バレエダンサー・振付家・大学教授として活動を続ける堀内充の公演案内です。

  • ●2013年4月

    フランスへ研修を兼ねた6日間旅行へ行き、ノルマンディ地方のルーアン市に15年ぶりに訪れた。かつてこの街の中心地にあるルーアン市立芸術劇場でフランス人振付家のフィリップ・ドゥクフレ氏によるダンス公演に出演し、約1週間滞在した思い出深いところで、再び来れたことがとても懐かしかった。当時劇場には専属バレエ団があり公演期間中毎日カンパニークラスを受けさせてもらい、バレエ団員たちも舞台を観に来てくれた楽しい出来事もあった。また日本人バレエビアニストの岩本博さんともそこで知り合い、彼は今でもマルセイユバレエ団で従事しているそうだが、それがきっかけで親交を深め、里帰りのときには大阪芸術大学にも来て、私の授業で演奏していただいた。さまざまな思い出が交錯しとても感慨深かった。
    ノルマンディーのあとは西洋の驚異と言われたモン・サン・ミッシェルを訪れ、またロワールのルイ14世も訪れたというシュノンソー城やジャンボール城なども拝観し宮廷舞踊のルーツを垣間見ることができた。今年夏に白鳥の湖全幕を改訂振付するにあたりたくさんの常識・情報を得られた。

    下旬には大阪芸術大学で卒業式があり、4年間共に過ごした舞踊コース生20名を送り出した。厳しい社会のなかバレエ団に入団する者、社会人となる者などさまざまな道を歩んでいく頼もしい姿をこれからも温かく見守ってあげたい。

    毎年開いて下さる福井県武生にあるバレエスクール(前田美智先生主宰)の講習会に今年も出掛け、すぐそのあとには全国バレエコンクール・イン八王子の審査員も務めた。主催する今村博明先生と川口ゆり子先生ご夫妻にはこどもの頃から指導していただいているバレエ界の大先輩である。私がプロとして活動してからもバレエ公演であつかましく共演させていただいた。ある時は兄弟役だったり、またある時は結婚する相手だったりととてもご夫妻とは密な?関係を演じさせていただいたことが私の大切な思い出となっている。今年こそ念願のご夫妻が主催されている清里フィールドバレエに訪れるつもりである。

  • ●2013年3月

    今年も2月の東京は何度か雪に見舞われた。上旬にはある芸術審査会の審議中でも降りしきり会議室から見える皇居の雪化粧が美しかった。

    日本音楽高校バレエコースで今年もコース生全員約70名による特別授業に招かれ、オープンレッスンを指導を行った。この学校とのつながりは長く1996年から毎年1年も欠かさず務めさせていただいている。今年の生徒のなかではまだ生まれていなかった学年もいるわけで恥ずかしい気もするが、いつも熱心に耳を傾けながら受ける姿勢に目を細めた。特記したいことはビアニストの榎本真弓さんと第1回目からずっと一緒に開講していることである。昨年はお休みして小泉先生という方にお願いしたが、今年はふたたびコンビを組ませてもらった。レッスンティーチャーにとってビアノ伴奏はとても大切で彼女と長いパートナーシッブのおかげで毎回ベストコンディションで教えることが出来た。
    うれしいことに今年5月に行う自分のバレエ公演にも本校卒業生がたくさん出演してくれることになった。たった年1度でおこがましい言い方だが、ここでも教え子と同じ舞台を共有出来る喜びを感じている。毎回お世話になっているバレエコース島岡彰子先生もレッスン終了後の挨拶のなかでそのことにも触れていただきありがたかった。

