堀内 充の時事放談

バレエダンサー・振付家・大学教授として活動を続ける堀内充の公演案内です。
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●2025年3月
2月下旬松山バレエ団「ジゼルとアルブレヒト」全幕公演が無事に終えた。前号で伝えたとおり、熱き稽古が続きまた新聞やSNSでも話題となり、双子の兄がアメリカから駆けつけてくれたり身内やかつての学友たちもたくさん応援してくれ、上演した鎌倉芸術館は満席の観客をお迎えし盛況でそんななかで踊らせていただき感無量であった。観には来れなかったが親友の熊川哲也KバレエTOKYO芸術監督も数日前に気にかけてくれて夕食に招いて励ましてくれた。
1幕の登場シーンは紗幕のなかでジゼルへの想いを貴族の身であるアルブレヒトとして演じ、また幕が上がり夜明け後には変装して村の若者ロイスとしてジゼル、そして村娘たちと収穫を祝いながら踊る場面がもっとも好きな場面であった。舞台装置、衣裳、照明、音楽があまりにも美しく一心にバレエに身を捧げた。ジゼル役森下洋子先生、バレエ団の皆さんのお力添えで、そして何よりもここまで導いて下さった師・清水哲太郎先生の情熱溢れた徹底指導のおかげで務めることが出来感謝の念でいっぱいであった。同じく大阪芸術大学卒業舞踊公演も無事に終えることが出来た。2日間にわたり大阪芸術大学芸術劇場で繰り広げられ、特に2日目は3階席まで埋まり観客限度数の555席が埋まり超満席であった。大学舞踊は大学スポーツと同様、かつてここで活躍したOBたちが勢揃いし、自分達の姿を重ねながら後輩たちの姿を見守る姿が胸を熱くする。ロビー、観客席ではかつての教え子たちが数え切れないほど顔をそろえていた。バレエ「オペラ座の怪人」、ドビュッシー音楽「小組曲」、ラフマニノフ「ピアノコンチェルト第2番」、ピアソラ弦楽曲、ショパン〈エオリアンハープ〉などずらりと小生振付作品を並べて上演させていた。出演した大学舞踊コース生55名は2日間情熱溢れる踊りを披露して万来の拍手は受けていました。こうして令和6年度の大学行事を終えることが出来た。
大阪芸術大学舞踊コース生、そして玉川大学芸術学部舞踊学科堀内ゼミ生共に1年よく頑張りました。
・・・卒業式は桜が咲くといいな。 -
●2025年2月
新年明けてから東京で松山バレエ団「ジゼルとアルブレヒト」に向けたリハーサルに明け暮れた。松山バレエ団では午前中は朝礼から始まり、総監督清水哲太郎先生による談義が毎日ありその後レッスンに入るが、今回の演目はジゼルとアルブレヒトで作品の解釈や新たに改訂する経緯、またかつて清水先生、森下洋子先生がさまざまな恩師から薫陶を受けた話にまでさかのぼる。ロシアの名花ウラーノワや伝説のスター・ヌレエフの思い出話が始まると胸が踊る。以前「新白鳥の湖」に出演した時の朝礼では日本に初めてボリショイバレエ団が来日してその時の男性舞踊手ヤグジンが素晴らしかったと話して下さり、何と彼はモスクワ国際バレエコンクールに出場した時に受けさせていただいたボリショイバレエ団カンパニークラスのレッスンティーチャーで、父親もヤグジン先生のことをよく知っていたこともあり、こちらからお声がけしたら丁寧に指導して下さり、その後食事まで共にさせていただくほど親しくさせていただいた恩師であった。清水先生や森下先生のお話を聞いて「ガッテンだ!」と手を叩きたくなるほどうれしい気持ちになったのは言うまでもない。それにしてもこの話しについていけたのもおそらく今や日本では私だけではないかと思えてならないのだが…。
