2016年6月(1)

 今年も堀内充バレエコレクション2016公演を無事上演することが出来た。毎年双子の兄である堀内元とふたりで作品を分けあって上演していたが諸般の理由で今年は私のバレエ作品5演目の上演となった。

 今年の出演者は過去4年間最多の50名で東京・西麻布のバレエスタジオも連日にぎやかにダンサーが出入りして稽古も熱気を帯びた。今回は全部私の作品だったためにダンサー全員と関わることが出来たのが収穫であった。またいくつかの作品はバレエミストレスを置かず、直接振付から稽古指導まで携われたのでダンサーとコミニュケーションが取れ、アーティスト同士の交流が出来た気がする。
 勤める大学でも年間5本ぐらい作品を振付しているがバレエミストレスは置いていない。そこは教育と実践の場でさまざまなアドバイスこそが大切になり、またダンサー側の教え子たちが授業としての受講姿勢の評価に関わってくるからでもある。それが自分のなかで慣習的になっているためか、通常の公演時に振付家は棚上げされてむしろダンサーは本番が近くなるにしたがってバレエミストレスと親密になってしまうこともあり、それに寂しさ?めいたものを感じてしまうのである。演劇の台本・脚本家、あるいは音楽の作曲家と同じような扱いは振付家は受けたくないものである。ダンサーの生身の身体を目の当たりにしてその場であれこれ振付をし、考え込んでそのダンサーたちが夢に出てくることもしょっちゅうで一方的な片想いかもしれないが、そんな想いに馳せるのが振付家の姿である。何だか他愛のない独り言になってきたのでやめておく。

 公演は各作品ダンサーたちの熱のこもった踊りで胸が熱くなった。自分がプロデュースする公演は昔からいつも本番は客席から観れないが舞台袖で見守っている。ジョージ・バランシンはほとんど客席には行かずミスターBと書かれた専用スペースと椅子が袖に置かれていた。今自分もバレエ振付家となり、その気持ちがわかるようになった。

 「ロマンシング・フィールド」は私がダンサーとして絶頂期の頃、フットライツダンサーズというダンサーズグループを結成して大阪と東京で公演を行っていたときに振付した思い出深き作品で初演当時、この作品らが評価されてグローバル森下洋子・清水哲太郎賞を受賞したものでもあった。若い感性を生かしてセントラルパークで過ごす男女5組の姿を寓話や月に寄せる想いなどを重ねて描写した。

 「バレエの情景」はストラヴィンスキーの同名の音楽をバレエ化させたもの。音楽は情動に満ち、また終末に向けた嘆きにも聞こえる主題と変容が印象的で、バレエブランの持つ儚い夢と重なり、幻想の世界を構築した。しかし自分の作品に対する思想に気になるところもあり、かつて同名のアシュトン版をロイヤルバレエ団で主演した親友に意見を求めた。彼は自身のバレエ団の活動にあわただしいなか返事をくれ、丁寧に答えてくれこの新作づくりに「頑張って!」と励ましてくれた。この言葉に勇気づけられたことはいうまでもない。

 「ラプソディ・イン・ブルー」はこのコラムにも書いたように昨年初演した再演作品。昨年のプレミアムガラという公演で出会った、今や仲間といえるダンサーたちに加えて本公演のキャストを新たに加わって上演した。やはり私のニューヨーク時代の話や作品意図を毎回彼女たちに語りながら進め、リハーサルも充実したものになった。

 「Les chemins」は毎回、私が踊る自作のデュエット作品、今回で4作品目で、昨年の「夕星のうた」、一昨年の「flowersong」と悲恋の主題が観客の共感を得たが、今年は一転ユーモアある愛の機微を描かせてもらった。音楽は“愛の小径”を起用し、文字通り、散歩道に引っかけて男女の恋の駆け引きを表現させてもらった。私はもちろん?好きな女性を追いかける男性を演じた。毎年のラインナップをみると実らぬ愛が私のテーマなのか…。

 「パリジェンヌのよろこび」はカンカンダンスをあくまでもショーのようなダンスにはせず、ポアントシューズを用いたシンフォニックバレエの上演を目指した。30数年前に父が「アロンダンセ」という仏語で「踊ろうぜ!」というタイトルで振付し、私が姉と共演した思い出深き作品でもあったが公演6日前に永眠し、くしくも父を追悼するかたちとなった。女性ダンサーたちは華やかにシンボルカラーであるオレンジ色に、男性ダンサーは紺色に染まりながら熱演してくれた。なおその女性が着用した衣裳もすべて私の母が製作したもので、観客の皆様にその衣裳をおみせすることが出来たのもうれしかった。

 本番当日は観客席でも毎年さまざまな顔ぶれの著名人の方々がみえて下さる。各バレエ団芸術監督の方々をはじめバレエ関係者はもとより、舞踊家・音楽家、プロデューサーや毎年10名を超える舞踊評論家、また演劇演出家、指揮者、作曲家、俳優や女優やオペラ歌手、舞台美術家、大学教授や高校教員、芸術大学生、文芸作家、漫画家にカメラマン、元体操オリンピック選手までと実に多彩な芸術家が集まり、休憩時間ではそれぞれが交流されている。かつて昭和の時代に夕刻になると美術展や音楽コンサートといったところに音楽・文芸・演劇のアーティストたちが集いロビーやそのカフェがサロンとなり芸術家同士が親交を深めていたことを父から聞いたり三島由紀夫の愛読書から知っていた。私が望むのはまさにバレエ公演もそのような芸術家のサロンとなることであり、来年以降もさまざまな方々をお迎えしたいと願っている。
終演後は劇場そばの食事処を貸し切り、夜遅くまで若い出演者たちと公演の打ち上げ会を行い、短いながらも充実した稽古の日々、そして本番を労いながらみなと楽しい一夜を過ごした。

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