バレエダンサー・振付家・大学教授として活動を続ける堀内充の公演案内です。

  • ●2018年2月

     今年もローザンヌ国際バレエコンクールが行われた。日本人の入賞は13年ぶりに逃したと聞く。そして中国や韓国の台頭が目立ったと新聞コラムに載っていた。中国や韓国はもともと日本人より身体能力も引けをとらず優秀で、たまたまローザンヌコンクールに出場しなかっただけで、北京国立中央バレエ団や韓国国立バレエ団、同じく韓国ユニバーサルバレエ団は30年以上の歴史を誇りバレエ界にその名を轟かしていた。ニューヨーク留学時代にも北京中央バレエ団のアメリカ公演を観に行ったが演目こそ古風で新しさはなかったものの、ダンサーのレベルは高く、男女とも欧米人と同じようなルックスのダンサーばかりだったこと覚えている。7年前に公開された映画「小さな村の小さなダンサー」の主人公のモデルとなった中国人バレエダンサー李存信と20年以上前に京都で出会い、同じ公演に出演する機会に恵まれたが、背も高く西洋人以上にバレエダンサーとして資質を備えた身体能力に驚かされた。当時彼はアメリカのヒューストンバレエ団のプリンシパルダンサーで大活躍をしていたが、当時の日本人ダンサーで彼に及ぶ者はいなかったし、彼の出身の北京舞踊学院が素晴らしいという噂もうなづけた。映画はその後彼がアメリカ人バレリーナと結婚し、中国に里帰りする愛の結末まで描かれている。見逃した方はいまだにYouTubeで予告編も見れるのでぜひご覧いただきたい。李役のロイヤルバレエ団中国人バレエダンサーのツァオも素晴らしい。李存信とは個人的にも声かけてくれて「充、本気でやる気ならばヒューストンバレエ団のベン(当時の芸術監督)にぼくが声かけてみるから来いよ」とまで言ってくれた。その時はとても嬉しかったのだが、当時22歳だった私はすでにマイアミシティバレエ団に内定していたのでついていけなかった。ところが人生とは意地悪なもので、その後マイアミシティバレエ団にはわずか6週間で解雇されてしまい、あの時は本当に運命について考えさせられたものだった。

     2月のおよそ半分は劇場で過ごした。大学にある芸術劇場だが、ここは本格的なバレエ、オペラ、ミュージカルが上演できる設備が整っている。2月下旬に行われた大学卒業舞踊公演のリハーサルだけでおよそ10日間を費やすことが出来たことは舞踊学生にとっては幸せなことだ。ふつう海外のバレエ団は劇場管轄のバレエ団が一般的で劇場の中にバレエ団本体があるので、劇場リハーサルなんて当たり前なのだが、ここ日本では東京という一都市に10数の大バレエ団がひしめいており、そのうち劇場付きのバレエ団はふたつしかない。私自身出演した海外の劇場のなかで、フランス・ルーアン市立バレエ団がとても印象に残る。やはり劇場の中にバレエスタジオを構え、年に数多くバレエ公演を行っていた。芸術監督ひとり、バレエミストレスひとり、唯一の日本人ピアニストひとり、そしてダンサーもわずか12名ほどの何よりもまるでひとつのリビングで過ごしているようなアットホームな雰囲気に魅せられた。わずか1週間の滞在だったが私が踊った演目の終演後、客席で観ていた芸術監督や団員が袖までかけつけてくれて労ってくれた温かさが忘れられない。しかしあれから20年経ち、財政難でバレエ団はなくなってしまったらしく残念でならない。海外バレエ、特にヨーロッパは日本と真逆でバレエ人気が衰え、コンテンポラリーダンスという若さや斬新さを出した演目が台頭した要因もある。最近こそバレエは人気を盛り返しているようだが、一度削られた財政予算を取り戻すのは容易ではない。
    そんな若かった頃の思い出があり、この劇場付き大学バレエに私はかつての想いを馳せ、今年も卒業舞踊(バレエ)公演に情熱を注いだ。2日間の本番までの間、ダンサーたちはさまざまな自身との葛藤や喜び、衝突といった若いエネルギーを燃やし舞台に立ち向かった姿はやはり輝いていて、本番中にあるアクシデントが起こってしまい号泣する姿にこちらも心痛め涙してしまったが、それでも素晴らしい若き瞬間に立ち会えることが出来、これも忘れられない思い出となった。
    …でも彼女たちが私のようにいつの日が振り返ることなんてあるのかなぁ~

  • ●2018年1月

     今年の冬は寒い。1月下旬の東京に大雪が舞った日は大学授業の帰りで、マイカー通勤しているのだが、細道の坂の積雪にはまってしまい全く動かなくなり、まだ11月に買ったばかりの自慢の新車(MAZDACX-3)だったのに人生初の路上置き去りにして帰るという失態を演じてしまった。翌朝早くに戻り近所迷惑のお詫びにあたり一帯を雪掻きをした。何とか事なきを得たが、雪といえばやはりレニングラードを思い出す。今ではサンクトペテルブルクと改称したが、高校生の頃バレエ研修旅行で訪れ、やはり真冬で雪が降り積もりかなり寒かったのを覚えている。駅からのバスでキーロフ劇場まで行き劇場前に降り立ったとき、降りしきる雪のなか真っ白な銀世界の中に凛として建つオペラハウスの美しく雪化粧された光景が忘れられない。これがロシアバレエの聖地を生まれて初めて見た衝撃的な瞬間で、以来そのおかげで雪とバレエのむすびつきが今でもほどけないほどだ。その日はキーロフバレエ団のカンパニークラスを幸運にも受けさせてもらったが、窓の外の雪景色とは違い中のバレエスタジオはポカポカに暖かく、みんなレオタードにタイツ姿のダンサーばかりで寒さなんてどこへやら熱気に包まれた男性クラスだった。