松山バレエ団は国内最高峰の伝統を持つバレエ団で、自分が高校生の頃に憧れたところであった。当時はNHKバレエの夕べというバレエ番組が1年に一度あり、業界では有名でマスコミにもたびたび登場していた番組「名曲アルバム」で知られたNHK名プロデューサーでおられた藤井修治氏に見出され、最年少15歳で初出演して以来毎年出演していたのだが、主役王子は毎年決まって清水哲太郎先生でいつも遠目から羨望の眼差しで見つめていたのを覚えている。今で言えばメジャーリーガー大谷翔平選手を新人選手が見つめるような感じであった。本来ならばあいさつ出来る立場でもなかったのだが、NHKホールの楽屋付近ですれ違った際に「充君!」と声をかけていただき胸が高鳴ったことが忘れられない。松山バレエ団「ジゼル全幕」を初めて観たのも今から40年ほど前で東京・日比谷にある日生劇場で森下洋子先生と清水哲太郎先生が主役を務め、外崎芳昭さん、安達悦子さん、高橋良治さんといったバレエ団主要アーティストが高いレベルの踊りを披露し、何よりも芸術性溢れる舞台機構で装置や衣裳、照明すべてが美しかった。その豪華絢爛な美術そのままに、今回踊らせていただくことに感激極まりない。幕開きのプロローグで最初に登場するのが貴族アルブレヒトで重厚な貴族の出立ちで颯爽と坂道からマントをに身を包ませながら現れる。そして自分が貴族である身分を捨て村娘ジゼルに愛の告白を今日こそ打ち明けるのだと心に誓いながら近づき、また家の前の木造りのベンチに膝つき亡き父に許しを乞う祈りを捧げる。清水総監督はここのシーンにもっとも力を入れて下さり、毎日1時間近くに渡ってマントさばき、振る舞い、心の描写すべてにおいて特訓を重ねた。マントさばきがうまくできないと察すると何とマントを新調して特製を用意して下さり、そんな熱き想いに応えなければとこちらも必死になった。稽古は厳しかった。しかしあの40年前に観た憧れのシーンがまさか今になって自分がそこに身を投じることができることが幸せであった。こうして朝から夜まで全身全霊で本番に立ち向かう日々が続いたのであった。大阪芸術大学舞踊コースも学年末2月中旬に1年を総括するバレエ公演である第40回卒業舞踊公演に向けてリハーサルに熱を帯びた。本番の2週間前には毎年かならず大学芸術劇場にこもり、朝から大学芸術劇場舞台上でピアニスト生演奏によるレッスンから始まり、午後から夕方にかけて下校時刻6時半すぎまで丸一日バレエ漬けとなる。一聞たいへんそうに聞こえるが、これが舞踊学生にとって1年で最も楽しい時間でこの時を待ち望んで日頃から過ごしているのである。プロフェッショナルな舞台運営スタッフが集まる下見稽古でも朝10時から夜7時までお弁当付きでみな喜んで全力で踊るのである。自分が若き頃、アメリカで過ごしたバレエ学校やプロになってさまざまなバレエ団で経験したことをこの舞踊大学でも主任教員として着任して以来かならず実践させているもので楽しくないはずがない。
よく受験相談で入学希望者の親子が「在学中に留学を考えたいのですが」とか話されることがあるが、いつも自信持って「留学されている時に大切な瞬間を失いますよ」と答えている。これは本心、どうぞ本学へお越し下さい。唯一無二の大学舞踊教育がお待ち申し上げております。 -
●2024年12月
年の瀬となりいきなり寒さがしみるようになったが2024年バレエ界も活気に満ちていた。松山バレエ団「新白鳥の湖」「ジゼルとアルブレヒト」「くるみ割り人形」K-バレエTOKYO「カルミナ・ブラーナ」「マーメイド」、新国立劇場バレエ団「白鳥の湖」「眠れる森の美女」東京シティバレエ団「白鳥の湖」、スターダンサーズバレエ団「DANCE SPEAKS2024」、バレエシャンブルウエスト「眠れる森の美女」、名倉加代子ジャズダンス「キャントストップダンシング2024」、京都バレエ団「伝承の芸術そして未来へ」、貞松浜田バレエ団「創作バレエリサイタル33」、法村友井バレエ団「アンナ・カレー二ナ」といった国内主要バレエ団や他に恩師や教え子が主催するさまざまな公演の鑑賞を通して舞踊の美学を堪能させていただいた。
