Jyu Horiuchi Ballet Project  

バレエダンサー・振付家  堀内 充の公演活動報告

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堀内 充の時事放談

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【 p r o f i l e 】

幼少より双子の兄(堀内 元)とともに両親のバレエスタジオでバレエを始める。

1981年モスクワ国際バレエコンクール銅賞、1983年ローザンヌ国際バレエコンクール・ローザンヌ賞を受賞し、ニューヨーク・スクール・オブ・アメリカンバレエに3年間留学。

帰国後舞踊活動を開始する。青山劇場バレエフェスティバル、新国立劇場バレエ団、松山バレエ団、東京シティバレエ団、日本バレエ協会、東京バレエグループ、佐多達枝バレエ公演など多くのバレエ公演に出演し、また南米やフランスやサンフランシスコ、韓国、中国上海、札幌のダンスフェスティバルにも招かれている。現在、振付活動として「堀内充バレエプロジェクト」を展開している。

1994年グローバル森下洋子・清水哲太郎賞受賞。

バレエダンサー・振付家として、また大阪芸術大学教授、母校の玉川大学芸術学部非常勤講師、京都バレエ専門学校講師、品川学藝高等学校特別講師、新国立劇場研修事業委員(舞踊)、バレエスタジオHORIUCHIのバレエマスターを務め、後進の指導にもあたる。

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◆2024年 10月

 秋らしい季節とはよく使う言葉だが9月中旬過ぎても今年は使ったことがない。高温が続く日々で四季折々の日本の美しさが失われていくようで芸術にとっても受難な時代になっていくのが寂しい気がする。
全幕バレエの幕開きでジゼルではオペラカーテンが上がると山の麓樹木に囲まれた風景が照明やスモークで美しく彩りされているシーンから始まるが、その冒頭シーンで観客はみな自然のなかの四季を感じて息を呑む。そんな光景がわれわれにとっていつまでも身近でありたいものである。
 

 今年の夏もバレエコンクールの審査員を務めさせていただいた。日本バレエ協会主催の全日本バレエコンクールと東京シティ・バレエ団主催の全国バレエコンペティションの2大会。夏休みをバレエに打ち込む若いダンサーたちの姿を見るたびに舞踊家としてうれしい気持ちになる。またテクニック、表現とも年々向上して感心するばかり。アドバイスシートというものが出来て久しいが、出場者のレヴェルも高く、逆にこちらが学ぶことが多くてもうアドバイスすることが少なくなり、そろそろこのシートは無くしてもいいのではないかと思うほど。ま、審査員としてこんな弱音を吐いてはならず、これからも見聞を広め精進してまいります。


 毎年夏はバレエフェスティバルが盛んである。新国立劇場が主催するバレエアステラスが今年も8月上旬に2日間開催された。海外で活躍するバレエダンサーたちが夏休みを利用して帰国して出演するフェスティバル。
むかし東京・青山劇場で青山バレエフェスティバルという内外で活躍するバレエダンサーが一同に会して踊りを披露した日本で有名な国際バレエフェスティバルがあり、そのフェスティバルに10年間にわたり連続出演させていただいた。1994年には芸術監督を務めさせていただき、当時の公演出演男性メンバーに熊川哲也(KバレエTOKYO芸術監督)、堀内元(セントルイスバレエ団芸術監督)、久保紘一(NBAバレエ団芸術監督)、森田健太郎(新国立劇場バレエ団バレエマスター)、西島数博(バレエダンサー・俳優)といった第一線で活躍していたダンサーがずらりと顔を揃えていた。この時は当時青山劇場名プロデューサーでおられた故高谷静治さんが企画したすばらしいバレエ公演で堀内充とフットライツダンサーズのメンバーも勢揃いして出演させていただいた思い出深きもので、全日完売の大盛況の舞台でNHKテレビでも放映された。夏に海外バレエダンサーが集うフェスティバルといえば長くバレエ界ではこの公演が代名詞となり、そんなこともあって師であった新国立劇場バレエ団芸術監督(当時)の故牧阿佐美先生が「充ちゃん、また力になってくれるかしら」とこのバレエアステラスの実行委員に任命された経緯があり今も務めさせていただいている。今年も世界中で活躍する日本人バレエダンサーたちが集結して、すばらしい力を発揮して公演を盛り上げてくれた。このフェスティバルで最後を飾るフィナーレが今や名物でわずか数フレーズのカーテンコールながらどの組も爛漫な技を披露し、観客は興奮の坩堝と化すのである。決して大げさに言っているのではなくほんとにすばらしい。委員として来年度の公演企画もすでに始まっておりらまだ拝見していない方は来年ぜひご覧下さい。お越しをお待ち申し上げております。
 

