2019年6月

 5月公演も無事に終え(公演後記参照)勤める舞踊大学の合間をぬってパリへ久しぶりに行ってきた。5年ぶりとなる今回の目的はパリ・オペラ座バレエ公演の鑑賞。バレエダンサー時代にある芸術文化財団の紹介で出会い、その後舞踊活動を共にさせていただき親交を深めた海外在留の日本人女性舞踊家の青山眞理子さんがパリ・オペラ座バレエのバレエミストレスを務められ、彼女自身からその公演鑑賞に誘っていただいたのがきっかけ。仕事の関係上3日間の予定だったがほかに旧交を温めていたパリ在住のバレエの恩師との再会やバレエにまつわる史跡の探訪を目的に加え、6月の終わりに日本を出発した。


 パリに到着後、久しぶりとあってワクワクしてたまらずメトロでオペラ座まで。ニューヨーク留学時代にサブウェイを毎日通学で使っていたものだが、パリのメトロもアットホームな感じでとても使い易い。ふつう観光はバス移動が主流だが今回の旅はツアーではなく単独行動なため自由にメトロを利用した。オペラ座駅に到着して地上に出ると目の前にドーンとオペラ座が待ち構える姿はやはり何度訪れてもファーストサイトは興奮する。思えばまだ15歳だった頃、ローザンヌ国際バレエコンクールの帰りに初めてパリを訪れ、スイスで出会ったスイス人画家の紹介で名匠フランス人バレエ教師ペレッティ先生と出会い、ローザンヌ出場祝いに自身が教えるパリオペラ座バレエ学校の男子バリエーションクラスに招かれ一緒にレッスンさせていただいた思い出深き場所でもある。当時からバレエ学校の男子生徒はグレーの上下のレオタードとタイツ姿でそれが印象に残っている。またオペラ座のバレエスタジオは舞台と同じ傾斜がある床だったのが衝撃的であった。それから2年後高校生の時にモスクワのボリショイバレエ学校でもレッスンした時も同じ傾斜のある稽古場で、当時はバレエのルーツを学ぶ貴重な経験を立て続けにさせていただいたものだった。
 翌日はオペラ座鑑賞と舞踊家青山眞理子さんと旧交を温める夕食会の前に、かれこれ何度もパリに訪れながら一度も足を運べなかった憧れの芸術画家の街モンマルトルへ。始めは青く美しいジュテームの壁に寄り、その後荘厳な寺院へ廻り、そしてモンマルトル広場へ。広場に着くと画家が集まる広場とはここかというやはりワクワクした思いで踏み入れたが本当に画家が多くいた。ただ若い画家というわけではなく、年配者がほとんどで名もなき画家といった感じだった。広場をゆっくりと飾られている絵を眺めながらぐるりと周り、版画の男性から1点、年配の女性から葉書的なものを1枚購入した。その後劇団四季が上演した芝居「壁抜け男」のモチーフとなった彫刻を訪ね、さらに散歩を続けカンカンで有名なムーランルージュの劇場の前まで来た。中には入れなかったけれど、この舞台をモチーフにした「パリジェンヌたちの喜び」をバレエコレクション公演や大学舞踊コースで上演しただけにやっと来れてよかった。次回来たときは公演鑑賞までしたい。その後抜けがけにシテ島まで足を運びやはり歴史的建造物であるパリ市庁舎やノートルダム聖堂を散策した。火事で焼失してしまった姿が痛々しかった。しばらく歩きすぎてセーヌ川の辺りで腰を落としたが、若い頃に何度も鑑賞して名優ジーン・ケリーに憧れた映画「パリのアメリカ人」をひと休みしながら彷彿したりして楽しんだ。
 そして夜に青山眞理子さんの住まいがあるマンションのペントハウスを訪れ、ご主人とイタリア人の友人も交え再会を果たし、楽しく夕食を共にした。眞理子さんご自身がお肉を用意して下さり、スペイン風で美味しかった。夕陽も綺麗だったけれど、その時はすでに夜10時。パリも日照時間が長い。モスクワ行ったときもあの時は日が長く、確か夜中まで陽が落ちなかった記憶がある。そんなホワイトナイトなひと時であった。
  翌朝午前中からオペラ座へ向かった。裏口から観光客と入り、内部のロビーや大広間、ギャラリーを見学した。何度来てもただ美しい装飾にうっとりするばかり。一番美しい場所は何と言ってもロビーと大階段。オペラ座ダンサー全員が必ずシーズン始めに記念撮影を収めるところ。何度も訪れてはいるけれど、初めて写真に収めることができた。その後一旦外へ出て日本食街へ出向きお昼はサッポロ味噌ラーメンを。ニューヨーク留学時代でもよく学校帰りにタイムズスクエアにあるラーメン屋に寄って食べたもので、海外で日本食を食べるのもまた楽しみのひとつ。前回5年前もこの日本人街を訪れ寿司屋に入って夕食を食べたので懐かしくもあった。