昔からバレエ公演に出演するのも観るのも大好きで玉川学園中学部、高等部に在学中からしょちゅう制服姿のまま学校帰りに劇場に通っていた。松山バレエ団、牧阿佐美バレヱ団、東京バレエ団、谷桃子バレエ団、小林紀子バレエシアター、井上博文によるバレエ劇場といったところへまだインターネットなどチケット予約がない時代、電話予約や日比谷プレイガイドあるいは当日券でチケットを購入していた。当時学校の同級生に今でいう映画オタクがいて彼は毎週映画館に通い、映画のうんちくをクラスでみんなによく話をしてそれを聞いて情報を得ていたが、こちらもバレエ情報では負けていなかった。しかしまだバレエなど知られてない時代で聞いてもらう相手は学校にはおらず、もっぱら家でうっぷんばらしのように母親にばかり話していた。父親に話すと主宰するユニークバレエシアターのライバル的存在の話しになってしまい、たまに機嫌を損なうので少年ながら気を使う術を心得ていて黙っていたことが多かった。今となればいい思い出である。
春に今年の秋から始まる大阪芸術大学舞踊公演のラインナップを舞踊学生に発表するのだか、ガストン・ルルー原作「オペラ座の怪人」をそのひとつに決めた。ミュージカルで大ヒットした名作のバレエ化である。ここ数年「ウエストサイドストーリー」「アルルの女」「カルメン」とたて続けに上演し、自身のドラマティックバレエのレパートリーを新たに加えたいと考えニューヨーク留学時代から憧れであった名作に白羽の矢を立てた。まず管弦楽用の音楽を入手し原作を読み直してイメージを膨らませた。ちょうど上演中であったミュージカル公演にも足を運びニューヨークで観た感動を甦らせた。そしてウェーバーの音楽の調べと照らしあわせ改訂台本をつくり舞踊作品用に再構成した。本番初演は12月中旬、稽古開始は7月から開始した。舞台美術も舞台美術コース担当の加藤教授と入念に打ち合わせを重ねて美術学生が総掛かりで1幕5場のデザインと製作を行なった。夏休みをはさみ大学授業でリハーサルを行ったが構想や振付は大学院舞踊研究室に閉じこもって朝晩練り、度々の難局を乗り越えた。また劇中にフラメンコを登用したのだが、若い舞踊学生たちがなかなかイメージが掴めず、関西在住の著名なバイアオーラ市川惠子先生を訪ねて全員でフラメンコショーを鑑賞し終演後手ほどきを受けた。衣裳制作にもこだわりを持ち試行錯誤を重ねながら出演者たち自らがチュチュを休日返上で大学教室で縫った。こうして4ヶ月間さまざまな努力、準備を重ねて大阪芸術大学内にある劇場に入り、舞台照明コース担当の劇団四季所属の紫藤教授とその教え子たちが丸3日間明かりづくりに取り組み、ついに公演を迎えたのである。こうして本番はスタッフ、出演者がひとつとなり成功を収めることが出来た。約3年ぶりの新作を上演し終演後は久しぶりに胸が熱くなり関わった全ての方々を労った。この新作バレエ「オペラ座の怪人〜クリスティーヌとファントム愛の果て」は来年2月16日日曜日に大学芸術劇場で一般公開致します。皆様のお越しをお待ちしています。
本年2024年もバレエ公演に出演、そして振付作品を多く上演することが出来ました。皆さまのお力添えに心より感謝申し上げます。よいお年をお迎え下さい。
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●2024年11月
この11月大阪芸術大学舞踊学内公演でドビュッシー作曲「小組曲」を振付し上演した。同名の管弦楽曲をバレエ化したものだか2019年のバレエコレクション公演(めぐろパーシモンホール)で上演した振付はほぼそのままのかたちで舞踊学生2回生女性10名と4回生男性3名が出演してくれた。作品はフランスの印象派といわれたモネ、ルノワール、シスレーといった自然の描写、時の移ろい、淡い光の変化などを彩った絵画をモチーフに、同時代を生きた印象主義の音楽家クロード・ドビュッシーによるバレエ音楽「小組曲」の調べに乗り、パリのセーヌ川の辺りや公園をイメージし瑞々しく戯れる姿を描いた。もともとは父堀内完が今から35年以上も前に私、姉と兄に振付てくれたバレエ作品でもあった。父の主宰したユニークバレエシアター公演で初演し、その後TBSの人気音楽番組「オーケストラがやってきた」で“期待の双子星 堀内元・堀内充バレエ界デビュー”と銘打った特番を組んでいただき、その出演したときに上演させていただいた。テレビ番組なので司会者がおり、当時お茶の間で人気指揮者の山本直純氏とアイドルのアグネス・チャンさんのふたりが務めていた。そしてこの番組に出演したことでブレイク?してその後NHKの音楽番組や朝の情報番組「ズームイン朝」ラジオ番組、週刊文春、週刊新潮、週刊現代、月刊ポパイ、オリーブ、隔週刊ぴあなど次々と取材が舞い込んでマスコミに出る機会が一気に増えた。今は巷に知られる手段はSNSが主流だが、当時はそんなものどころか携帯電話すらない時代、つくづくテレビの力を思い知らされた。
