2024年8月

 パリ五輪が終わったが、テレビや通信では日々賑やかに報道されていた。パリはバレエ・ダンスの故郷でもあり、バレエに関連するものが映像でたくさん出てくるかと期待したがさほどでもなかったが、ダンス関連は多く登場し楽しませてもらった。やはり競技として初めてダンスであるブレイキンが行われ興味深く観た。ちょうどニューヨーク留学していた頃に下町であるダウンタウンでブレイクダンスが誕生し、黒人系アメリカ人の若者たちが踊るシーンを目の当たりにしていた。人種、階級的にハングリー精神から娯楽として生まれたものが年々とダンスジャンルとして確立されていったが、ナイトスポットであるクラブとかで踊るには激しすぎ、さらに帽子であるヘルメットや服装も防具的に特殊になり、またより身近なストリートダンスが台頭してからはブレイキンは影を潜めていった。ところがちょうど30代を迎えた頃、ホリプロミュージカルが主催した「DORA〜100万回生きたねこ」に沢田研二さんと役を分け合って主演したときに演出・振付を担当したフランス人舞踊家のフィリップ・ドゥクフレが日本人ブレイクダンサー4名を登用して作品の中でブレイキンを起用し、それが斬新に映り日本公演とフランス公演では大人気を博しチケットは全て完売となった。ドラ猫のDORA役のバレエダンサーである私はセリの上で、ブレイキンダンサーたちは地下にもぐり同時に踊り、特殊反射版で舞台上に重なるように写し出すしくみであった。あれから時が経ちニューヨークでは衰退したジャンルになってしまったが、あの時の火種がフランスに残ってブレイキンは異国フランスで再びブームとなり、スポーツ競技となったのである。とても興味深かったことは昨年のブレイキンのプレ五輪大会は何と100年前にセルゲイ・ディアギレフが率いたバレエ・リュス(ロシアバレエ団)が上演したパリ・シャトレ座で行われたのである。フランスはダンス大国である自覚として、古い歴史を持つ宮廷舞踊からロマンティックバレエ、近代バレエ、そしてモダンダンスが生まれた聖地にブレイキンを迎えいれたのである。かつてロシアがフランスで衰退したバレエを自国に持ち帰り、クラシックバレエとして生き返らせた歴史と同じ構図をみる思いでこの姿を見守らせていただいた。素晴らしき舞踊王国のフランスに対しこれからも尊敬の念はやむことはないだろう。

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