    2月下旬に第28回大阪芸術大学卒業舞踊公演が行われた。毎年大阪国際交流センターで上演してきたが諸般の理由で今年度は大学内の芸術劇場で行った。2001年度から芸術監督を務めてきただけに学外で上演できず無念だったが、バレエダンサー学生たちはめげずに明るく公演に向かって稽古する姿勢にこちらが勇気づけられ、本番では600名近い観客を集めた彼ら彼女たちの熱い姿に心打たれた。公演も卒業制作作品や私の作品3作品など、みな完成度の高い出来映えで、東京をはじめ全国からかけつけていただいたバレエ関係者からもお褒めのお言葉をいだいた。本公演の伝統セレモニーのフィナーレは今や名物となり、それを観たくてお越しいただく観客もおり、今年もそのシーンになると卒業生をはじめ全舞踊コース生に熱い拍手を送って下さり、盛会のなかで幕が下りた。この模様は大学が持つケーブルテレビ番組でも放映された。

  • ●2013年2月

    昨年末は年明けにある青山円形劇場でのファミリーミュージカル「シーク・シーク・シーキングストーリーⅡ」の劇場稽古が行われた。年末に数回、こどもの城内のリハーサルでオーディションで選ばれた小学生から高校生まで12名たちにバレエシーンの振付をした。昨年に続き2回目の振付担当であったが、台本が大宰久夫先生、演出・主演が吉村温子先生と玉川大学で同じ教員同士で力を合わせてつくらせてもらっている。またバレエミストレスをされているのは江口富美子さんで、かつて私の作品に出演してくれた旧知の間柄で、この舞台では彼女の力によって支えていただいている。おかげでバレエシーンは幕開けのテーマ音楽・風の精の踊り・眠りの踊りと3つに分かれ、小学生か高校生まで笑顔を絶やさずきちんと踊りを全うしてくれた。正月明けて本番を迎えたが、この公演は人気が高く完売日も多く、日本人のみならず外国人のお客さまも多く見られ評価の高い舞台であった。

    中旬には群馬県前橋市で毎年おこなわれている「ぐんまバレエアテリエ」というプレコンクールのアドバイザーとして今年も審査させていただいた。たったひとつの県のなかだけから参加する若いダンサーたちながら、レベルの高さには毎年驚かされる。今年はジュニアで若い男の子が大きな拍手を受け、私も講評でも彼を名指して誉めた。昔の話だかこどもの頃、技術も表現も未熟であった私にいつも大人の先生方は無条件に愛溢れる言葉をたくさんいただいた。その当時はいつも「学校の先生など社会の大人はみんな冷たいのにバレエの世界ではなぜこんなに大人は温かい方ばかりなのだろう」と思ったものである。それはその方たちは芸術家だからだと気づいたのはずいぶん後になってからだが、若い子たちに接するたびに当時のことが甦り、あの時の大人の方々たちへの恩返しのつもりでこどもたちに温かく接していこうと思うのである。

    大学でも年度末の授業・レッスン・リハーサルが再開された。大学の1年は早く今月をもって授業カリキュラムとしては1年の終わりとなる。そんななか1月18日NHK大阪ホールで、また26日27日と東京・青山劇場で高円宮妃殿下が原作を書かれたものをもとにしたミュージカル「ビッグピープル・氷山ルリの大航海」が上演された。大阪芸術大学と東西の劇場が提携して企画されたもので私もバレエシーンの振付を担当させていただいた。作品は再演ではあったがバレエシーンは音楽もリメイクし振付を一新した。大学舞踊コースの選抜男女18名のバレエダンサーによって踊られ、計3回とも大きな拍手をいただいた。妃殿下とは高円宮殿下がバレエ通でおられたこともあり、今でも事あるごとに声をかけていただき、今回も優しく褒めていただいた。もちろん私に対してではなくダンサーの頑張りに目を細めておられたことをつけ加えておく。とくに青山劇場の公演はかつてこの劇場主催の青山劇場バレエフェスティバルで芸術監督を務めるなどバレエ人生のなかでもっとも思い入れのあるところで、その劇場で主任をつとめる舞踊コースの教え子たちを引き連れて踊らせたことは嬉しかった。ダンサーたちは本番が始まり、劇場の独特な広さを持つ下手袖でアッブしたり振りを踊ったりしながら出番を待つ姿を見るのがたまらなく心地よく、かつての自分とダブらせながらずっと目に焼きつけよるように見守り、出番になると客席へ向かったのだった。