そんな時、この9月に松山バレエ団「ジゼルとアルブレヒト」公演がありオーケストラ演奏された時の指揮者がなんと故山本直純先生のご子息の山本祐ノ介氏であった。ちょうど来年2月松山バレエ団鎌倉公演に出演する予定でそのリハーサルで小生もバレエ団に通っていたこともあり、バレエ団を通してかつてお父様の話をさせていただきご挨拶させていただいた。目の前で一礼したとき、風貌にどこか面影が似ていて懐かしかったのだが、祐ノ介さんは「当時父は色々とご迷惑をおかけしたのではないでしょうか」とユーモアを交えてお声がけくださった。お互い偉大な芸術家の父親を持つ似た者二世同士、すてきな出会いの場となった。
話しを戻すが今回の上演をより実のあるものにするべく、リハーサルしている期間にちょうどあべのハルカス美術館で「印象派モネからアメリカへ」展覧会が開催されていたので出演する舞踊学生10名と大学授業後に足を運び鑑賞した。その催しは作品研究にうってつけで、その日はレッスン、リハーサル、その美術館鑑賞と続き、最後に隣接されたレストランで感想を語り合いながら夕食も共にし、有意義な1日となった。このおかげで”バレエ「小組曲」2024年バージョン”も成功裡に終わったことはいうまでもない。 -
●2024年10月
秋らしい季節とはよく使う言葉だが9月中旬過ぎても今年は使ったことがない。高温が続く日々で四季折々の日本の美しさが失われていくようで芸術にとっても受難な時代になっていくのが寂しい気がする。
全幕バレエの幕開きでジゼルではオペラカーテンが上がると山の麓、樹木に囲まれた風景が照明やスモークで美しく彩りされているシーンから始まるが、その冒頭シーンで観客はみな自然のなかの四季を感じて息を呑む。そんな光景がわれわれにとっていつまでも身近でありたいものである。
今年の夏もバレエコンクールの審査員を務めさせていただいた。日本バレエ協会主催の全日本バレエコンクールと東京シティ・バレエ団主催の全国バレエコンペティションの2大会。夏休みをバレエに打ち込む若いダンサーたちの姿を見るたびに舞踊家としてうれしい気持ちになる。またテクニック、表現とも年々向上して感心するばかり。アドバイスシートというものが出来て久しいが、出場者のレヴェルも高く、逆にこちらが学ぶことが多くてもうアドバイスすることが少なくなり、そろそろこのシートは無くしてもいいのではないかと思うほど。ま、審査員としてこんな弱音を吐いてはならず、これからも見聞を広め精進してまいります。
毎年夏はバレエフェスティバルが盛んである。新国立劇場が主催するバレエアステラスが今年も8月上旬に2日間開催された。海外で活躍するバレエダンサーたちが夏休みを利用して帰国して出演するフェスティバル。
むかし東京・青山劇場で青山バレエフェスティバルという内外で活躍するバレエダンサーが一同に会して踊りを披露した日本で有名な国際バレエフェスティバルがあり、そのフェスティバルに10年間にわたり連続出演させていただいた。1994年には芸術監督を務めさせていただき、当時の公演出演男性メンバーに熊川哲也(KバレエTOKYO芸術監督)、堀内元(セントルイスバレエ団芸術監督)、久保紘一(NBAバレエ団芸術監督)、森田健太郎(新国立劇場バレエ団バレエマスター)、西島数博(バレエダンサー・俳優)といった第一線で活躍していたダンサーがずらりと顔を揃えていた。この時は当時青山劇場名プロデューサーでおられた故高谷静治さんが企画したすばらしいバレエ公演で堀内充とフットライツダンサーズのメンバーも勢揃いして出演させていただいた思い出深きもので、全日完売の大盛況の舞台でNHKテレビでも放映された。