーとしてだけでなく、振付作品を上演したり、コンクール審査員を務めたり、もちろん多くの素晴らしい公演を鑑賞させていただき、東京都港区ということで成人式もここで迎えた思い出がある。
 この郵便貯金会館の施設が8月31日をもって閉館となり自分の誕生日が8月29日でもあり、閉館の前日に劇場に隣接するホテルに泊まりプライベートでお別れ会をしました。こんな盛大な惜別の仕方をするバレエダンサーはおそらく世界で私だけだろう。
・・・メルパルクホールよ、本当にありがとうございました。

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