  • ●2013年1月

    12月上旬に玉川大学芸術学部パフォーミングアーツ学科による卒業プロジェクト舞踊公演が4日間行われ、12名による新作バレエ作品「SONATAS(ソナタ)」を発表した。ショパンやシューベルトの音楽を用い、純白なワンピースの衣裳から始まり、やがてバレエ踊るダンサーはシフォンのチュチュとモダンを踊るダンサーは帯状のスパッツ姿となり白鳥のように舞う叙情的作品を振付した。公演は大学内の劇場設備を整えた演劇スタジオで行われ、先月号で前述した急遽音楽を変更したことが功を奏し本番では多くの拍手をいただいた。母校であるこの大学で自作のバレエを上演するとは夢にも思っていなかったので、今年ですでに4年目4作品を手掛け、後輩ダンサーである彼女たちに踊ってくれたことは感無量でもあった。

    芸大舞踊コース年内最後の学内公演は3回生による出演で日本舞踊から自作自演による作品エチュード、望月則彦教授作品に私の作品と計4作品という大ハードなプログラムをこなした。よかったことにどの作品とも全速力、MAXで彼女たちは挑んでくれたことだった。日本舞踊作品も指導した山村若先生も感心するほど熱心に取り組んでいた。夏にシアターブラバでバレエシーンを演じた彼ら彼女たちだがあの時は本当に好演し喝采を浴びたが今回もその成果を充分に発揮してくれた。

    12月23日に宇都宮にある栃木県総合文化センターで今年もバレエ「くるみ割人形」を上演したが、今年で14年連続で演出振付を担当させてもらった。主宰の橋本陽子先生とは20年来の親交で、私がまだ当時20代なかばで新進振付家?として活動していた頃にいち早く振付を依頼していただいた恩がある。これだけ長い間振付させていただいている舞台は他はなく、橋本陽子先生は私と同い年の娘さんもおられることもあり、私にとってもバレエ界の母親的存在で大切な恩師である。今年は事情あって2幕だけの上演ではあったが、例年どおりの馴染み深い出演してくれたダンサーたちの活躍もあり、もはや伝統さえも感じさせてくれた舞台をつくりあげてくれた。

    12月27日には東京文化会館大ホールで交響曲第九番バレエ「ルードヴィヒ」を上演、出演した。長年演じてきた同じ役で今回も踊れたことはうれしかったが、今回は本番数日前まで前述した舞台などが目目白押しだったためか、総稽古の間疲れからか身体を腰や膝と次々と故障してたいへんな目に遭った。「ひょっとした踊れないかも知れない」という思いが頭をよぎり、本番当日まで東京ミッドタウン内で構える私の主治医のところへ本番当日まで連日通い治療に努力した。ちょうど本番の数週間前に親友の熊川哲也君と長い時間夕食を共にしバレエ談義に花を咲かせ、とくにベートーベンの第九には彼も思い入れが深く話は尽きることなく深夜にまで及び、楽しい一夜を過ごさせてもらった。彼は超多忙な毎日のなか、当日約束どおり観に駆けつけてくれた。そんな友情もあり、何が何でも踊り抜かなければならない理由があったので本番無事踊り終えたときは久しぶりに心の底からほっとした。と同時に舞台芸術の価値をあらためて実感させられた瞬間でもあった。

  • ●2012年12月

    10月の終わりに芸大舞踊コース卒業公演が行われた。約半年間にわたって稽古を積み、4年間の集大成ということもあり、上演した4作品はどれも中身の濃いものであった。何よりも出演者20名がほとんど休憩なく、いわゆる¨出ずっぱり¨でたいへんな忍耐と体力を要するもので、ひとりひとりに「よく踊り抜いてくれた」と労った。終演後の教員と舞踊コース生全員によるミーティングでも涙が多く見られた。

