2018年9月

 劇団四季の浅利慶太先生が亡くなられた。演劇・ミュージカル界で多大な功績を残し、社会に好影響を与えた演出家・プロデューサーでおられた方だった。彼は演劇人でありながら実は舞踊界でも大きな貢献をされた。30年以上前だがご存知のとおりコーラスラインやCATS、オペラ座の怪人など米国ブロードウェイミュージカルを次々と輸入、日本上演を果たしたのだか、それらの作品で実に多くのバレエダンサーをオーディションをとおして起用していただいたことを特筆したい。当時はまだ新国立劇場バレエ団や人気のKバレエカンパニーが誕生前で、バレエダンサーが舞台出演の収入を得て生活するなどとても出来なかった時代のミュージカル劇団ではあったが、それを実現させてくれたのだ。当時同世代のダンサーたちが次々と入団して活躍していく画期的な姿を目の当たりにした。彼自身も舞踊芸術を愛し、バレエの美しさを熟知し、当時から全劇団員に毎日バレエのレッスンを必須の日課としていたのは有名でそれは彼が劇団を勇退した今でも変わらないと聞く。自分自身このコラムでよく記述してきたように様々なミュージカルにも出演、振付してきたが劇団四季と直接関わることはなかった。しかし浅利慶太先生とは親交があった。

20代半ばの頃ある日電話がかかってきて「充君、一度劇団に見学に来ないか」と誘われ、こちらは恐縮しながらも喜んで足を運び、劇団の稽古場を案内させてもらったり稽古を見学させてもらった。当時の看板スターであった野村玲子さんや加藤敬二さん、八重沢真美さんたちを前に真剣な眼差しでリハーサルに臨んでいた姿を今でも思い出す。その後先生の代表室に通され熱く舞台について長く語っていただき、その後も交流が続き、劇団のミュージカル公演をいくつも招待いただき、その都度観賞し、また赤坂や六本木の料亭の酒席にも招いてもらって演劇、舞踊談義に話しが盛り上がった。同席していた双子の兄とふたりに向かって「いつか一緒に舞台づくりをやろうじゃないか」と握手を交わしたりもした。その後兄の元は劇団にゲストで招かれCATSに出演し約束は果たされたが、私は時間的な折り合いがつかずついに実現しなかった。いちばんの心残りは30代後半にやはり秘書をとおして連絡があり「充君にぜひミュージカル『アンデルセン』のニールス役を」というオファーだった。私は飛び上がって喜んだのだか、その時すでに大阪芸術大学助教授という要職にあり、ロングラン上演という長期出演は不可能で、泣く泣く辞退したことであった。もうかなり前のことで、今となってあの時大学側に無理を言ってゴリ押しで出演できたのではと後悔している。なぜなら今の上司である大学学科長は元劇団四季の名優浜畑賢吉先生で、彼は今も舞台出演に忙しく講義を休んで活躍されているのだから。いいな…でも小生は器用ではないから大谷選手のように両刀は難しく、稽古に集中しなくて浅利先生に怒鳴られてクビになったかもしれない。出れなくてよかったのだ。きっと…。

大阪芸術大学第42期卒業制作舞踊公演が行われます。19名の女子学生たちが4年間の集大成を彩ります。

皆様のお越しをお待ちしています。
・・・2018年10月31日(水)15:30開演 大阪芸術大学芸術劇場(お問い合わせtel:0721-93-3781)

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