◆2024年 9月

 6月に東京新聞アンコール公演が行われ、大阪芸術大学舞踊コース4回生が出演し「revelation」を披露した。
3月の全国舞踊コンクール群舞部門で第2位を授賞したことで本公演に出演することができた。昨年まで2年続けて秋田舞踊祭の前夜祭の公演に招かれて以降3年続けて大学外で舞踊コースが出演を果たし、一般の観客に日頃の活動の成果をお見せすることが出来た。このアンコール公演はやはりコンクールを経てここまでにたどりついたこともあり、応援合戦もなかなか派手で各作品が終わったあとのブラボーも多くこちらも心温まる光景で舞台は終わったときこそ喜びが溢れるもので、そんな瞬間を味わうこともできた公演でもあった。自分のホームグランドである東京に教え子たちを連れてくることが夢のようで、舞台前のレッスン、リハーサルも自分のバレエスタジオで行い、終演後の打ち上げも宿泊先の五反田近辺の食事処で食事を振る舞い、思い出深き夜を過ごした。大学生たちの姿勢も素晴らしく、大阪や九州、四国出身者が多いなかせっかくの東京ツアーだから観光に行くなんてこともせずに規律ある行動を共にしてくれた。なおこの栄誉ある賞を授かり(小生もどさくさに指導者を頂いてしまったが)大学学長が喜んで下さり、なんとこの東京遠征の旅程費用を助成していただいたのである。
踊高校生のみなさん、この学生ファーストを重んじる大阪芸術大学舞台芸術学科舞踊コースをよろしくお願い致します。
 

◆2024年 8月

 パリ五輪が終わったが、テレビや通信では日々賑やかに報道されていた。パリはバレエ・ダンスの故郷でもあり、バレエに関連するものが映像でたくさん出てくるかと期待したがさほどでもなかったが、ダンス関連は多く登場し楽しませてもらった。やはり競技として初めてダンスであるブレイキンが行われ興味深く観た。ちょうどニューヨーク留学していた頃に下町であるダウンタウンでブレイクダンスが誕生し、黒人系アメリカ人の若者たちが踊るシーンを目の当たりにしていた。人種、階級的にハングリー精神から娯楽として生まれたものが年々とダンスジャンルとして確立されていったが、ナイトスポットであるクラブとかで踊るには激しすぎ、さらに帽子であるヘルメットや服装も防具的に特殊になり、またより身近なストリートダンスが台頭してからはブレイキンは影を潜めていった。ところがちょうど30代を迎えた頃、ホリプロミュージカルが主催した「DORA〜100万回生きたねこ」に沢田研二さんと役を分け合って主演したときに演出・振付を担当したフランス人舞踊家のフィリップ・ドゥクフレが日本人ブレイクダンサー4名を登用して作品の中でブレイキンを起用し、それが斬新に映り日本公演とフランス公演では大人気を博しチケットは全て完売となった。ドラ猫のDORA役のバレエダンサーである私はセリの上で、ブレイキンダンサーたちは地下にもぐり同時に踊り、特殊反射版で舞台上に重なるように写し出すしくみであった。あれから時が経ちニューヨークでは衰退したジャンルになってしまったが、あの時の火種がフランスに残ってブレイキンは異国フランスで再びブームとなり、スポーツ競技となったのである。とても興味深かったことは昨年のブレイキンのプレ五輪大会は何と100年前にセルゲイ・ディアギレフが率いたバレエ・リュス(ロシアバレエ団)が上演したパリ・シャトレ座で行われたのである。フランスはダンス大国である自覚として、古い歴史を持つ宮廷舞踊からロマンティックバレエ、近代バレエ、そしてモダンダンスが生まれた聖地にブレイキンを迎えいれたのである。かつてロシアがフランスで衰退したバレエを自国に持ち帰り、クラシックバレエとして生き返らせた歴史と同じ構図をみる思いでこの姿を見守らせていただいた。素晴らしき舞踊王国のフランスに対しこれからも尊敬の念はやむことはないだろう。
 

◆2024年 7月  その2

 国内、特に首都圏におけるバレエ公演は今や季節を問わず実に多くのバレエ団、企画プロデュースによって上演されており、その数は測ったことはないが海外の国々を上回っているのはたしかで世界稀にみる今やバレエ愛好国である。よく言われるのが国技である柔道で、今世界でもっとも柔道を愛している国はフランスで柔道人口は日本の4倍と聞きオリンピックでも常勝国となったが、バレエも同じでフランスが発祥の国でありながら今やバレエ人口のトップは日本でその数はやはり4倍だそう。
 若かった頃、国際バレエコンクールに入賞しテレビやラジオに多く出演して紹介されたが、当時はまだバレエに触れることが珍しくいつも「バレエは男性もやるのですね」とか「タイツは抵抗ありませんでしたか」とインタビューアーが冷ややかな質問をするばかりで、今思い出しても悔しい思いがこみあげてくる。ただ少数だがバレエを愛している著名人もおられ、作家の遠藤周作さんや、東京都知事でおられた青島幸男さんの長女の青島美幸さん、タレントの飯星景子さんなどマスコミで知り合う機会に恵まれ、その方々はバレエの造詣が深く温かく接していただいた。またバレエ公演というものに対してバレエのノウハウを知る大切な手段は評論だが、私がプロデュースした公演で当時称賛いただいたものもあったが中傷するような評論もよく書かれた。15年20年前のことなので今は気にならないが、それでも若かったこともあり当時はずいぶんと落ち込んだものであった。