     年明けにぐんまバレエアテリエというコンクールがあり前橋まで出掛けた。このコンクールは賞を設けずわれわれ審査員がひとりひとりにシートにアドバイスを書き込みそれを出場者が受け取るというもの。出場者より審査員の方がハード?でこちらがアドバイスを審査されているみたいとは冗談だが、ひとりひとりを瞬時に判断して書かなければならなかったのだが、若いダンサーたちのためならという一心で彼女たちの踊りを見守った。その時一緒に審査員を務めたなかに、ふたり、私にとっては忘れられないパートナーがいた。ひとりは渡部美咲(現姓秋定)さんで、彼女とは自分のダンサーキャリアのなかでもっとも長く、多くの作品で共演させていただいた。彼女もかつてローザンヌ国際バレエコンクール受賞者で、今や誰もが踊ったことがあるほど高い人気演目のバリエーションである「タリスマン」のパドドゥをロシアバレエ指導者から初めての日本人ダンサーとして公式に指導を授かり、東京の青山劇場バレエフェスティバルでオーケストラ演奏による公演でふたりで踊らせてもらったことが印象深い。その踊りのおかげでグローバル森下洋子・清水哲太郎賞という奨学金付きの賞を財団からいただいた思い出がある。また名女優の大地真央さんからお声掛けいただき、東京や大阪で彼女のグランドショーにもふたりで出演させていただいたり、自分自身の振付作品にも主役のペアで踊ってく数多く共演させていただいた。
     もうひとりは矢場裕子(旧姓西山)さん。広島で2回グランパドドゥ「グラン・パ・クラシック」を20年前に踊っただけだがこちらもとても印象深い思い出となっている。当時彼女は神戸バレエコンクール優勝をはじめ数々のコンクールに上位に入る輝かしいキャリアの只中で、バレエ界でも期待の若手として知られ、彼女の指導者でおられた先生からパートナーの依頼を受け踊らせていただいた。やはり技術は抜群で一緒に組んだアダージョも素晴らしい出来であった。その後新国立劇場バレエ団でファーストソリストまで登りつめ、「くるみ割り人形」や「シンデレラ」など数々の主役を踊り、ここでも輝かしいキャリアを積み重ねていった。
     そんなおふたりと踊っていた当時ある思い出がある。東京で1幕物バレエ「アポロンとダフネ」という自作の作品を渡部美咲さんと主役をふたりでソワレに踊ったのだが、翌日マチネで広島で西山裕子さんとグランパドドゥを踊ったのだ。つまり東京で夜9時に踊り、翌朝いちばんに空路広島入りして午後2時にグランパドドゥを踊るというあまりにもハードで強行日程だったのだが、どちらもおふたりのレヴェルの高いダンサーだったので最高の踊りを披露することが出来た。もちろん2日間踊り終えた小生はクッタクタだったのだか、まだ若かったパートナーにはそんなところ見せてはいけないと必死になって前日も当日もへっちゃらぶりを装っていたことを覚えている。当時ふたりともまだ他人同士であったのだが、その後バレエ界トップバレリーナとしていつのまにか友人同士となったようで20年後こうして審査室でも和やかにされ、それを遠めに眺めて何だかとても不思議というか、素敵に感じた。
     -舞踊人生の思い出に感謝である。

    第33回大阪芸術大学卒業舞踊公演が行われます。バレエの巫女たちの4年間の集大成の場にぜひみなさまお越し下さい。

    ・・・2018年2月17日(土)・18日(日)14:00開演 大阪芸術大学 芸術劇場                                 (お問い合わせtel:0721-93-3781)
     

  • ●2017年12月

     すっかり寒くなり師走を感じさせる。街でも行き交うひとたちのファッションもそれぞれ厚手だったり重ねがさね着込んだり、思いおもいのマフラーを巻いたり見ていても楽しませてくれる。JAPANは流行があり若者たちもお洒落れな着こなしでいいものだ。こちらもかつて高校生の頃(玉川学園高等部)、話題のお洒落なバレエ少年だったこともあって(??)ananとかオリーブ、流行通信といった雑誌の取材をよく受けて、クラスの女子たちが教室で「充、見たよ!ほら」って買ってきた雑誌を見せびらかせてくれたものだった。でもさすがファッション雑誌で取材側のひとたちもとてもお洒落で、なかでもオリーブの編集長が30代半ばぐらいの男性だったが、たしかあの時も寒い日で自分の前に現れた姿がサーファー風でヨットパーカーにジージャン姿がすごくお洒落に感じ「カッコいいっ!」と思わず思ってしまって、取材中でも大人のセンスのよさに魅了された当時のことが忘れられない。