 そしていよいよこの旅の最大の目的である公演を鑑賞。眞理子さんの計らいで客席は何とオーケストラシートのど真ん中。これは嬉しい。今までいつもバルコニーや端で観ていたものだったからこんな間近で観られるとは。ニューヨークステートシアターではよくオーケストラシートで観たが、ここまでいい席で観れるとは思わなかった。世界的バレエ振付家マック・エッツ氏のバレエコレクションでトリプルビルと言われる3本立て。「カルメン」「アナザープレイス」そして「ボレロ」。興奮していたためかあっという間であった。一番印象深かったのはやはり自分でも振付したバレエ「カルメン」。大きな扇状の壁の舞台装置が印象的。具体性はないけれども主人公カルメンが上に上って煙草をふかしている姿が印象に残る。日本人バレエダンサーオニールハ菜さんもアンサンブルで出演していた。主役の男女のフィジカルでパワフルな踊りが忘れられない。独特のアームスが馴染みあるものばかりで、それは青山眞理子さん振付の神奈川県民ホールの芸術文化財団主催のオペラ・舞踊公演に出演した時に習ったパが多かったからでマック・エッツが長年芸術監督を務めていたスウェーデンにあるクルベーリバレエ団のプリンシパルダンサーとして踊っていた彼女のキャリアによるものだったのだ。その後ピナ・バウシュ率いるウッパタール舞踊団でも中心的ダンサーとしてキャリアを積み上げられた眞理子さんだが、自分の振付にも多大に影響を受けて、生かしていたことが間違えではなかったことが確認できた思いで嬉しく、あらためて彼女と出会えてよかったと感謝したい。ラヴェルの「ボレロ」は若手たちの踊りや装置美術の釣りものが興味深かったのだが、またマック・エッツのお兄さんが俳優として出演し、舞台装置であるお風呂のバスタブの中にバケツで水を入れる動作が何度も行われるのだが、今思うとそれに気を取られて純粋にダンサーたちの踊りを集中して鑑賞できなかったのが心残り。「アナザープレイス」の男女の踊りは深みがあり素晴らしい。この作品の前作はミハイル・バリシニコフが主演したものだが、その続編ともいえる本作も女性ダンサーが感傷的に演じ、年輩女性の支持を充分に得ただろうし、この作品はかなり奥義深かった。終演後眞理子さんがロビーで迎えてくれた。外へ出ると日差しが差し込んで暑いぐらいであったがオペラ座を囲むその街並みは美しい光景であった。
 その後青山眞理子さんと別れ、今度は恩師のひとりであるパリ在住の舞踊家の工藤大弍先生ご夫妻と会い夕食を共にさせていただいた。今から30年以上前にやはりここパリで工藤先生と出会い、当時フランスで日本人バレエダンサーでいながらモーリス・ベジャールバレエ団やマルセイユ国立バレエ団で活躍していた真っ只中で忙しいなか、一緒にレッスンを受けていただいたり、レストランに連れて下さりカフェでご馳走になった思い出がある。その後振付家に転身され東京で自身のバレエ公演を青山劇場で行い、その時のご縁でダンサーとしても出演させていただいた。以来親交は続き、小生がパリを訪れるたびに時間を割いてお会いして下さり、夫人のピアニストのゆかりさんとともに今でもお付き合いが続いている。20年前にルーアン州立劇場に出演した時も、11年前に大阪芸術大学舞踊コースがルーブル美術館イヴェントに出演した時も観に駆けつけていただいた心温かな芸術家でおられる。今回も連絡すると快くお会いして下さり、とてもトラディショナルなフレンチスタイルのレストランへ連れて行っていただいた。メニューひとつひとつ夫人のゆかりさんが訳してくれてたくさん注文してご馳走になった。毎年夏に日本に里帰りしてはバレエ講習会を開き、ご自身のフランスのバレエスタジオに留学生を迎えたり教育者としても活動されていたのだが、惜しまれながら昨年を持って終了された。しかしまだまだ元気でバレエ活動されて欲しいと願いながら旧交を温めた素敵な夕食会だった。
 パリ滞在最終日はルーブル美術館へまず出向いたが入場券を持ち合わせてなく足止めされてしまった。いつしかネットで予約しなければならなくなりそんなこといざ知らず、前述したここ美術館で大阪芸術大学舞踊コースを率いて日仏友好イベントに招かれ公演をした場所に懐かしみに降りたかったのだが、入れず残念であった。
 その後大学教授として日頃バレエ史にも触れていることもあり、研究目的も兼ねて、旧パリ市民劇場やディアギレフ率いたバレエ・リュスの本拠地であったシャトレ座を訪れた。バレエ・リュスとはロシアバレエ団の意で、今から約100年前にロシアで活動していたバレエグループが、バレエロマンティックがすっかり廃れてしまったパリで、ストラヴィンスキーやプロコフィエフといった当時の現代気鋭の作曲家のバレエ作品を次々と上演をして席巻し、その斬新さにパリジァンたちをは圧倒されたのだった。その後バレエ人気は復活し、そんな歴史的な出来事が繰り広げられたその地に立つことが出来たことは、バレエに一生を捧げている者として意義深く感じずにはいられない。その後再びセーヌ川を渡ってドラクロワ美術館兼アトリエ跡まで迷いながら歩き、やっとたどり着き中に入って見ることが出来た。有名なジャンヌ・ダルクのフランス革命の絵を描き、ロマンティックバレエの思想に影響を与えた彼の側面に触れることが出来た。かなり歩き廻ったので足が棒のようになったが、最後のランチは近くのカフェに入って今日のランチなるものを頼んだ。トマトスープ状のプレートでスパイシーな味のもの。でも天気に恵まれてオープンカフェは気持ちよかった。
 長くなってしまったが今回のパリ滞在は日本人として海外バレエ団で活躍されたパイオニア的存在でおられ、今なお海外に拠点を置かれている青山眞理子さんと工藤大弍先生にお会いできておふたりの出会いにあらためて感謝の気持ちを抱くとともに、尊敬の念が更に強くなったことを付け加えたい。今の若いアーティストたちはおふたりのようなパイオニアが存在していたからこそ、今日の日本のバレエの国際化があることを忘れてはならない。

お問い合わせ
このページのTOPへ