 昨年秋から今年上半期にかけて鑑賞したバレエ公演をざっと上げると
松山バレエ団「くるみ割り人形」「新白鳥の湖」「ジゼルとアルブレヒト」
KーバレエTOKYO「眠れる森の美女」「カルミナ・ブラーナ」
東京バレエ団「眠れる森の美女」「かぐや姫」
バレエ・シャンブルウエスト「眠れる森の美女」
京都バレエ団「くるみ割り人形」
大阪芸術大学「卒業舞踊公演」
新国立劇場バレエ研修所「エトワールへの道程2024」
といったところで最近は自分が観たいものを選んでかけつけている
海外バレエ団も相変わらず多く上演されているが、以前に日本芸術文化振興基金の助成事業委員だった時、国内公演よりも海外からの公演に多く助成金を出していることに疑問を感じて以来足が遠のいてしまい、生粋の日本バレエをずっと応援している。文化人のひとりとして文化事業と海外興行は切り離すべきだと主張したい。

た国内ミュージカルでもバレエシーンがありそれを観るのも楽しみ
劇団四季「オペラ座の怪人」「ライオンキング」
宝塚歌劇団月組公演「Eternal voice 消え残る想い」「グランドタカラヅカ110」
帝国劇場ミュージカル「ムーラン・ルージュ!」
も鑑賞させていただいた。交友ある舞踊家の御息女や大学の教え子といった面々が出演してうれしい限りである。
みなさまもこの夏劇場に足を運び、バレエ界やミュージカル界を応援して下さいませ。
 

◆2024年 7月

 81回目を迎えた全国舞踊コンクール群舞部門に今年も大阪芸術大学舞台芸術学科舞踊コース生3年生19名を率いてチャレンジし「revelation」という作品で第2位を受賞させていただいた。過去2年間いずれもその年の3年生が6位、5位という成績を収めているが、そもそもコンクールの目的はその受賞記念ともいえるアンコール公演に出演できるからである。大学では芸術劇場というオペラハウスがあるのが自慢なのだか、大学以外の公演はなかなかなく広く一般の観客の方々に目に触れさせられず、東京で披露出来ないかと思い立ったのが始まりであった。そして念願が叶い6月15日土曜日にコンクール会場となった東京・目黒パーシモンホールでアンコール公演に受賞の褒美としてふたたび出演させていただいた。教え子たちは前日に空路で東京に入り、バレエスタジオHORIUCHIでレッスンとリハーサルを行った。日頃から大阪で会う顔ぶれと東京で本番まで帯同したが、若い頃東京シティバレエ団で客演ダンサーとして北海道や九州をそれぞれ数週間ずつ巡演した思い出があり、その時の舞台はもちろんだが、バスでまわる旅先でバレエ団員たちと夕食を共にしたり旅館やホテルに宿泊した楽しい思い出が忘れられない。昨年まで2年間秋田の舞踊祭に招かれ舞踊コース生と旅した時もそうであったがこの公演でも日頃の大学生活ではすることのない打ち上げをもてなし、舞台の緊張から解かれた舞踊学生の素顔にも触れることが出来よい思い出となった。
 

◆2024年 5月

 2024年ゴールデンウィークの只中の5月3日祝日にバレエ夏の夜の夢」公演が無事に終演できた。渋谷区文化総合センター大和田ホールで上演したが、このホールではちょうどコロナ禍が始まる直前の2020年1月にくるみ割り人形全幕公演以来4年ぶりであったが、今回は大がかりな舞台装置で客席2列を取り払って張り出し舞台をつくり、照明効果も相まって豪華な見映えとなり、観にいらしていただいた満員のお客さまにも喜んでいただいた。このバレエの台本はシェイクスピアで森の場面だが、長年親交ある舞台美術家の森壮太氏が粋なデザインを発案していただいた。森の木々をイメージして照明機材を埋め込んだ多くの美術装置を舞台上に固定したことが今回の特色で、40名近いバレエスクールのこどもたちも出演させ、ファンタジックな風景を醸し出すことが出来た。昨年まで堀内作品に出演してきたバレエダンサーたち男女20名が主人公の若者カップル2組、妖精カップルであるオベロンとタイターニア、ボトムをはじめとする職人たち、新たに加えた星の精たち、そして結婚行進曲の調べに乗りシンフォニックバレエを彩るアーティストたちをそれぞれ演じて華麗に踊ってくれた。素晴らしきバレエダンサーズ、かわいいスクール生に感謝したい。このバレエ劇が終演してオペラカーテンが下り、再度メンデルスゾーンの主題曲に乗せてカーテンコールを開始した直後に一斉に劇場全体に手拍子がはじまったことが予期せぬ出来ごとで感無量であった。

