2021年11月(2)
恩師である牧阿佐美先生がご逝去された。バレエ界に身を置くことが出来たのも牧先生のおかげである。9歳の時から牧先生が主宰しておられた日本児童バレエという全国で本格的にバレエを学ぶ児童を対象に、より高度な教育を受けさせることを目的とした機関がつくられ、母親の考えで勧められ毎週日曜日にレッスンや舞台に向けた稽古に参加していた。
実は自分にとって劇場の初舞台もその日本児童バレエ第1回公演の時に何と10歳にしてNHKホールで牧阿佐美先生振付「マチネコンサート」という作品でデビューさせていただいた。今でも忘れられないのが袖から双子の兄と揃って走り込んで舞台上に現れたのだが、そこでいきなり大きな拍手と歓声が起こり、自分でも予期せぬことで興奮して踊ったのを鮮明に覚えている。しかしあの紅白歌合戦が行われる実に広いステージに小動物のようなちびふたりが走り込んでくればお客も喜ぶに決まってるなと今考えてみれば納得がいく。そんな時空間で踊る機会を与えて下さり、その時にもうすでに一生バレエの世界に身を置く運命を神様から授けられたようなものであった。
阿佐美先生は今でも時あるごとに親交を続けさせていただき、本欄でも述べさせていただいていたが、最後にお目に掛かったのが、やはりお世話になった新国立劇場で、この春に舞踊部門の企画会議でとなりに座らせていただいた時であった。ここ最近会議には顔を出したり出さなかったりで心配していたが、その時は元気で「充ちゃん、今日もよろしくね」と40年以上変わらぬ姿勢で臨まれていた姿が忘れられない。
訃報を聞いて落ち込んでいたときに親友の熊川哲也君から連絡があり、「悲しいね」と気に掛けてくれ、ならばということでふたりで牧先生へお別れしに中野にあるご自宅に挨拶に伺わせてもらった。またちょうど日々青山にある松山バレエ団に公演稽古で通っていた時で、清水哲太郎先生とも師を悼み、公演のなか牧先生を追悼する機会をつくって下さいました。毎年行っている自分のバレエコレクション公演では亡くなった恩師をトリビュートすることが多いのだが来年の公演では先生に捧げる作品をひとつ上演するつもりである。