    11月に入り、年末に東京文化会館で上演するバレエ「ルードヴィヒ」のリハーサルが相変わらず続く。振付家佐多達枝先生とは20年以上にわたり作品を踊らせていただいている。自分がこの年まで現役ダンサーとしていられるのも先生がおられたからこそで、ダンサーとして求められて舞台に立つことは冥利に尽きる。東京でリハーサルに通う道中では、いつも自分がダンサーとしてもっともあわただしい日々を過ごしていた30代の頃がたびたびふっと思い起こされ、嬉しい気持ちになる。厳しかったニューヨークのバレエ学校留学時代のおかげでもある。だからこそ今主任を務める大学舞踊コースでは教え子たちには厳しい姿勢で臨んでいる。彼ら彼女らのその先にみえる未来に向かって。

    11月下旬には卒業公演に続きその舞踊コース学内公演のなかで「ライモンダよりグラン・パ・クラシック」を発表した。出演した2回生はこの作品を深く理解し真摯に取り組んでくれた。この作品はハンガリアンステップが多用されているのが特徴で前述したニューヨークバレエ学校時代に踊った思い出深い作品でもあった。

    長く振付活動をしていても時として思わぬことがおこる。玉川大学卒業プロジェクト舞踊公演で振付する新作バレエ「ソナタ」を自宅にこもり、それまで数時間にわたってある音楽を聞いてコンビネーションなど熟慮を重ねていたときに、行き詰まってふとした想いでほかの音楽に耳を傾けた途端、その音楽に吸い込まれ「こっちにしよう…」と思い立ったのである。もう振り移し稽古に出掛けなければならない数分前のことである。そして即座に今まで考えたものを水の泡にし、そちらに没頭した。その結果わずかな時間であっという間に構想・振付が出来上がってしまったのだ。芸術家には時として神が降臨する話を何度も耳にしたことがあるが、まるで誰かが曲の変更を指南したようで、きっとこの体験もそのひとつなのかも知れないと思わずにはいられなかった。今からこの作品を上演する日が待ち遠しくなった。

  • ●2012年11月

    10月に入ると大阪芸大舞踊コースの卒業制作公演や学内公演稽古、玉川大学でバレエを専攻する教え子に振付する新作作品稽古がそれぞれ活発するなか、年末に出演するベートーベン交響曲第九番をバレエ化させた「ルードヴィヒ」のリハーサル、また年末恒例のバレエ「くるみ割り人形」の振付稽古が加わり、あわただしい日々が続く。

    ここ数年さまざまなジャンルが交錯して¨DANCE¨というネーミングが曖昧になってきていると感じる。ストリートダンスの力が大きいだろうが、踊る側もかなりハードルが下がり、ダンサーなのかタレントなのか一般人なのか区別がつかない。それらがメディアに氾濫してクリエーターと称して職業として成り立つ動きまで目立つ。実際社会はそれほど甘くないのだか・・・。社会の流れとして仕方のないことかもしれないが、私たちパフォーミングアーツ(オペラやミュージカル・バレエやモダンダンスを主とする舞台芸術の呼称)にそんな勢力を交えてはならない。絵画・音楽・演劇とならぶ舞踊芸術は劇場における舞台上で発揮されるもの、あくまでも額縁のなかで展開されるものだからである。かつて自分の長いニューヨーク留学生活時代に生まれたストリートダンスのルーツを知る者として、そのジャンルのダンスは文字どおり道路や公園、イベント広場あるいはスタジオなどで繰り広げられるべきものであると主張したい。一般人はすべてをダンスとして一緒に括ろう(くくろう)としているが、今こそ専門家は歯止めをかけなければならない。またそのブームに乗ろうとしてわれわれのジャンルもそこへ乗り込むこともあってはならない。私は今後も仲間や後輩、教え子たちとともにパフォーミングアーツの未来を守るためにもまい進する決意である。

  • ●2012年10月

    8月下旬に「なかの国際ダンスコンペティション」が行われた。毎年このコンクールに出場する新鋭の振付家たちの活躍を楽しみにしていて、今年もさまざまな作品が出品し、審査側も興味深く拝見させていただいた。

