堀内 充の時事放談

バレエダンサー・振付家・大学教授として活動を続ける堀内充の公演案内です。
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●2019年11月
9月の上旬に松山バレエ団関係者から連絡があり、総監督・清水哲太郎先生から「話がしたいのでバレエ団に来てほしい」というメッセージを授かり、その時は大阪に滞在していたため、新幹線で帰京し、東京駅に着くなりバレエ団事務局の方に車で迎えられ、そのまま東京・青山にある松山バレエ団に向かった。バレエ団本部に足を運ぶのは実に久しぶりであった。そしてバレエ団に到着すると清水哲太郎先生が満面の笑顔で出迎えて下さり、隣りには森下洋子先生もおられ、またバレエ団員が総勢で迎えていただいた。一体何故なぜこのような素敵な出来事があったのか。話しは長くなるので省かせていただき、結果を言うと2020年3月20日神奈川県民ホールで上演する「新白鳥の湖全幕」の王子ジーグフリード役に出演することになったのである。その後応接室でおふたりと関係者を交え1時間ほど話し合いを持ち、大変たいへん光栄な責務を受け、身の引き締まるどころから言葉に言い表せないほどの思いで家路に着いた。かつてこのコラムの2016年7月号に書かせていただいたのだか、自分のバレエ人生のなかでもっとも大切で憧れであった恩師以上の清水哲太郎先生とふたたび舞台づくりでご一緒することになったのである。ましてや尊敬するプリマバレリーナ森下洋子先生と踊らせて頂くことになるとは人生ひっくり返して掘り起こしても思っても見なかったことである。この大役を引き受けるまでの心境やこれから立ち向かう胸の内を明かすには原稿用紙100枚あっても足りないのでやめておくが、翌日から不退転の決意でトレーニングを始めたのは言うまでもない。その後連絡を取り合い、リハーサルは10月から始めることになった。
渋谷公会堂といえば著名音楽アーティストのコンサートで有名でまさに音楽の殿堂といっていいほどの劇場だ。昔の話しになるが、以前ホリプロミュージカルでご一緒した沢田研二さんのコンサートに出かけ、いつも渋谷公会堂で開いておられたので個人的にも馴染みがあった。そんなメジャーな渋谷公会堂だが、数年前に老朽化で建て壊され、新たに劇場として新築してオープンすることになり、バレエスクールが渋谷にある関係もあり家族が親しくさせていただいている渋谷区洋舞連盟の宮﨑裕子会長の招きで、劇場のこけら落としイヴェントに堀内充バレエプロジェクトとして「ジャズコンチェルト」を披露させていただく運びとなった。「ジャスコンチェルト」は5月公演で上演し、大好評を博したレパートリー作品で外部からの要請がとてもうれしく、それもこけら落とし公演のトリ演目(最後を飾る演目の通称)で、出演者たちもその栄えある任務に再集結して毎回熱っぽくリハーサルに取り組んでいた。
ところが、である。今年は大型台風来襲に多く見舞われ、この公演本番日にも大型台風19号が押し寄せる予報が相次ぎ、ついには交通網が計画運休で遮断されることになり、街が封鎖される関係でこのこけら落とし公演が中止となってしまった。前代未聞の出来事で唖然としてしまった。いちばん心の打撃を受けたのは踊ることを楽しみにしてくれた出演者たちである。こちらの責任ではないにしろ申し訳ない気持ちでいっぱいであった。そんな無念?を晴らすために本番当日出演者たちと集まり、渋谷公会堂入り口で惜しかった惜しかったと悔しまぎれに写真を撮り、その後渋谷道玄坂にあるバレエスクールのスタジオで打ち上げならぬ残念会を小宴させていただいた。ただ… 、誤解を招かないよう言わせてもらうがそこではやけくそになって騒いだのではなく、バレエの美徳のように美酒に酔いながら楽しく過ごさせていただきました。
あしからず。 -
●2019年10月