 公演を開始して12年目、さまざまな数多くの堀内作品を演じてきた彼ら彼女たち、よく名振付家ジョージ・バランシンの作品を彩ってきたニューヨークシティバレエ団員たちを「バランシン・ガールズ」と呼んでいたものだが、それにちなんで「ホリウチ・ガールズアンドボーイズ」ともう呼んでいいのではないか。そんな高揚感に包まれながら観客席から見守らせていただいた。
……とはいえ、やっぱり照れくさい。おこがましいな。撤回します
 

◆2024年 4月

 バレエ「夏の夜の夢」全2幕を5月3日金曜祝日に上演します。昨年まで毎年続けてきた堀内充バレエコレクションなどに出演してくれたアーティストたちとゆきともバレエスクール生徒たちの共演で堀内バレエプロジェクトファミリーバレエ公演と銘打ち、東京・渋谷区文化総合センター大和田さくらホールで開演します。同じプロダクションで2020年にバレエ「くるみ割り人形」全2幕を上演して以来4年ぶりの全幕公演となります。
バレエプロジェクトのアーティストたちはタイターニア、オベロン、若者2組、星の精、妖精ソリスト、結婚行進曲カドリーユたちを担い、バレエスクール生は森の可愛い生きものや妖精たちに扮します。人間界と妖精界のふたつの境界をないまぜにしたシェイクスピアの名作で世界のバレエ団に愛されている作品ながら、近年のバレエ界の傾向である過剰なきらびやかさを避け、より日常に溢れる自然さを求めた演出を心がけています。舞台美術を手掛けた森壮太氏の同じく日常の素材をもとに、幻想的につくりあげた美しい情景を背景に繰り広げられるバレエをお楽しみいただきたく存じます。
 ファミリーバレエのタイトルどおり舞台と観客席の境界までないまぜになりそうな感なきにしもあらずですが・・・(どうかお静かに鑑賞していただければ)
皆さまのお越しをお待ち申し上げます。
 

◆2024年 3月

 今年も2月17日18日の2日間、大阪芸術大学卒業舞踊公演が行われ、ようやく1席空けの客席が解除され観客席も満席の2日間となり、盛況のなか本番を終えることが出来た。さまざなプログラムのなかで4回生「Fanfare」3回生「カルメン」「金と銀」2回生「グラズノフスイート」と4作品自身の振付作品を上演させていただいた。これらの作品はいずれも東京や大阪のバレエ公演でも上演を重ねているもので、我ながら高い完成度の作品で、また舞踊学生がプロのバレエダンサーの倍近いリハーサルを積んでいたこともあり見応えのあるラインナップだったと自負している。
この模様はテレビでも報道されYouTubeで上げられいるのでぜひご覧下さい。
https://youtu.be/hfy_A5AblkU?si=-i3ecpI5GOOAVL21

 3月16日品川きゅりあん大ホールで松山バレエ団公演「新白鳥の湖」オールスター版に出演させていただいた。3年前の2021年に全幕に森下洋子先生と共演させていただいて以来3年ぶりの皇太子ジーグフリード役を踊らせていただいた。作品冒頭のプロローグにに若き皇太子が皇后と共に現れるシーンが清水哲太郎先生版のオリジナル溢れる場面で自分なかで思い入れもあり、日々の稽古でもこのアントレに腐心させていただいた。また2幕では美しき白鳥たちに囲まれ男性バリエーションもケガをしてしまった団員仲間である男性アーティストの代役として踊らせていただいた。チャイコフスキーの名曲ワルツでこれも素敵なオリジナルで踊ることが出来て正直うれしい気持ちであった。松山バレエ団は国内トップのバレエ団として今でも君臨し、この日も満席の観客の中で演じさせていただいたことは幸せであった。
 バレエ団はこの1週間後に中国・北京と上海へバレエ学校生と共に総勢100名近くが交流・研修に招かれ向かわれた。バレエ団の長きにわたりレパートリーとして上演してきた「白毛女」の日本初演に父・堀内完が出演させていただいたこともあり、幼少の頃から中国と松山バレエ団の深い交流については存じ上げていた。今回の交流で披露するその一場面の稽古も見学させていただき、その中に大学の教え子も加わらせていただいていたので感無量であった。
 

◆2024年 1月

 何だかんだ言って寒い日々が続く。たまにポカポカ天気になると、もう春だと期待してしまって薄着になろうとするものだが、寒い日に逆戻りすると身体にこたえてしまう。バレエダンサーは暖をとるのが日課なだけに優柔不断な気候に嫌気がさすものだ。