    9月には大学舞踊コース4回生卒業公演のために振付する「パリジェンヌの喜び」の稽古を開始した。オッフェンバックの同名の音楽にフレンチカンカンダンスを主軸にした作品で、わずか2週間後に大学芸術劇場でキャンパス上演会で試演する強行日程ながら舞踊コース4回生生はみんなしっかり取り組んでくれた。3日間で仕上げるという早さでたいへんだったと思うが、最終日はリハーサル後に天王寺市内で全員で食事会をしてその稽古を労った。その食事会ではみんな大騒ぎしていたのは言うまでもない。

    とき同じ夏の終わり頃から京都にも通い始めた。やはり勤めている京都バレエ専門学校主催による「卒業生の会」というバレエコンサートが9月中旬にあり、ダンサーとして出演させてもらうことになり、そのリハーサルのためであった。思いがけない出演依頼で、なぜかといえばバレエ専門学校の理事長でおられる蘆田ひろみ先生とご一緒に踊ることになったからであった。蘆田先生は国内におけるバレエ解剖学の権威でおられ長く親交があり、大阪芸大にも非常識講師として教壇に立っていただいているので力が入らないわけがなく、オペラ・タンホイザーの名曲「夕星のうた」をバレエ化するべく振付させてもらった。騎士ウォルフラムが恋心を抱く主役エリザベートの旅の無事を祈ったアリアで(注:物語では彼女は旅の最中病いに倒れてしまう)で甘くせつない旋律が美しく、本番は台風にも関わらず専門学校生と大学舞踊コース生と双方の学生が多く入り交じって集まり、舞台ホリゾント一面に広がる星模様を背にふたりで精一杯踊らせていただいた。終演後は校長有馬えり子先生、日本バレエ協会長薄井憲二先生、バレエ専門の週刊オンステージ新聞社長の谷孝子先生たちと囲みながら京の風情先斗町そばで出演者たち一同と打ち上げに参加させていただいた。

  • ●2012年9月

    8月は1~2日札幌で公演リハーサル、2日夜東京に戻り、3~4日は大阪で公演本番、5日に再び札幌に戻って公演本番と目まぐるしい日々を過ごした。

    8月4日NHKホール大阪で、大阪を拠点とするY・Sバレエカンパニー公演でバレエ「カルメン」を上演した。公演はダブルビルで「カルメン」は3年前に上演したものを改訂して再演した。このバレエ団は結成わずか5年あまりながらすでに「シンデレラ」「真夏の夜の夢」「ジゼル」と全幕物を、それも関西最高峰の劇場であるNHKホール大阪で上演を果たしている。私も毎年演出振付させていただいているがバレエ団の中心的存在の山本庸督君高井香織夫妻は大学の教え子で、ふたりは在学中にロミオとジュリエットのタイトルロールを踊り、そのままゴールインした素敵な経歴を持ち、卒業後もアメリカのバレエ団で活躍している。バレエ「カルメン」でもホセ役とミカエラ役を演じ、満員の観客から多くの拍手を受けた。毎年このバレエ団公演はバレエ団員や実力派の男性舞踊手ら若いアーティストたちと共に舞台づくり携わることが出来、有意義な時間を共有させていただいている。

    札幌の公演は「ドリームオブダンサーズ」と題したもので私の公私にわたる恩師のひとりである久光孝夫先生の主催するバレエフェスティバルで、数年ぶりに振付作品を出品させていただいた。今回ここでも北海道在住の若いダンサーたちが私の作品に果敢に挑んでくれた。友人でもある気鋭男性ダンサーの石井竜一君が芯を務めてくれたのが嬉しかった。