     バレエ「くるみ割り人形」京都バレエ団公演を無事に終えることができた。今回の公演の特色はこのバレエに登場する人物とほぼ年齢的にも同じ等身大の専門学校生ダンサーが踊ることが何よりも本物感があり、観る側も身近に作品に入り込めた気がする。主人公のドロッセルマイヤーを演じた山本隆之君も好演技を披露してくれ、私の演出意図をしっかり汲み取り、作品の核となってくれた。ゲストダンサーの新国立劇場バレエ団のプリンシパル福岡雄大君、同じく奥村康介君、バレエマスターの陳秀介君をはじめ、京都バレエ団団員、バレエ学校生徒まで総勢80名近いダンサーが総力を挙げて上演してくれたことに感謝の気持ちで一杯であった。

     同じ時期に上演日程が重なってしまったが、バレエ「カルーセル/回転木馬」も無事に終えることが出来た。玉川大学にある演劇スタジオという150人程が入る観客席を持つホールで毎年舞踊公演が行われるが、今年も全6回ほぼ満席のなかで本番が出来たという報告を受け、こちらも嬉しかった。

     大阪芸術大学舞踊コースでも年末に学内公演がおこなわれた。2回生14名によるバレエ2作品モダンダンス1作品のトリプルビル(3作品の意でバレエ公演の基本的な公演スタイル)を上演した。なかでも今年もラ・バヤデール第3幕「影の王国」を改訂上演したが、舞台装置美術を大学美術コース2回生の若干二十歳の学生が手掛けたこと特筆したい。毎年この版の美術は学生が手掛け、今年本格的な設備を誇る大学芸術劇場で影の王国を上演するようになって今回で8回目となったが、つまりこれまでに大学美術学生による3作品のデザインが創られたのである。美術学生にとってもまたとない良い経験となっているのは言うまでもない。なおこの舞台美術コース主任は大田創教授で、日本を代表する舞台美術家で、これまでに数々の演劇、オペラ、ミュージカル、舞踊の美術デザインを手掛け、私とも大学外で親交が深く、2年前にロミオとジュリエット全幕を在阪のY.Sバレエカンパニーに演出・振付を手がけたが、大掛かりな舞台装置デザインを彼に依頼し、素敵な装置をつくっていただいた。大学教授として勤めているといっても、ここは舞台芸術家の集まりで、舞踊界と何も変わりはない。そういえば少し前になるが、かつてミュージカル劇「ザ・スヌーピー☆ミュージカル」でスヌーピー役とウッドストック役で絶妙の?コンビを組んだ俳優ダンサーの大澄賢也も客員教授として大学に招かれ、そこで久しぶりに再会し、ふたりで抱き合って喜んだ日が忘れられない。舞台芸術という世界は現場であれ、教育現場であれ素晴らしき仲間で溢れているのだ。

  • ●2017年11月

     今年の秋は雨ばかりの日々で、こんな季節も滅多にない。バレエダンサーはインドアの活動なのであまり公演やその稽古などにはあまり影響はないが、ひとによっては湿った空気や不安定な気候は体調を崩すことがある。ダンサーは日頃からハードワークな生活を送り、また自身の身体も激しい踊りで日々消耗させ、体調管理にいとまがない。
      それでも本番を迎える前に不慮にもケガに見舞われてしまうことがある。せっかく公演に向けて出演する仲間たちと日々稽古を積んできたのに、そんなことがあると文字どおり戦線離脱して仲間たちから離れなければならない。また本番を務める責任感もありこの痛みと不安を抱える辛さは経験したものにしかわからないだろう。昨年新国立劇場で踊ったときも直前に肉離れをして辛かったのだか、ダンサーとして何度も経験してきただけに、それを直面したダンサーを見るといても立ってもいられなくなる。まるで飛べなくなった鳥を飛べるように必死になって手を差し伸べ、何とか飛べるようにする感じなのだか、ふたたび仲間たちのところに戻り復帰できた時の姿を見る感動はたまらない。
    10月下旬に行われた大阪芸術大学舞踊コース卒業制作公演でもそんなことがあり、無事に幕がおりたときは胸がいっぱいになった。

     昨年12月23日をもって19年間毎年欠かさず続いていた栃木・宇都宮で行われていた堀内版「くるみ割り人形」全幕公演の幕を閉じた。まだ振付家としてかけだしだった私に声を掛けてくださった橋本陽子エコール・ド・バレエ主宰の橋本陽子先生には感謝の気持ちでいっぱいである。
    そんな折り、今年の12月は京都バレエ団の依頼でこのくるみ全幕を上演させていただくことになった。団長で芸術監督の有馬えり子先生が振付された演出バージョンをこのバレエ団は定期上演をされていた中、リニューアルしたいという意向を受け、はじめはバレエ団の親しんだ作品を引き継ぐことに果たしてこの自分が引き受けていいのか正直戸惑いもあったが、有馬先生は「気になさらず堀内さんのやりたいように…」という身に余るお言葉をいただき新たな気持ちで臨ませていただいている。橋本バレエ版も年を重ね毎回所々改訂してきたが、今回は関西初上陸ということもあり、大幅な改訂振付に踏み切らせていただいている。くるみ割り人形が王子となり、主人公の少女クララと愛の夢が展開されるのが一般的なストーリーだが、このバレエのもうひとりの主人公であるドロッセルマイヤーというくるみ割り人形をつくった人形技師がクララへの想いを綴るという主題に置きかえさせてもらった。このバレエの原作であるホフマン物語のなかの「くるみ割り人形とねずみの王様」ではクララであるマリー姫がドロッセルマイヤーの甥と結婚する結末になっていることをヒントに私自身がバレエ台本として改訂した。ねずみの女王の呪いによって人間性を失ってしまったある人形王国の技師ドロッセルマイヤーが、占星術をとおして少女クララを見つけ、純粋で無垢な少女の姿に惹かれていくところから始まる。そして自分の化身としてくるみ割り人形をつくり、それをとおして彼女との愛を成就させるために人間界に向かう筋書きにしている。ひとにはさまざまな愛のかたちがあり、男女、親子、兄弟、師弟の愛から枠を超えた愛までそれぞれに胸に秘めた愛のかたちがあり、それが人間の一側面であることを描きたいと考えている。ドロッセルマイヤー役には新国立劇場バレエ団オノヴルダンサー(長年バレエ団で活躍をされ功績が認められた舞踊手に贈られる称号)である山本隆之君が務める幸運にも恵まれ、彼のこの作品に対する理解力を期待していたが、リハーサルではその取り組みが素晴らしく、役作りに余念がない。また団長が私に寄せた気持ちそのままに、連日のリハーサルはバレエ団総力を挙げて熱気を帯びていて、この改訂初演の本番を楽しみにしている。