日本バレエ協会関東支部千葉地区という組織が主催するバレエコンサートが千葉・習志野文化ホールであり、振付したバレエ作品「グラズノフ・スイート」を上演させていただいた。本公演実行委員会から振付を委嘱されたときに、この作品を上演したいと申し入れ実現した。ロシア出身の作曲家アレクサンドル・グラズノフ音楽の「コンチェルトナンバー1」や「ライモンダよりグランアダージョ」をシンフォニックバレエとしてかつて大阪芸術大学舞踊コースで上演したものに、新たに「バレエの情景」より1曲を加え、20名のオーディションで選ばれた若手女性ダンサーとキャバリエ役の男性ダンサー冨川祐樹君を主軸に25分ほどに再構成し振付をした。リハーサルは6月から毎週日曜日に行われたが、毎年この公演ではさまざまな振付作品をコンサートのメインで上演してきたそうで、協会側のバックアップも固く、バレエミストレス(作品を振付助手として指導するスタッフをバレエではこう呼ぶ。女性の名称で男性の場合はバレエマスターという)が3名もついて下さり、いずれも優秀なバレエ教師の方々ばかりで、毎回きめ細かく指導していただき、作品もリハーサル回数を重ねるたびに仕上がり彼女たちの存在が心強くもあった。主役の男性ダンサーの冨川祐樹君もかつて新国立劇場バレエ団で踊っていた時の同僚で、フレデリック・アシュトン版シンデレラ全幕で当時ジェスターという名の道化役を踊らせてもらっていたが、その時彼は王子の友人役を踊っていた。とても純粋な性格で長身で正統派ダンスノーブル(男性バレエダンサーの形容詞で王子役に相応しい雰囲気を持つ意味合いがある)で、その後ファーストソリストに登りつめ、バレエ団の白鳥の湖全幕の王子まで務めた素敵なダンサーである。ちょうど彼はバレエ団を退団後この協会の千葉地区で役員をしていたこともあり、彼の持ち前のダンスノーブルさが、この作品のcavalier(バレエの男性役の名称、主に役柄として主役女性の相手役を指す)にぴったりでかつての先輩後輩の間柄を利用して?口説き落とした経緯があった。彼は今回リハーサルでは本番まで10数回あったのだが律儀に1回も休まずすべて参加してくれ、これまた振付家としてとても心強かった。
こうしてこの公演に向けて順風満帆に進んでいたのだが、本番間際の夏の終わりの9月上旬に台風15号が襲い千葉県一帯が巻き込まれ、首都圏も交通機関が珍しく計画運休しながらも大きな被害を受けた。一時ライフラインも遮断されたようで、今回出演者はみな千葉地区から集まっていたこともあり、ダンサーたちもこの時ばかりは心身ダメージを受けてしまいリハーサルでも何人かかけつけられず辛いものとなった。しかしそんな最中こそわれわれは矢面に立ち、バレエの力で本番をしっかり踊り、県民を励ます想いでメッセージを伝えようと呼びかけリハーサルを進めた。そんなひとつの想いが功を奏したのか作品が本番直前に息を吹き返し、より力強いものとなった。こうして9月23日に本番を迎え、この作品を上演することが出来た。本番は客席から見守らせていただいたが、観客もあの災害直後のこともあったからか、静かに息を呑むように皆見つめて下さり、またバレエダンサーたちも衣裳の上からのぞく肌からはたくさんの汗が美しい雫となって輝き、また満面の笑顔、ダイナミックな踊りで応え、終わった瞬間拍手喝采となりカーテンコールを受けていた。芸術に身を置く者として、災害を前にしたときこそ、われわれは立ち上がらなければならないという教訓を得ることが出来た貴重な体験でもあった。 -
●2019年7月
7月の中旬に大阪芸術大学でオープンキャンパスという進学説明会のなかで、舞踊コースによるバレエ作品の上演会が大学芸術劇場であった。作品は「ラ・バヤデールより宮殿の場」と「近つ飛鳥の恋物語より蛍の踊り」の2演目を上演した。「ラ・バヤデールより宮殿の場」はバレエ・ダクシオンはなく、音楽や情景をもとにシンフォニックバレエとして改訂振付したもので、今回で3回目の再演となったが大学2回生である出演者は今持てる力をすべてを発揮してくれたのではないか。これから秋に向けて個々の水準を高めてほしいと願っている。もうひとつの「“近つ飛鳥の恋物語”より蛍の踊り」は約10分の小品であったが、舞踊コース3回生15名はこちらも全力を尽くして踊ってくれたのが嬉しかった。なお、この作品はこの春永眠された演技演出コースを長年教授としてご尽力され、小生も先輩教員としてお世話になり、大学教育の模範を示していただいた宮村一幸教授に生前の感謝の意を込めてこの作品を捧げ上演をした。
5月公演後はこれまで時間に追われ出来なかった劇場鑑賞を一気に再開した。舞台における世界では人間関係がもっとも大切で、公演にかけつけていただいた恩師、先輩、仲間などに対して、今度はこちらが激励やお祝いにそれぞれの舞台にかけつけなければならない。5月公演を終えた公演終了翌日の6月1日からその鑑賞ラッシュは始まった。