夏に海外バレエダンサーが集うフェスティバルといえば長くバレエ界ではこの公演が代名詞となり、そんなこともあって師であった新国立劇場バレエ団芸術監督(当時)の故牧阿佐美先生が「充ちゃん、また力になってくれるかしら」とこのバレエアステラスの実行委員に任命された経緯があり今も務めさせていただいている。今年も世界中で活躍する日本人バレエダンサーたちが集結して、すばらしい力を発揮して公演を盛り上げてくれた。このフェスティバルで最後を飾るフィナーレが今や名物でわずか数フレーズのカーテンコールながらどの組も爛漫な技を披露し、観客は興奮の坩堝と化すのである。決して大げさに言っているのではなくほんとにすばらしい。委員として来年度の公演企画もすでに始まっておりらまだ拝見していない方は来年ぜひご覧下さい。お越しをお待ち申し上げております。 -
●2024年11月
この11月大阪芸術大学舞踊学内公演でドビュッシー作曲「小組曲」を振付し上演した。同名の管弦楽曲をバレエ化したものだか2019年のバレエコレクション公演(めぐろパーシモンホール)で上演した振付はほぼそのままのかたちで舞踊学生2回生女性10名と4回生男性3名が出演してくれた。作品はフランスの印象派といわれたモネ、ルノワール、シスレーといった自然の描写、時の移ろい、淡い光の変化などを彩った絵画をモチーフに、同時代を生きた印象主義の音楽家クロード・ドビュッシーによるバレエ音楽「小組曲」の調べに乗り、パリのセーヌ川の辺りや公園をイメージし瑞々しく戯れる姿を描いた。もともとは父堀内完が今から35年以上も前に私、姉と兄に振付てくれたバレエ作品でもあった。父の主宰したユニークバレエシアター公演で初演し、その後TBSの人気音楽番組「オーケストラがやってきた」で“期待の双子星 堀内元・堀内充バレエ界デビュー”と銘打った特番を組んでいただき、その出演したときに上演させていただいた。テレビ番組なので司会者がおり、当時お茶の間で人気指揮者の山本直純氏とアイドルのアグネス・チャンさんのふたりが務めていた。そしてこの番組に出演したことでブレイク?してその後NHKの音楽番組や朝の情報番組「ズームイン朝」ラジオ番組、週刊文春、週刊新潮、週刊現代、月刊ポパイ、オリーブ、隔週刊ぴあなど次々と取材が舞い込んでマスコミに出る機会が一気に増えた。今は巷に知られる手段はSNSが主流だが、当時はそんなものどころか携帯電話すらない時代、つくづくテレビの力を思い知らされた。
そんな時、この9月に松山バレエ団「ジゼルとアルブレヒト」公演がありオーケストラ演奏された時の指揮者がなんと故山本直純先生のご子息の山本祐ノ介氏であった。ちょうど来年2月松山バレエ団鎌倉公演に出演する予定でそのリハーサルで小生もバレエ団に通っていたこともあり、バレエ団を通してかつてお父様の話をさせていただきご挨拶させていただいた。目の前で一礼したとき、風貌にどこか面影が似ていて懐かしかったのだが、祐ノ介さんは「当時父は色々とご迷惑をおかけしたのではないでしょうか」とユーモアを交えてお声がけくださった。お互い偉大な芸術家の父親を持つ似た者二世同士、すてきな出会いの場となった。
話しを戻すが今回の上演をより実のあるものにするべく、リハーサルしている期間にちょうどあべのハルカス美術館で「印象派モネからアメリカへ」展覧会が開催されていたので出演する舞踊学生10名と大学授業後に足を運び鑑賞した。その催しは作品研究にうってつけで、その日はレッスン、リハーサル、その美術館鑑賞と続き、最後に隣接されたレストランで感想を語り合いながら夕食も共にし、有意義な1日となった。このおかげで”バレエ「小組曲」2024年バージョン”も成功裡に終わったことはいうまでもない。 -
●2024年9月
6月に東京新聞アンコール公演が行われ、大阪芸術大学舞踊コース4回生が出演し「revelation」を披露した。