     同時にミュージカル「回転木馬」のバレエも振付している。ロジャース&ハマースタインというあの名作「サウンド・オブ・ミュージック」の作曲家として知られているふたりが音楽を手がけたブロードウェイミュージカルの名作のバレエ化である。といってもわずか18分程の小品で同じく11月下旬から12月初旬にかけて玉川大学芸術学部卒業舞踊公演で上演する。この作品のために音楽を新進音楽家八谷晃生君に再構成、編曲、ピアノ演奏録音を依頼し、大学パフォーミングアーツ学科の学生による美術デザイン・装置制作、衣裳デザイン・製作、出演もオーディションで舞踊学生を選抜、声楽学生によるシンガーまで出演するという、まさにこちらも大学が総力を挙げて臨んでくれる。私に絶大な信頼を寄せてくれる母校とはありがたい。アメリカの遊園地の中の回転木馬で働く青年ビリーと女子会で遊びに来た少女ジュリーのふたりが恋におちるが、ビリーが心の迷いから犯罪に巻き込まれ殺されてしまう。降臨した天使たちが彼を迎え天国に連れ帰るがジュリーを本当に愛していたことを(これが名曲「If I Love you /もしも君を愛したなら」)最後まで必死になって伝えるというラブストーリー。今回はこちらも自分で台本を改訂し原作とは多少異なるが、少年の頃父が映画の同作ミュージカルを愛していて、それに触発され母に映画館に連れられて観て子供ながらに感動した思い出があり、13年前にニューヨーク・ブロードウェイでリバイバル上演した際にもかけつけて観に行ったほど好きな作品であった。その後日本で東宝ミュージカルが上演権を得て上演したが、それに出演したかったのだが諸事情で叶わなかった苦い思いもした。しかし、その日本版も観に行ったが素晴らしかった。その時のビリー役だったミュージカル俳優の宮川浩さんだったが、彼はブロードウェイ版の彼にひけを取らぬ熱演で深く感銘を受けた。人生とは不思議なもので、その後彼とは人気ミュージカル「ザ・スヌーピー」で彼がスヌーピー役、私がウッドストック役で共演する機会に恵まれ、それ以来親交が深まり、私のバレエ公演にも俳優として出演してくれる仲にまでなった。何だか失礼だがいまでも彼と会うたびに(おお、ビリーだ!)なんて思ってしまう。それほどお気に入りのミュージカルなのだが、それにしても振り返ると今回のくるみ割り人形にしてもバレエ回転木馬にしても自分は恋愛ものが大好きなんだなぁ…なんて思ってしまう。 それも一途の愛がね…。

    ・・・京都バレエ団公演「くるみ割り人形」全幕
    2017年12月2日(土)18:00開演/12月3日(日)15:00開演 びわ湖ホール中ホール 
    (お問い合わせ tel:075-701-6026)

    ・・・玉川大学卒業プロジェクト舞踊公演「百華繚乱」
    2017年11月29日(水)~12月2日(土)18:30開演/12月3日(日)13:00開演+18:30開演                                    (お問い合わせ tel:042-739-8092)

  • ●2017年10月

     夏から秋になりバレエ公演がたけなわである。外来バレエ団もとくにロシアやフランスを中心に相変わらず多く来日し行われるが、やはりここは日本。自国のアーティストたちの頑張りぶりがうれしい。8月下旬に行われた吉田都さんと双子の兄の堀内元のふたりが中心になって上演した「Ballet for the Future」という公演では座長ふたりともスターにふさわしい踊りを見せた。ともにロイヤルバレエ団、ニューヨークシティバレエ団という最高峰で踊ってきただけあってオペラハウスが似合うダンサーであること感じさせた。今年はパートナーをそれぞれ替えて踊ったが、いずれも新国立劇場バレエ団のトップスターで華麗な踊りは言うまでもない。
     同じ世代の稀有のバレリーナ下村由理恵さんも「篠原聖一BALLET FOR LIFE 2017」という毎年恒例のバレエ公演で『ロミオとジュリエット』のジュリエット役が素晴らしかった。女性ダンサーにとってジュリエット役は最高度の技術と表現力を要求され、シェイクスピア台本では14歳だが舞台では同じ歳の子が演じることは演劇・舞踊ではありえず、一流ダンサーのみが挑む。彼女の踊りはまさに一流の証しでカーテンコールでもスタンディングオーベーションを受けていた。