①まずは公演期間中でありながら本番にかけつけてくれた親友のKバレエカンパニーの「シンデレラ」全幕を観に渋谷オーチャードホールに足を運んだ。この作品は何度も再演し、その度に観させてもらっているが、今やアミューズメントのみならず、映画、テレビ、舞台でディズニーは巨大産業として世界を席巻しているが、夢物語のクリエーションは決してディズニーだけのものではない。彼はたったひとりで巨大なディズニーに挑むような素晴らしいバレエをつくりあげている。たとえば彼のバレエではシンデレラが初めてお姫様に変身してお城に入っていく1幕最後の場面では、観客を背に奥にある城に向かって嬉しさを隠し切れずにスキップしながらルンルンしながら入っていくのだ。こんなにも乙女ごころを表したシーンは他にはないだろう。この場面に象徴されるようにディズニーを凌駕しようとする姿勢が東京のバレエファンの心を打つのだ。終演後は渋谷のカフェバーでこの日の舞台と前日の舞台をお互い感想を述べながら杯を上げ楽しく語りあえた。
その後鑑賞した公演をざっと挙げると…
②舞踊界の大先輩である篠原聖一さんによるバレエ公演「篠原聖一のバレエ・フォー・ライフ」、バレエの名花下村由理恵さんの踊りが断然に光った。③バレエ人生最愛の恩師、牧阿佐美バレヱ団「ラ・フィユ・マルガルテ」、ロマンティックバレエの名作、巨匠フレデリク・アシュトン版でバレエ団の得意とするレパートリー作品で完成度も高かった。
④昨年まで教員を務めていた京都バレエ専門学校の有馬えり子校長が芸術監督をされている京都バレエ団「カール・パケット引退公演ジゼル全幕」世界的ダンス・ノーブルの引退公演を目の当たりにし感銘を受けた。
⑤恩師のひとりである岡本佳津子バレエ協会会長が芸術監督を務めた井上バレエ団「シルビア全幕」、幻のロマンティックバレエの復刻を目指し、友人バレエダンサーでもあった石井竜一君が振付家として本格的デビューを果たした。重厚な作品であった。
⑥前出の親友が素晴らしい企画を立ち上げた海外で活躍する日本人ダンサーたちを集結させた「オーチャードバレエ・ガラパフォーマンス」、⑦同じく新国立劇場バレエ研修所・牧阿佐美所長が同じ企画で主催された「バレエ・アステラス」、どちらも今、海外で立派にプロフェッショナルダンサーとして活躍している面々が観れてこちらも彼らの存在や活躍ぶりを知るよい機会となった。なかでもハンブルグバレエ団プリンシパルダンサー菅井円加さんの踊りが魅力的であった。
⑧話題のブロードウェイミュージカル・劇団四季による「パリのアメリカ人」、主役を務めた男優はかつてバレエダンサーであった松島勇気君、活き活きとした踊りで観客を魅了、振付もアメリカンバレエ学校の後輩クリストファー・ウィールドンで高度な振付技法で作品の完成度も高かった。
⑨近年大阪で全幕バレエを演出・振付を手がけ、自分の関西のフランチャイズ的存在であるバレエ団のY.S.バレエカンパニー公演「ドンキホーテ全幕」、かつてアメリカ各地でバレエダンサーとして活躍した教え子である山本庸督君が演出・振付をし、自らもジプシーの場面で踊り、大車輪の活躍。同じく大学の教え子の高井香織も魅力的な踊りを披露してくれた。作品は3幕の結婚式の場面でバレエダクシオンではなく新たな舞踊シーンを挿入し独自色を示した。
ほかにバレエ発表会にも足を運び、先輩ダンサーでおられる鈴木直敏バレエスタジオ発表会.、堀内充バレエコレクション公演に多くの自身の教え子であるバレエダンサーを出演させていただいて舞台を支えて下さるバレエソフィア(大野輝美)サマーコンサート、そして昨年まで実に20年にわたり堀内充版バレエ・くるみ割人形全幕公演を宇都宮で上演し続けていただいた恩師でもある橋本陽子エコール・ド・バレエ発表会と続いた。
ざっとおよそ1ヶ月で鑑賞した舞踊を挙げたがこれらの舞台を観れたのも自身のバレエ公演に舞踊関係者の皆々がかけつけてくれたからで、その温情のお返しにただお礼を言うだけではなく、こちらも公演にかけつけることが大切なのである。舞台芸術は築き上げられた仲間の輪があるからこそ繁栄するのだ。お互い愛する舞踊芸術を披露しあい吟味し、また切磋琢磨して新たな創造に向かっていく。