3月の全国舞踊コンクール群舞部門で第2位を授賞したことで本公演に出演することができた。昨年まで2年続けて秋田舞踊祭の前夜祭の公演に招かれて以降3年続けて大学外で舞踊コースが出演を果たし、一般の観客に日頃の活動の成果をお見せすることが出来た。このアンコール公演はやはりコンクールを経てここまでにたどりついたこともあり、応援合戦もなかなか派手で各作品が終わったあとのブラボーも多くこちらも心温まる光景で舞台は終わったときこそ喜びが溢れるもので、そんな瞬間を味わうこともできた公演でもあった。自分のホームグランドである東京に教え子たちを連れてくることが夢のようで、舞台前のレッスン、リハーサルも自分のバレエスタジオで行い、終演後の打ち上げも宿泊先の五反田近辺の食事処で食事を振る舞い、思い出深き夜を過ごした。大学生たちの姿勢も素晴らしく、大阪や九州、四国出身者が多いなかせっかくの東京ツアーだから観光に行くなんてこともせずに規律ある行動を共にしてくれた。なおこの栄誉ある賞を授かり(小生もどさくさに指導者を頂いてしまったが)大学学長が喜んで下さり、なんとこの東京遠征の旅程費用を助成していただいたのである。
舞踊高校生のみなさん、この学生ファーストを重んじる大阪芸術大学舞台芸術学科舞踊コースをよろしくお願い致します。 -
●2024年8月
パリ五輪が終わったが、テレビや通信では日々賑やかに報道されていた。パリはバレエ・ダンスの故郷でもあり、バレエに関連するものが映像でたくさん出てくるかと期待したがさほどでもなかったが、ダンス関連は多く登場し楽しませてもらった。やはり競技として初めてダンスであるブレイキンが行われ興味深く観た。ちょうどニューヨーク留学していた頃に下町であるダウンタウンでブレイクダンスが誕生し、黒人系アメリカ人の若者たちが踊るシーンを目の当たりにしていた。人種、階級的にハングリー精神から娯楽として生まれたものが年々とダンスジャンルとして確立されていったが、ナイトスポットであるクラブとかで踊るには激しすぎ、さらに帽子であるヘルメットや服装も防具的に特殊になり、またより身近なストリートダンスが台頭してからはブレイキンは影を潜めていった。ところがちょうど30代を迎えた頃、ホリプロミュージカルが主催した「DORA〜100万回生きたねこ」に沢田研二さんと役を分け合って主演したときに演出・振付を担当したフランス人舞踊家のフィリップ・ドゥクフレが日本人ブレイクダンサー4名を登用して作品の中でブレイキンを起用し、それが斬新に映り日本公演とフランス公演では大人気を博しチケットは全て完売となった。ドラ猫のDORA役のバレエダンサーである私はセリの上で、ブレイキンダンサーたちは地下にもぐり同時に踊り、特殊反射版で舞台上に重なるように写し出すしくみであった。あれから時が経ちニューヨークでは衰退したジャンルになってしまったが、あの時の火種がフランスに残ってブレイキンは異国フランスで再びブームとなり、スポーツ競技となったのである。とても興味深かったことは昨年のブレイキンのプレ五輪大会は何と100年前にセルゲイ・ディアギレフが率いたバレエ・リュス(ロシアバレエ団)が上演したパリ・シャトレ座で行われたのである。フランスはダンス大国である自覚として、古い歴史を持つ宮廷舞踊からロマンティックバレエ、近代バレエ、そしてモダンダンスが生まれた聖地にブレイキンを迎えいれたのである。かつてロシアがフランスで衰退したバレエを自国に持ち帰り、クラシックバレエとして生き返らせた歴史と同じ構図をみる思いでこの姿を見守らせていただいた。素晴らしき舞踊王国のフランスに対しこれからも尊敬の念はやむことはないだろう。
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●2024年7月その2
国内、特に首都圏におけるバレエ公演は今や季節を問わず実に多くのバレエ団、企画プロデュースによって上演されており、その数は測ったことはないが海外の国々を上回っているのはたしかで世界稀にみる今やバレエ愛好国である。よく言われるのが国技である柔道で、今世界でもっとも柔道を愛している国はフランスで柔道人口は日本の4倍と聞きオリンピックでも常勝国となったが、バレエも同じでフランスが発祥の国でありながら今やバレエ人口のトップは日本でその数はやはり4倍だそう。