 昨年11月中旬に自宅がある東京の道端で転倒してしまい、救急車に運ばれて右肩が激痛で苦しく、検査で脱臼とわかり全身麻酔で肩を元に戻してくれた。ホッとしたのも束の間翌日に大阪に向かい、大学構内で弾みでふたたび脱臼してしまい、またまた救急車に運ばれてもとに戻すという悪夢を二度経験した。その後外科医からは手術と言われ術後バレエ復帰は半年後の今夏以降と告げられた。気が遠くなるようなことで年齢的にももうダンサーとしては無理ではとも言われ、この2月に出演予定であった松山バレエ団に辞退の連絡を入れてこれまでのお世話になったことを伝えさせていただいた。自分としてはこの3年間現役ダンサーとして充実した日を過ごさせいただいただけに、こんな不慮の事故でダンサー生命を終えるとはあまりにも唐突で無念な想いが交錯した。  
 ところがである。松山バレエ団清水哲太郎先生から連絡をいただき、東京文化会館「くるみ割り人形」公演に招かれ、終演後舞台に来なさいと言われた。当日肩から三角巾をさげながら観にかけつけると客席で清水先生が待って下さり「どうだ?大丈夫か」と気にして下さり、その後バレエ団の素晴らしい舞台を鑑賞後、言われたとおりに奥舞台に伺うとリハーサル室まで通され、すると“がんばれ堀内充”の横断幕が飾ってあり、踊り終えたばかりのバレエ団のみなさんが以前森下洋子先生の舞踊生活を祝った祝賀公演で歌わせていただいたバレエ団の応援歌に私の名前を連呼して「怪我に負けるなフレフレ、ファイト〜」と大合唱してくれたのである。もうただびっくりするばかりで、こんな激励お見舞いがあるのかと感激するばかりであった。もうこれでいつまでも絶望感に浸っているわけにはいかない。翌日からダンサー復帰に向けて立ち上がったのは言うまでもない。ちょうどコロナ禍直前に肩の腱を切ってリハビリに通っていた主治医のところへふたたび訪ねて脱臼の具合を診ていただき、何とか手術なしで治し、ふたたび現役続行出来ないものかと直訴すると主治医は「今からリハビリするしかないだろう。やりましょう」とふたたび専属トレーナーをつけて下さり週2回のトレーニングを開始した。考えられるリハビリありとあらゆることをし、そのうちにまた清水哲太郎先生から見舞いの花束が送られ肩の骨格の模型まで下さり、どこが原因なのか徹底的に解剖学的に研究するよう素晴らしいアドバイスまで頂いた。ちょうど年末、大学が冬休みに入り、勤務が終わり年明けにかけてたっぷり治療に時間をかけることが出来た。トレーナー岩崎先生方の的確なアドバイスもあり、リハビリ、サプリメント、日光浴、食事療法全てを取り入れ、その甲斐があってか年明けてからかなりよくなり、いつしか肩サポーターも外してレッスンが出来るようになり、復帰見込みが6月ぐらいだったのに近くいつの間にかほぼ治り、ふたたび松山バレエ団に顔出し、肩が良くなったことを報告すると清水哲太郎先生、森下洋子先生方以下バレエ団みんなが回復を手放しで喜んでる下さった。そして、何と3月にある松山バレエ団公演にふたたび出演することになったのである。あの激励がなければ諦めていた公演出演、劇的な早春の出来事となった。
 

◆2023年 12月

 今年の冬ほど不安定な気候に悩まされたことはない。温かい日もあれば寒い日もあり冬季とは呼べない季節となった。東京、大阪だけでなく11月に教え子である大学院助手・寺倉礼那からいただいた「華舞道」という奉納舞の振付で初めて足を踏み入れた高野山も晩秋とは思えない暖かさで、また12月初旬に今年も親交が続く舞踊家・川村泉先生がお招きくださった秋田舞踊祭で訪れた秋田も、何だか関東と変わらない冬の気候で期待していた?ドカ雪も降らずじまいであった。四季折々といったシーズンが自慢の日本なのに、またそれが民族の文化を創り上げてきただけに、将来の展開に危惧を抱かずにはいられない今日この頃である。

 秋は東京ではたくさんのバレエ公演が上演、各バレエ団の熱演が繰り広げられた。松山バレエ団「シンデレラ」KバレエTOKYO「眠れる森の美女」東京バレエ団「かぐや姫」「眠れる森の美女」新国立劇場バレエ団「ドン・キホーテ」ハンブルクバレエ団「ノイマイヤーの世界」といった全幕バレエを鑑賞させていただいた。近年国内バレエ界は華やかさを帯びて、海外バレエ団公演と全くひけを取らない展開を見せてくれる。それなのにいまだに「バレエをもっと知ってもらいたい」などと言って吹聴している若者も見かけるがそんな言動に理解に苦しむ。そんなことを言っている者たちこそ劇場にもっと足を運んでその目でしっかりとそれらの美しき光景を目に焼き付けてもらいたい。