     Kバレエカンパニー公演「クレオパトラ」はおそらく今年のバレエ界最高の話題作であろう。春の「ピーターラビットと仲間たち」、夏の「海賊」全幕、そして今回の秋の「クレオパトラ」と季節毎にこのバレエ団公演に足を運んでいるが、今回の演目は演出・振付・台本・音楽・美術すべてゼロからのスタートで、ミュージカル界ではよくあり、私もホリプロミュージカルなどでこのような新制作に出演させて頂いて経験があるが、国内バレエ界でこれだけ総経費数億円かかるプロジェクトを手がけるのは空前絶後と言っていいだろう。公演を拝見し、クレオパトラにまつわるバレエ・ダクシオン(バレエ用語で逸話の意)をひとつひとつ丁寧に演出しグランドバレエが持つダイナミックな舞踊シーンも展開される。
    とくに印象に残るシーンはやはり主人公が大掛かりな舞台装置でピラミッドを思わせる大階段を登り詰めていくクライマックスだ。またディレクターの親友が「主題の音楽が素敵すぎる!」と渋谷のカフェで語っていたようにほんとに音楽が迫力に満ち旋律が美しい。間違いなくバレエ史に残る大作となるであろう。

     舞踊大学でも公演シーズンが始まる。大阪芸術大学舞踊コースでも毎年かならず10月下旬に舞踊コース卒業制作公演を行う。上演演目は学生主導で演出・振付・スタッフ・運営・制作まですべて請負う。公演経費まで自分たちが4年間積み立てた費用でまかなう。今年の4回生(大阪では学年を回生と呼ぶ)はわずか女子学生13名でのぞむ。彼女たちはこの4年間ずっとこの少人数で大学を過ごしてきて、いつも真摯な姿勢で授業であるレッスンやリハーサルに向かい、女子学生ばかりということはこれまでにほとんどなく、ひとりひとりが巫女のように神聖さすら感じ愛着がある。
    ぜひとも彼女たちの頑張りぶりをハロウィンの夜大阪芸術大学芸術劇場まで観にお越しいただきたい。
     ・・・2017年10月31日(火)15:00開場 15:30開演 大阪芸術大学 芸術劇場
                                       (tel:0721-93-3781)

  • ●2017年9月

     今年の夏は後半が雨ばかりでまた気候も涼しかったが、これまでずっと酷暑が続いていたので何だか拍子抜けもする。でも我々バレエスタジオで生活するものにとっては嫌いな冷房に頼らずレッスンやリハーサルが出来て鬱陶しさも半減してホッとしたことも確かだ。ウォームアップを心掛けなければならないダンサーの身体にとってはエアコンは敵だ。世の中すぐに「熱中症に注意を」とか呼びかけ、それをいいことに今ではスタジオはガンガン冷やされ、ジュニアダンサーたちに水をゴクゴク飲ませたりする。トラディショナルなバレエを教える側にとっては現代はまさに厄介な風潮ができて嫌なものである。

     そんな文字どおり善くも悪くもいつも心身カッカばかりしている?自分にとって他分野の劇場鑑賞が清涼剤になる。贔屓にしている演劇集団の舞台もこの夏に観ることができた。演劇の街下北沢を拠点に活動している“パフォーマンユニットTWT”の公演で、今回は「Nice Buddy~白か黒かは選べない~」という新作で、またも期待を裏切らず楽しく鑑賞させていただいた。私もかつて舞台人として先輩である元タカラジェンヌの方々にお声掛けいただきミュージカルに多く出演させていただいて、今でも演劇、ミュージカルをたまに観るが、その広い客席のために舞台からのセリフを時として耳をすまして観るエネルギーがいるが、下北沢の芝居小屋は舞台と客席があまりにも近く、プレパレーションなしに言葉が耳に飛び込んでくるので心地よい。また着飾らずに口語というのか日常的な会話や庶民的な動作が基本なので肩に力が入らずに観れる。役者の女の子が「あのさ、あんた、スゲエ!」とか本音の言葉がポンポン出てくるのも、自分の環境であるバレリーナや舞踊学生の姿と真逆で愉快に感じる。それでいながら主題は当然演劇性を帯びており、演出家の四大海氏の構成もウィットに富み舞台芸術に触れている瞬間を存分に感じさせてくれるのだ。
     バレエ少年だった高校生の頃、下北沢が通う高校の沿線だったこともあり友人がある時、「おい堀内、今日バレエないんなら寄ってかねえ?」と誘ってくれ下北沢駅に途中下車してその界隈で洋服屋やレコード・DVDショップに寄ったり喫茶店で美味しいコーヒーを飲んだことがとても楽しく、以来ハマってしまいよく時間が空けばブラリと訪れたものだった。あれから時も経ち当時とお店は様変わりしてしまったが、今でもたまに「そうだ下北へ行こう」って具合に立ち寄る。この若手演劇ユニットのおかげでこの街に“清涼剤”を求めて再び来れるようになったが、主宰の木村孔三君は玉川大学芸術学部助手時代よく私の舞踊作品をサポートしてくれた経緯があり、演劇だけでなく舞踊に対しても理解が深い。次回公演は11月でなんと舞踊公演をプロデュースするのでこれまた楽しみにしている。

