2024年1月

 何だかんだ言って寒い日々が続く。たまにポカポカ天気になると、もう春だと期待してしまって薄着になろうとするものだが、寒い日に逆戻りすると身体にこたえてしまう。バレエダンサーは暖をとるのが日課なだけに優柔不断な気候に嫌気がさすものだ。

 昨年11月中旬に自宅がある東京の道端で転倒してしまい、救急車に運ばれて右肩が激痛で苦しく、検査で脱臼とわかり全身麻酔で肩を元に戻してくれた。ホッとしたのも束の間翌日に大阪に向かい、大学構内で弾みでふたたび脱臼してしまい、またまた救急車に運ばれてもとに戻すという悪夢を二度経験した。その後外科医からは手術と言われ術後バレエ復帰は半年後の今夏以降と告げられた。気が遠くなるようなことで年齢的にももうダンサーとしては無理ではとも言われ、この2月に出演予定であった松山バレエ団に辞退の連絡を入れてこれまでのお世話になったことを伝えさせていただいた。自分としてはこの3年間現役ダンサーとして充実した日を過ごさせいただいただけに、こんな不慮の事故でダンサー生命を終えるとはあまりにも唐突で無念な想いが交錯した。  
 ところがである。松山バレエ団清水哲太郎先生から連絡をいただき、東京文化会館「くるみ割り人形」公演に招かれ、終演後舞台に来なさいと言われた。当日肩から三角巾をさげながら観にかけつけると客席で清水先生が待って下さり「どうだ?大丈夫か」と気にして下さり、その後バレエ団の素晴らしい舞台を鑑賞後、言われたとおりに奥舞台に伺うとリハーサル室まで通され、すると“がんばれ堀内充”の横断幕が飾ってあり、踊り終えたばかりのバレエ団のみなさんが以前森下洋子先生の舞踊生活を祝った祝賀公演で歌わせていただいたバレエ団の応援歌に私の名前を連呼して「怪我に負けるなフレフレ、ファイト〜」と大合唱してくれたのである。もうただびっくりするばかりで、こんな激励お見舞いがあるのかと感激するばかりであった。もうこれでいつまでも絶望感に浸っているわけにはいかない。翌日からダンサー復帰に向けて立ち上がったのは言うまでもない。ちょうどコロナ禍直前に肩の腱を切ってリハビリに通っていた主治医のところへふたたび訪ねて脱臼の具合を診ていただき、何とか手術なしで治し、ふたたび現役続行出来ないものかと直訴すると主治医は「今からリハビリするしかないだろう。やりましょう」とふたたび専属トレーナーをつけて下さり週2回のトレーニングを開始した。考えられるリハビリありとあらゆることをし、そのうちにまた清水哲太郎先生から見舞いの花束が送られ肩の骨格の模型まで下さり、どこが原因なのか徹底的に解剖学的に研究するよう素晴らしいアドバイスまで頂いた。ちょうど年末、大学が冬休みに入り、勤務が終わり年明けにかけてたっぷり治療に時間をかけることが出来た。トレーナー岩崎先生方の的確なアドバイスもあり、リハビリ、サプリメント、日光浴、食事療法全てを取り入れ、その甲斐があってか年明けてからかなりよくなり、いつしか肩サポーターも外してレッスンが出来るようになり、復帰見込みが6月ぐらいだったのに近くいつの間にかほぼ治り、ふたたび松山バレエ団に顔出し、肩が良くなったことを報告すると清水哲太郎先生、森下洋子先生方以下バレエ団みんなが回復を手放しで喜んでる下さった。そして、何と3月にある松山バレエ団公演にふたたび出演することになったのである。あの激励がなければ諦めていた公演出演、劇的な早春の出来事となった。

お問い合わせ
このページのTOPへ