 2023年も多くのバレエ作品を上演させていただきました。
「ラプソディ・イン・ブルー」
「ウエスタンシンフォニー」
「アルルの女」
「ザ・フォーシーズンス」
「ロマンシング・フィールド」
「Leaves」
「リトルフーガ」
「ロマンスとアレグロ」
「Paraphrase」
「シンフォニック・ダンス(ウエストサイドストーリー)」
「ラフマニノフ・ピアノコンチェルトNo.3」
「金と銀」
「白鳥の湖より湖畔の場」
「ロゼット」
「ファンファーレ」
「アヴェ・マリア」
「Horizon」
「グラズノフ・スイート」
「カルメン」

 大中小合わせて計19作品となりました。堀内充バレエコレクションファイナル、京都バレエ団公演、大阪芸術大学舞踊コース卒業舞踊公演および学内公演、玉川大学芸術学部舞踊公演、高野山「華舞道」、秋田舞踊祭「會ら・Dance focus」などで100名を超えるアーティスト、ダンサーたちが彩ってくれました。毎年ながら1年でこれだけの作品を発表できることに感謝申し上げます。

本年もありがとうございました。
皆さま新年2024年もよいお年を迎え下さい。
 

◆2023年 8月

 暑い季節となった。今は海とは無縁なのだが気持ちとしては行きたい気持ちはむかしと変わらない。なので浜辺に行くとうれしい気持ちになるのはバレエダンサーも同じ。若い頃常夏のマイアミシティバレエ団で踊った時はみんな小麦色の肌だった。なので日焼けしても劇場ではみんなと同じ肌色なので気にせずにカンパニークラスを受けた思い出がある。もちろんダンサーは土地柄プエルトリコ系のダンサーが多かったこともあるが。日本でも浜辺に近いところにバレエスタジオやスクールがあるところは夏はみんな日焼けしているのかな。

 大阪芸術大学で夏の公演ともいえるオープンキャンパス上演会では舞踊コースではオペレッタ「金と銀」ともうひとつ白鳥の湖第2幕より「湖畔の場」を取り上げ改訂振付をして上演した。舞踊コース主任に着任して20年あまり経つが白鳥は初めてで舞踊生24名の白鳥ダンサーたちと2ヶ月リハーサルを共にした。やはりこの3年間松山バレエ団と公演活動を共にさせていただき、この作品に馴れ親しんだことも大きい。これまでに国内で多くのバレエ団と共演させていただいたが白鳥の湖は松山バレエ団は群を抜いて作品、振付、舞台美術、ダンサーがすばらしく、そんな栄えある経験させていただいた記憶が鮮明なうちに舞踊コースでも教え子たちに踊ってほしい願いもあった。大阪芸術大学にはオペラハウスがあり、日頃から舞台上でリハーサル出来るのも強味で広い舞台空間で24羽の白鳥が揃い、アームスを広げながら展開する風景もなかなか圧巻で、時間をかけて稽古することが出来た。
またもうひとつの上演作品のオペレッタ「金と銀」も宮殿の大広間の舞踏会シーンを上演するにしても女性イブニングドレス姿、男性タキシード姿が広い舞台空間に似合う。本番ではダンサーたちの日頃の鍛錬の成果を披露した。

 京都バレエ専門学校を母体とした京都バレエ団公演が7月中旬に京都会館大ホールであり、トリプルビルのなかで自作の「ロゼット」を上演させていただいた。この作品は2010年に京都バレエ専門学校創立40周年記念として委嘱され振付したもので13年ぶりに再演させていただいた。
ロゼットとは薔薇の姿をモチーフにした胸飾りを意味し、またローザスという薔薇窓に描かれている花々を差し、それらを擬人化させシンフォニックに振付させていただいた。初演でプリンシパルを踊った吉岡ちとせさんがバレエミストレスを務めてくださり作品を復元していただいた。久しぶりにバレエ団を訪れ毎回のリハーサルは出演者全員が瑞々しい姿勢で臨んでくれてこちらも清々しい気持ちになった。本番では出演者が一体となり素晴らしく120%の出来栄えであった。稽古の成果は言わずもがなである。
この日の公演はほかに「卒業記念舞踏会」「アルカード」とフランスが生んだすばらしき名作バレエが上演された。

 夏と言えば「夏の夜の夢」。シェイクスピア台本、メンデルスゾーン音楽の名作バレエはあまりにも有名だが、この夏ちいさなこどもたちを森の妖精役に仕立て、リハーサルを開始したのだが夏に愉快なお話やエピソードは洋の東西、古今を問わない。
アメリカにいた頃、ニュージャージー州のミッドアトランティックバレエ団に招かれ、冬に「くるみ割り人形」全幕、夏に「夏の夜の夢」全幕にそれぞれ風物詩に出演した楽しかった思い出が忘れられない。そんな想いを胸に帰国したのだが来年久しぶりに夏の風物詩実現に向けて日々思いめぐらす今日この頃である。
 