     同じ舞踊のジャンルだが、フラメンコもバレエ同様に人気が高く今や国内における舞踊芸術の一翼を担うまでになっている。国家が援助する文化振興基金でもスペイン舞踊が何件も採択され、フラメンコ舞踊家は今ではそれぞれさまざまなスタイルを持って公演活動を展開している。日本ではスペイン舞踊家小島章司さんがパイオニア的存在で、むかし私がテレビ朝日系列の【PRESTAGE】朝まで生テレビ!という元民進党代表の蓮舫さんが司会を務めていた深夜番組にコメンテーターとして出ていた頃、ダンスが取り上げられた時にフラメンコの代表として出演されご一緒してそれが縁で以来何度か公演を拝見させていただいている。この舞踊の特徴はご存知のように何と言っても大地に魂とともに叩きつけるようなタップで、その力強い響きが魅力だ。歌のカンテ、音楽のギター、手拍子のパルマといった独特の手法が民族色を強くするが、フランスバレエの振付家マリウス・プティパがかつてロシアへ渡る前、スペインに数年赴任して踊りを教えていたことがあり、それがきっかけでスペイン舞踊に馴染みドンキ・ホーテやパキータといった作品が生み出され、おかげでわれわれバレエとも縁の深いものとなった。かなり前の話になるが、小島章司先生の公演を初めて拝見したとき、演奏家は全て本場スペインから来日し、90分間ひとりソロで踊り抜いた姿に感動していてもたってもいられなくなり、手紙を送ったことがあった。すると「充君、ありがとう」と言って20本近い薔薇をお礼に贈って下さりまたまた感激してしまったのだが、スペイン舞踊家はまさに熱い情熱家なのだと実感させられた。

     雨も上がったこの夏では珍しく暑かった日に世田谷パブリックシアターに出かけ、鍵田真由美・佐藤浩希フラメンコ舞踊団公演「愛の果てに」を拝見した。ギリシャ神話オルフェオとエウリディーチェをモチーフにしたもので、フラメンコ手法による新機軸であった。この舞踊団を拝見したのは1年ぶりで前回はライブハウス的な空間で「desunude」というやはりフラメンコ音楽とはかけ離れたオリジナルな現代楽曲を起用していた。ただここはおそらく今や国内でトップの活動ぶりでほぼ毎月のペースでさまざまなシーンに登場しているので古典から新時代まで幅広く展開している。バイラオーラ(バレエでいうバレリーナの意)の鍵田真由美さんの毎公演渾身のちからを持って臨む姿は観客の心をゆさぶる。入魂という言葉こそ相応しい彼女のフラメンコは、永遠でない生命の儚さに立ち向かおうとする精神性まで見えてくる。この作品の中ではエウリディーチェを巡ってふたりの男性の奪い合いのシーンが見応えあった。佐藤浩希と末木三四郎のふたりがまさに男の闘いとして床を全力で踏み鳴らし魂をぶつけ合う。また、末木演じる愛破れた男の葛藤の心を表すバイラ、大地をけたたましく踏み鳴らす響きは観客の心にまで充分に届いた。前出の小島章司先生と名花クリスティーヌ・オヨスのふたりが踊ったデュオを観たときの男女の熱い愛の姿もそうであったが、フラメンコが持つ限りない生命力を感じさせた舞台であった。

  • ●2017年8月

     今年の夏は前半は暑い日々が続いたが後半は雨ばかりで例年の酷暑というほどでなく、また自分自身も夏らしく過ごしたわけでもなく、ただ自分のあたまの上を夏が通り過ぎるといった感覚であったような気がする。でも夏は汗をかくことが好きな自分にとってかつてダンサーとして学んだバレエ学校時代から好きな季節だ。

     8月のあたまに大阪芸術大学舞踊コース生31名と玉川大学芸術学部舞踊生5名が東京・大井町きゅりあん大ホールに集い、計3作品いずれも小品ながら私の振付作品を踊り披露してくれたことが嬉しかった。昨年9月に初めて舞踊学生を私の姉が主宰するバレエスタジオで踊ってもらったのだが舞踊関係者から好評でもっと紹介する意味でも見せるべきと進言をいただき今年も実現した。
    作品はバッハベル『カノン』、メンデルスゾーン『真夏の夜の夢より妖精たちとパックの踊り』、そしてビゼーの名曲カルメンよりジプシーの場面の音楽を起用して振付した『カルメンファンタジー』。いずれもダンサーたちは好演し客席から大きな拍手を受けた。
    彼女たちはこの日の為にリハーサルを重ね、本番前日には新宿にある芸能花伝舎という日頃新国立劇場バレエ研修所が使用しているバレエスタジオでレッスン、リハーサルを行い、当日も全員朝9時に楽屋入りし、ロビーに集まりバーレッスンから舞台稽古まで気を緩めることなく本番を迎えてくれた。特に大阪から参加した大阪芸術大学舞踊コース生は東京で初めて踊ったダンサーもいたり、あまり東京まで足を運ばない者ばかりだったのに浮かれることなく、バシャバシャと記念写真ばかり撮る発表会特有の風景もなく、劇場のなかで1日バレエと向き合い真摯に静かに行動をしたこと、今の舞踊大学生の一側面として特筆したい。
     私のニューヨークであったバレエ学校時代、学校公演がバレエ団入団テストのようなものでもあったため、思い出づくりに記念写真をなんて空気は全くなかった。その証拠にあの時の写真が1枚もない。今思うと1枚ぐらいあればな、と後悔しているので、私え子たちと撮った卒業公演などの写真は今は大切にしている。