若かった頃、国際バレエコンクールに入賞しテレビやラジオに多く出演して紹介されたが、当時はまだバレエに触れることが珍しくいつも「バレエは男性もやるのですね」とか「タイツは抵抗ありませんでしたか」とインタビューアーが冷ややかな質問をするばかりで、今思い出しても悔しい思いがこみあげてくる。ただ少数だがバレエを愛している著名人もおられ、作家の遠藤周作さんや、東京都知事でおられた青島幸男さんの長女の青島美幸さん、タレントの飯星景子さんなどマスコミで知り合う機会に恵まれ、その方々はバレエの造詣が深く温かく接していただいた。またバレエ公演というものに対してバレエのノウハウを知る大切な手段は評論だが、私がプロデュースした公演で当時称賛いただいたものもあったが中傷するような評論もよく書かれた。15年20年前のことなので今は気にならないが、それでも若かったこともあり当時はずいぶんと落ち込んだものであった。昨年秋から今年上半期にかけて鑑賞したバレエ公演をざっと上げると
松山バレエ団「くるみ割り人形」「新白鳥の湖」「ジゼルとアルブレヒト」
KーバレエTOKYO「眠れる森の美女」「カルミナ・ブラーナ」
東京バレエ団「眠れる森の美女」「かぐや姫」
バレエ・シャンブルウエスト「眠れる森の美女」
京都バレエ団「くるみ割り人形」
大阪芸術大学「卒業舞踊公演」
新国立劇場バレエ研修所「エトワールへの道程2024」
といったところで最近は自分が観たいものを選んでかけつけている。
海外バレエ団も相変わらず多く上演されているが、以前に日本芸術文化振興基金の助成事業委員だった時、国内公演よりも海外からの公演に多く助成金を出していることに疑問を感じて以来足が遠のいてしまい、生粋の日本バレエをずっと応援している。文化人のひとりとして文化事業と海外興行は切り離すべきだと主張したい。また国内ミュージカルでもバレエシーンがありそれを観るのも楽しみで
劇団四季「オペラ座の怪人」「ライオンキング」
宝塚歌劇団月組公演「Eternal voice 消え残る想い」「グランドタカラヅカ110」
帝国劇場ミュージカル「ムーラン・ルージュ!」
も鑑賞させていただいた。交友ある舞踊家の御息女や大学の教え子といった面々が出演してうれしい限りである。
みなさまもこの夏劇場に足を運び、バレエ界やミュージカル界を応援して下さいませ。 -
●2024年7月
81回目を迎えた全国舞踊コンクール群舞部門に今年も大阪芸術大学舞台芸術学科舞踊コース生3年生19名を率いてチャレンジし「revelation」という作品で第2位を受賞させていただいた。過去2年間いずれもその年の3年生が6位、5位という成績を収めているが、そもそもコンクールの目的はその受賞記念ともいえるアンコール公演に出演できるからである。大学では芸術劇場というオペラハウスがあるのが自慢なのだか、大学以外の公演はなかなかなく広く一般の観客の方々に目に触れさせられず、東京で披露出来ないかと思い立ったのが始まりであった。そして念願が叶い6月15日土曜日にコンクール会場となった東京・目黒パーシモンホールでアンコール公演に受賞の褒美としてふたたび出演させていただいた。教え子たちは前日に空路で東京に入り、バレエスタジオHORIUCHIでレッスンとリハーサルを行った。日頃から大阪で会う顔ぶれと東京で本番まで帯同したが、若い頃東京シティバレエ団で客演ダンサーとして北海道や九州をそれぞれ数週間ずつ巡演した思い出があり、その時の舞台はもちろんだが、バスでまわる旅先でバレエ団員たちと夕食を共にしたり旅館やホテルに宿泊した楽しい思い出が忘れられない。昨年まで2年間秋田の舞踊祭に招かれ舞踊コース生と旅した時もそうであったがこの公演でも日頃の大学生活ではすることのない打ち上げをもてなし、舞台の緊張から解かれた舞踊学生の素顔にも触れることが出来よい思い出となった。