◆2023年 7月

 5月公演ではさまざまな方々からの励ましやご声援、お力添えをいただいた。本番にかけつけていただいたことはもっともうれしいことだが、やはり大きなバレエ団公演とは違い、1日しか公演本番がないこともあり、かけつけられない方々も多くそれは百も承知している。観に行けないけれどエールを送ってくださることも多く、そんな方々への感謝も忘れない。
親友と呼べる数少ないひとりである熊川哲也Kバレエカンパニー・ディレクターからも公演間際に連絡をもらい、公演直前の数日前東京・西麻布で食事を共にした。毎年彼のカンパニー公演シーズンと重なってしまうことが多いのだが、多忙にも関わらずいつも観にかけつけてくれる。世界でもっとも多忙なクラシックバレエにおけるプロフェッショナルなのにかけつける。やはり一流は行動も素晴らしい。若かった頃、毎年夏にあった青山劇場バレエフェスティバルや札幌で行われたドリーム・オブ・ヤングダンサーズ公演に共に出演し、リハーサルでも本番直前でも食事している時でもいつもバレエ談義で熱く語り合っていた仲で、ロイヤルバレエ団を経て世界的なスターダムにのしあがっても途切れることなく、もう30年ぐらいずっと親交を続けさせてもらっている。今は若い頃と違い、彼は経営者としてビジネス界、また社交界でも幅広く活躍しているのに会う時は昔と変わらぬスタンスで話を合わせてくれる。この時の食事でも東京都知事に表敬訪問した時の話やローザンヌ国際バレエコンクールで審査員をした様子を話したと思ったら、「去年の充ちゃんの踊りさ、」とか「昔充ちゃんの部屋に泊まったようなぁ」と話がポンポンと多岐に渡って尽きない。こちらも彼のカンパニー創設以来20年にわたりほとんどの公演を観させてもらっているのでリアルタイムの話題も合い、最近久しぶりに彼自身が出演を果たしたクレオパトラも東京、大阪公演のどちらも観たのだが「全公演完売だったのにそんなことする友人はあんただけだ」と笑い飛ばしてくれたりもする。食事中では今回観にいけなくて申し訳ないと言い続けてくれたが、彼の会心作であるバレエ界話題の「蝶々夫人」再演を間近に控えた時のことである。彼の寛容さには感謝しかなく、人格の素晴らしさは益々進化するばかりである。今秋よりカンパニーはKバレエTOKYOとなり活動を新たにするが益々の発展を一バレエ人としても応援を続けたい。
 

◆2023年 6月

 5月19日堀内充バレエコレクションが無事に終演しました。出演者が一丸となって公演に向かい、また昔の劇団のように丁寧に公演告知しチケットを手売りして1階席が完売となり、私のバレエ界の恩師や先輩の先生、同志、教え子たちが多数かけつけて下さり、FAINALと銘打った舞台を多勢の方に見守られ感謝の念にたえません。今では大手の舞台公演では見られるようになったスタンディングオーベーションをいただき、盛大なカーテンコールとなりました。2019年公演までは振付に専念しながら、ここ数年仲間と共にふたたびダンサーとして踊る作品が増えたのは言うまでもなく本コラムで取り上げたとおり3年前から松山バレエ団全幕公演にジーグフリード役に出演、現役ダンサーとして再始動したからで、こうして4年間仲間たちと踊れたことは師である清水哲太郎先生のおかげです。今回ファイナル公演で清水哲太郎先生、森下洋子先生、そして松山バレエ団員がかけつけて下さり、見守られたことも喜びのひとつでした。
 父のもとユニークバレエシアターで活動しながら1991年より堀内充とフットライツダンサーズ、2003年より堀内充バレエプロジェクト公演、そして2013年より堀内充バレエコレクション公演と展開してまいりました。また次のライフステージで劇場の観客の皆さまとお会いすることを楽しみにしています

 なおもうひとつのライフワークである2001年度より務めている大阪芸術大学卒業舞踊公演・芸術監督は続けており、これからも舞踊学生と共に舞踊活動を展開し、今年度は今のところ堀内充版「カルメン」「白鳥の湖より湖畔の場」その他数作品を予定しており、こちらにもお越しくださること楽しみにしております。