     毎年夏はこのコラムでも同じことを書くのだが、この夏もさまざまなところでコンクールやダンサーたちの力くらべのようなガラコンサートが各地で繰り広げられた。私もかつてコンクールやガラ公演にはよく出場させていただいたのだが、むかしはまだ国立や公立的バレエ団もなく国際的な活動する一流バレエ団も少なく、未来を担う若手バレエダンサーの育成、発掘が目的であった。こうしてバレエ大国となった今、昔よりも一層盛んになったこの競技会のような舞台の意義とは何かと問われたとき、どのように答えたらいいのだろう。今やビジネスや商業的なものになってしまっていると考えてしまうのは私だけだろうか。コンクールどうしがこっちのコンクールの方が賞の褒美がいいからこっちにするとか選んだりしないのだろうか。またどこかダンサー個人が対象であるはずが各バレエスタジオ対抗的になってしまわないだろうか。あるいはコンクール、コンクールで飽きてバレエ本来の魅力に触れずに辞めてしまう子たちが多くなってしまわないだろうか。・・・コンクールの審査員を務めながら心配ごとは尽きない。

     われわれダンサー出身の審査員は純粋に未来のダンサーを見ることでワクワクしているのだからバレエ発展のために開かれ続けることを願うばかりである。

  • ●2017年7月

     7月中旬に大阪フェスティバルホールで、音楽劇シアターピースと題してレナード・バーンスタイン音楽による「ミサ」を上演し、振付を担当させていただいた。演奏会の総合監督は高名な指揮者井上道義氏で、先生とは25年以上の長い親交があり、この公演を楽しみにしていた。舞台はオペラながらミュージカル形式で芝居、歌、舞踊で構成され、オーケストラ、合唱、歌手、バレエダンサー総勢220名を超える大きなプロジェクトで大阪国際フェスティバルの一環で大阪フィルハーモニー交響楽団と朝日新聞文化財団の主催で行われた。
    ベトナム戦争当時のアメリカを背景に社会や宗教に対する絶望、あるいは平和への祈りが込められたものを日本国内の抱える不安や希望と重ね合わる演出にさせたもので、メディアや報道関係でも話題となり、本番2日間とも満席となる盛況ぶりであった。
    2年前「充、また一緒にやろうよ」と電話をかけて下さり、以来彼の自宅で長時間に渡り打ち合わせをしたり、大阪芸術大学に訪ねて下さったり、また私のバレエ公演にまで足を運んでくれたり、つねに熱い気持ちに溢れ、リハーサルもとても充実したものであった。5年前から堀内充バレエプロジェクト公演を展開しているが、”My Dancers”9名を初めて大阪へ引率できたことが嬉しく、さらに1年前に井上道義先生が指揮された大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏会へ授業の続きで教え子の大学生を引率して鑑賞したのだが、終演後楽屋に訪ね面会した時に、我々の勉強心に感激されたのがきっかけで、大阪芸大舞踊生6名まで出演させてもらい、その温かい恩情に一流の芸術家の姿をみる思いであった。公演ではバレエシーンは彼がアイデアを出し、それに合わせて振付していくかたちでおこなわれ、私やダンサーたちは彼の音楽、芸術観そしてユーモア溢れる人間性に触れ、多くを学ばせてもらい感謝の念に耐えなかった。
     前回先生とご一緒させてもらったのが7年ほど前で、札幌交響楽団の演奏会にやはり声をかけてくれて、彼の指揮する舞台の前で踊らせてもらい、終演後楽団員が多くいるなか、彼らとは行動は別に私とススキノへ繰り出し、酒席やラーメン屋で楽しく杯を挙げた兄貴肌が忘れられない思い出がある。私も今はいつも公演後ダンサーや教え子たちと繰り出すことが好きなのだが、それも彼の姿が影響しているのかな。

  • ●2017年6月

     今年の「堀内充バレエコレクション2017」公演を無事に終えた。新旧作品5作品をラインナップし、観客の皆さまにもお楽しみいただけたのではないかと振り返っている。
    今回の出演する8割近いダンサーたちがすでに堀内作品キャリアとなり、公演リハーサルも終えたあとも、ダンサーたちは自主的に振付再確認にも余念がなく、お互い指摘し合いそれが毎回積み重ねて踊り込まれていく様子がうれしかった。「あれだけの人数を統率するのも大変だったでしょう」と労いの言葉をいただいたが、出演者自らがこのように作品向上のために行動してくれたからこそで、彼女ら彼らたちに感謝している。
     現存するバレエ団に比べハンディキャップは多いが、5年間続けて上演し、公演後もチャコットWebマガジン、月刊ダンスマガジン、週刊オンステージ新聞、WebサイトThe dance  Times にそれぞれ舞踊評論家の方々が公演評を載せていただき、また個人的にも便りやメールでも観賞記を寄せていただいたことはバレエ公演として存在を認められた証しにもつながり、頑張ってくれたダンサーたちもこの公演でさまざまな各界の方々に目を触れてもらえることが励みにもなってもらえたらと願っている。