    中旬には日本バレエ協会「全国合同バレエの夕べ」という伝統ある公演が東京で行われ、そこで「真夏の夜の夢・結婚の場」を発表させてもらった。久しぶりの生オーケストラによる演奏でもあった。オーディションで選考した女性ダンサーとともに東京で活躍する後輩や友人である男性ダンサーを集結させて踊ってもらったことも楽しい思い出ともなった。この作品についてもいろいろな公演評をいただいた。国内のバレエ水準は国際的にもまだまだだが、公演評論水準も発展途上である。舞踊評論家やジャーナリストで親しい間柄の方は何人かおり、公私にわたってお付き合いさせていただいて学ばせていただいている。ただ端からみてお互い突っ込み合うのではなく、私情抜きで励ましたり支援し合うことが大事で、それがバレエ界の底上げにつながると信じている。

  • ●2012年8月

    7月は私にとって1年でもっともあわただしい季節である。

    今年は夏にバレエ協会主催全国バレエの夕べに振付作品を出品することもあり、日曜日の昼間はバレエスタジオHORIUCHIの公演リハーサルをしてから夜と翌日月曜日はそのバレエ協会のリハーサル、火曜日は玉川大学でバレエ授業2コマ、水曜日から金曜日は大芸大舞踊コースの授業やリハーサルに追われ、大阪滞在中大学後の夜はY.Sバレエカンパニー公演の稽古があり、東京には土曜日の朝帰るといった具合。世の中忙しい人間はたくさんいるので大変だとは決して口には出さないが気を抜くことができないのは確か。

    今月は舞踊コース2回生22名がキャンパス見学会上演会で大学芸術劇場で自作のチャイコフスキー組曲を踊った。チャイコフスキーは若き頃、老バレエマスターのマリウス・プティパのためにたくさんのバレエ音楽を手掛けた。プティパとは親子ほどの年齢が離れていたと聞く。だからこそ若きチャイコフスキーはプティパの意図を忠実に従ったのだろう。三大バレエをはじめ多くの作品にはプティパ原振付が数多く存在し、いつの時代になろうとこの振付は不変であるべきだか、90年代以降さまざまな改訂版、それどころか全編振付しなおす傾向になった。もはや伝統文化を守る姿勢はそこにはなく、新しい現代版としてつくり直している。そのことについてはまたあらためて論じることにして、私自身でかき集めたチャイコフスキー音楽を用いてシンフォニックバレエを振付たものを踊ってもらった。ダンサーたちは振付の意図を汲み真摯に踊りきり、当日たくさんの観客で埋まった客席から大きな拍手を受けていた。

    下旬にバレエスタジオHORIUCHIのワークショップ公演が五反田ゆうぽうとであり、スタジオ生とともにバレエ「CARNIVAL」を上演した。これは1992年にユニークバレエシアター公演で父堀内完が振付したもので、原作ではディアギレフ・ロシアバレエ団がニジンスキー主演で初演している。20年ぶりアルルカン役で出演させてもらった。父が私につくってくれた役でもあり、この作品を本公演でふたたび取り上げることになった際、アルルカン役に決まってからはいつもより肉体訓練に余念がなく毎回のリハーサルはとても感慨深く、相手役のコロンビーヌを務めた城野有紀はバレエ団トップの高い表現と技術を持つダンサーでもあり、本番ではお互い実力を発揮し満足のいく出来で観客から多くの拍手をいただいた。

    他に舞台では大阪芸大ミュージカル「日陰でも110度」が大阪城公園そばのシアターブラバで上演し、2幕冒頭のバレエシーン約10分の振付をし、教え子である舞踊コース3回生が舞台いっぱいに踊り、熱演し大きな拍手をいただいた。自分でもこのダンスナンバーはとても気に入っていて、自ら楽譜をもとにバレエ用に編曲して演奏していただいたほどで原作のブロードウェイ版と比較してもらいたいほどである。残念ながら観たことはないけれども。この公演の劇場入りしてからも稽古を怠ることせず、3日間毎日リハーサル室でバレエカンパニークラスをしてから本番に臨めたことも意義深かった。大阪芸大舞踊コースの存在はまだまた東京には知られていないところが多いけれど、大学のバレエコースでは国内最高の実力を持っている。ぜひ大学内外における公演を観に来ていただきたい。

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  • 大阪芸術大学 舞台芸術学科 舞踊コース
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