◆2023年 4月

 ようやくコロナ禍が明けようとしている。まさか収束されるまでに3年も要するとは当時は思わなかった。思い起こせば3年前松山バレエ団の新白鳥の湖公演に向けてほぼ毎日バレエ団のレッスンとリハーサルに明け暮れていた日々が公演中止となり、街も鎮まりかえり、大学も新学期が延期され、ただ時だけが過ぎていったあの日、もう人生のなかで繰り返して欲しくない出来事である。しかし自分にとってバレエを手放すことなくずっと今日まで続けてこれたのは幸せで関わるすべての人たちに感謝の念は忘れてはならないことを肝に命じて過ごす今日この頃である。
 1月終わりに玉川大学芸術学部パフォーミングアーツ学科堀内バレエゼミの最終授業発表に続き、2月下旬には大阪芸術大学卒業舞踊公演を今年も無事に終えることが出来た。「ラプソディ・イン・ブルー」「アルルの女」「ウエスタン・シンフォニー」「フォーシーズンス」といった自作バレエ作品をラインナップに2日間にわたり大阪芸術大学芸術劇場で上演した。
 ふたつの大学で今年卒業となった22名の女子学生バレエダンサーの姿が脳裏から離れられないでいる。3月に卒業式を終え今頃どうしているのだろうかと思い巡らしてしまう。残念ながら社会、舞踊、バレエの世界は無情なところがほとんど。私と舞踊大学で過ごしたバレエ漬けの4年間を胸に頑張ってほしいと切に願っている。

 いよいよ11年間続けた堀内充バレエコレクション公演も5月にファイナルを迎えようとしている。まわりは今年で区切りとなることに驚きを隠せない方々が多く、心苦しくもありまたそんな想いを寄せてくださることに感謝の気持ちも抱き複雑な心境が続く。3月から本格的にリハーサルを始動させて大学新年度開始をはさみまもなく2ヶ月が過ぎようとしている。今回ラスト公演に自らが出演したいと申し出てくれた若者たちに特別な想いを持つ。自分から「出たい!」と意志を表すことはなかなか出来ないことだが恥ずかしいことではなく、むしろ称賛されるものである。小生もこんな今でもやりたいことを自ら打ち明ける素晴らしさを実感している。そんな想いから今回は出演者29名全員に男女お揃いプロダクションレオタード&タイツをYUMIKOの協力を得てプレゼントさせてもらった。「心をひとつに」なんて今どき恥ずかしいなんて思わず、「心身ひとつ!」となり公演最後まで全員がトップランナーとして走り抜ける覚悟で臨む所存です。

 愛するシェイクスピア「真夏の夜の夢」のラストシーンで妖精グッドフェローの一句を……
『今宵はこれにておやすみなさいまし。ご贔屓のおしるしにお手を拝借。いずれパックが舞台でお礼をいたします』
・・・妖精パックことグッドフェローはアメリカ、日本のバレエ団で演じた私の当たり役であったことは言うまでもありません。
 皆さまのお越しを心からお待ち申し上げます。

◆2023年 1月

 松山バレエ団創立75周年新春公演「ロミオとジュリエット」オールスタークライマックスフェスティバル・神奈川県民ホールが終演した。この日の本番のために昨年9月頃からバレエ団でレッスン、リハーサルを行い、10月と11月と回数を重ね、12月下旬からはほぼ毎日通い稽古に明け暮れた。松山バレエ団のロミオとジュリエットに出演したのは今回で2回目で、1年半前に渋谷LINE CUBE SHIBUYAで上演されて出演して以来で今回もロミオ役のひとりとして出演させていただいた。
 20年前にもロミオとジュリエット全幕に出演したことがあり、その時のジュリエット役は長くモスクワ・ロシアバレエ団で日本人プリンシパルダンサーとして活躍された千野真沙美さんで、現在は息子さん千野円句君がボリショイバレエ団のスターダンサーと聞く。振付は師である横井茂先生だった。その時忘れられないことは横井先生が「充、私のロミジュリの初演は森下洋子ちゃんと清水哲太郎君が踊ってくれたんだよ」と話してくれた言葉。今こうして清水哲太郎先生の薫陶を受け、森下洋子先生の相手役を務めさせていただいたことが何という縁なのだろうかと思わずにいられなかった。今頃天国にいる先生も微笑んでいるかもしれない。
 松山バレエ団の稽古は朝から夜までハードであったが、この素晴らしき瞬間を迎えるときめきもあって今回も心身充実したものであった。松山バレエ団の出演はこの3年間コロナ禍ながら5回目となったが清水先生はいつも温かくも厳しい稽古をつけて下さり、身体論から精神論に至るまでこの私に躾けて下さった。バレエ団のスタッフ、出演者仲間の方々もバックアップを惜しまずだからこそこの大役を踊れ、感謝の念にたえない。こうして新春にかけがえのない思い出をいただいた。ひとつ、舞台は厳しく辛いものだがやはりそれを乗り越えたあとのカーテンコールやレベランスは嬉しい。今回のカーテンコールの踊りでは尊敬する森下洋子先生をはじめ、先輩の鄭先生、同期のプリンシパルダンサーの山川晶子さん佐藤明美さんから後輩の男女若手ダンサーのなかにまじって円をつくりながら一緒にオッフェンバックの音楽を踊った瞬間は実に楽しかった。7名のジュリエットと5名のロミオがそれぞれ同じ衣裳をまといそれがまた愉快だったのだが、公演を見馴れた観客からは「やや?ひとり見慣れぬダンサーがいるぞ」ときっと思われていたのだろうなぁ。

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