  • ●2017年5月

     ゴールデンウィークが過ぎてしまった。バレエ界は各地でコンクールが開かれ賑やかになる。東の横浜コンクール、西の神戸コンクール(いずれも略称)と日本を代表するお洒落な港町で若者たちの熱い踊りが繰り広げられる。私も横浜コンクールで第1回から16年連続で審査員を担当させていただいているが、近年の出場者のレベルアップに目を細めている。今年の大会もダンサーひとりひとりの熱演をしっかり見届けようと熱視線を送るあまり、終わるとクッタクタになるほど。
    でもその昔、自分も出場する側にいた時に温かい視線で見守って下さった当時の日本バレエ協会会長服部智恵子先生の笑顔が忘れられない。ロシア人のハーフバレリーナであった服部智恵子先生はそれが縁でその後も私の公演にもかけつけて下さり、励ましのお手紙までいただいた。30年以上たった今もその時のカードは部屋に飾ってありあの頃の感謝の気持ちを忘れずに毎回審査させていただいている。

     5月公演が間近に迫ってきた。中旬から通し稽古が始まり、大切なリハーサルである舞台監督、照明・音響合わせも続いている。リハーサルの中でもスタッフに下見してもらうこの時を目指して逆算して稽古を組み立てているといっても過言ではない。私もこれまでに、ミュージカルやオペラなどさまざまな舞台に出演させていただいたが、普段の稽古からスタッフが帯同するそれらの公演などと違い、バレエは極端にスタッフと一緒に稽古を行うことが少ない。でもこの瞬間が私は好きだ。さまざなひとたちとひとつの舞台づくりに関わっている実感があり、こどもの頃父親の仕事現場をいつもスタジオの隅っこで眺め、それが大人の世界に映りやがて憧れとなっていったからである。今年もこのリハーサルを契機に出演者が一丸となって本番に向かって突き進んでいきたいと望んでいる。

     振付の最中でも舞台づくりに関わる実感はあるが、やはり振付家として他のジャンルの芸術家の活動も励みになる。美術家の展覧会がそれだ。同じ芸術家としてどのようなイメージで、テクニックで、そして思想 を持って描くのか興味深く、ニューヨークに留学していた頃MOMA(ニューヨーク現代美術館)にバレエ学校帰りにしょっちゅう足を運んでいた。まだ19歳で振付もしたことはなかったのだが、ジョージ・バランシンがディアギレフ・バレエリュス(ロシアバレエの意)からの潮流でマティス、ピカソなどとコラボレーションを盛んに行っていたため、自分もそれについて興味を持ったからである。ただ大学で講義を受けたわけでもなく、30年近くも前で当時日本語ガイドなどあるはずもなく、不勉強もあり毎回同じ絵を見ながら「うーん、何なんだ…」とじっと見つめていることが多かったのだが(今思うと笑えるが)、なにぶんここはニューヨーク、本物の絵を目の当たりにし、その場にいる瞬間だけでも貴重であった。
     そんなわけで今でも美術館にも通うのが好きなのだが、今や日本にはたくさん舶来ものの美術展が開かれるようになり、この春も多くの展示があり、なかでも国立新美術館のミュシャ展はど肝を抜かれた。アールヌーボーを代表する芸術家アルフォンス・ミュシャだが、パリで活躍したのち、50歳を越えてから故郷のチェコに戻ってからスラブ叙事詩を主題にした絵が今回の展覧会のメインだが、その縦6メートル横8メートルほどの巨大な絵が20点も飾られているのである。まるでわれわれバレエの舞台のプロセニアムほどの大きさで人物もほぼ等身大で描かれている。まさに絵の舞踊とも言っていいほど迫力があり、絵のなかにいる人々の存在感が素晴らしく、そのアピール力は舞台人にとっても学ばされるものがある。ぜひダンサーや舞台人は観に行くべきだろう。6月5日まで開催されている。
    あと国立西洋美術館で開催されているフランス・ロマン派のシャセリオー展も鑑賞したが、こちらもバレエファンならば足を運んでもらいたい。グランパドドゥで有名な「ダイアナとアクティオン」の絵や私の初期振付代表作品である「アポロンとダフネ」が観られる。
    また先日オペラ「オテロ」を新国立劇場で観たが、シャセリオーはそのオテロも台本に沿って描いており、オペラと絵画がそれぞれの手法でシェイクスピア劇に挑む姿がとても興味深く、バレエ振付家としても大いに学ばされた。実はこどもの頃のぞいていたのは父が振付していたオテロのリハーサルや本番もあったのだが、このように展覧会というのは自身の芸術観だけでなく、人生まで振り返えさせてくれる。こちらは5月末まで。
    東京だけでなく、大阪でもバランシンと深交があったマティス・ルオー展があべのハルカスで展示中だ。ふたりともバランシンとコラボレーションをしているが、バレエ「放蕩息子」の美術を担当したジョルジュ・ルオーと同じく「コッペリア」の美術装置を描いたアンリ・マティス、どちらも独創性豊かで芸術家として自己というものを考えさせてくれる。こちらも5月末まで。

    バレエダンサー、バレエファンよ、急げ。

  • 堀内 充 バレエプロジェクト
  • 堀内充 Ballet Collection
  • 大阪芸術大学 舞台芸術学科 舞踊コース
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