仲間って素晴らしいな。 -
●2019年6月
5月公演も無事に終え(公演後記参照)勤める舞踊大学の合間をぬってパリへ久しぶりに行ってきた。5年ぶりとなる今回の目的はパリ・オペラ座バレエ公演の鑑賞。バレエダンサー時代にある芸術文化財団の紹介で出会い、その後舞踊活動を共にさせていただき親交を深めた海外在留の日本人女性舞踊家の青山眞理子さんがパリ・オペラ座バレエのバレエミストレスを務められ、彼女自身からその公演鑑賞に誘っていただいたのがきっかけ。仕事の関係上3日間の予定だったがほかに旧交を温めていたパリ在住のバレエの恩師との再会やバレエにまつわる史跡の探訪を目的に加え、6月の終わりに日本を出発した。
パリに到着後、久しぶりとあってワクワクしてたまらずメトロでオペラ座まで。ニューヨーク留学時代にサブウェイを毎日通学で使っていたものだが、パリのメトロもアットホームな感じでとても使い易い。ふつう観光はバス移動が主流だが今回の旅はツアーではなく単独行動なため自由にメトロを利用した。オペラ座駅に到着して地上に出ると目の前にドーンとオペラ座が待ち構える姿はやはり何度訪れてもファーストサイトは興奮する。思えばまだ15歳だった頃、ローザンヌ国際バレエコンクールの帰りに初めてパリを訪れ、スイスで出会ったスイス人画家の紹介で名匠フランス人バレエ教師ペレッティ先生と出会い、ローザンヌ出場祝いに自身が教えるパリオペラ座バレエ学校の男子バリエーションクラスに招かれ一緒にレッスンさせていただいた思い出深き場所でもある。当時からバレエ学校の男子生徒はグレーの上下のレオタードとタイツ姿でそれが印象に残っている。またオペラ座のバレエスタジオは舞台と同じ傾斜がある床だったのが衝撃的であった。それから2年後高校生の時にモスクワのボリショイバレエ学校でもレッスンした時も同じ傾斜のある稽古場で、当時はバレエのルーツを学ぶ貴重な経験を立て続けにさせていただいたものだった。
翌日はオペラ座鑑賞と舞踊家青山眞理子さんと旧交を温める夕食会の前に、かれこれ何度もパリに訪れながら一度も足を運べなかった憧れの芸術画家の街モンマルトルへ。始めは青く美しいジュテームの壁に寄り、その後荘厳な寺院へ廻り、そしてモンマルトル広場へ。広場に着くと画家が集まる広場とはここかというやはりワクワクした思いで踏み入れたが本当に画家が多くいた。ただ若い画家というわけではなく、年配者がほとんどで名もなき画家といった感じだった。広場をゆっくりと飾られている絵を眺めながらぐるりと周り、版画の男性から1点、年配の女性から葉書的なものを1枚購入した。その後劇団四季が上演した芝居「壁抜け男」のモチーフとなった彫刻を訪ね、さらに散歩を続けカンカンで有名なムーランルージュの劇場の前まで来た。中には入れなかったけれど、この舞台をモチーフにした「パリジェンヌたちの喜び」をバレエコレクション公演や大学舞踊コースで上演しただけにやっと来れてよかった。次回来たときは公演鑑賞までしたい。その後抜けがけにシテ島まで足を運びやはり歴史的建造物であるパリ市庁舎やノートルダム聖堂を散策した。火事で焼失してしまった姿が痛々しかった。しばらく歩きすぎてセーヌ川の辺りで腰を落としたが、若い頃に何度も鑑賞して名優ジーン・ケリーに憧れた映画「パリのアメリカ人」をひと休みしながら彷彿したりして楽しんだ。
そして夜に青山眞理子さんの住まいがあるマンションのペントハウスを訪れ、ご主人とイタリア人の友人も交え再会を果たし、楽しく夕食を共にした。眞理子さんご自身がお肉を用意して下さり、スペイン風で美味しかった。夕陽も綺麗だったけれど、その時はすでに夜10時。パリも日照時間が長い。モスクワ行ったときもあの時は日が長く、確か夜中まで陽が落ちなかった記憶がある。そんなホワイトナイトなひと時であった。
翌朝午前中からオペラ座へ向かった。裏口から観光客と入り、内部のロビーや大広間、ギャラリーを見学した。何度来てもただ美しい装飾にうっとりするばかり。一番美しい場所は何と言ってもロビーと大階段。オペラ座ダンサー全員が必ずシーズン始めに記念撮影を収めるところ。何度も訪れてはいるけれど、初めて写真に収めることができた。その後一旦外へ出て日本食街へ出向きお昼はサッポロ味噌ラーメンを。ニューヨーク留学時代でもよく学校帰りにタイムズスクエアにあるラーメン屋に寄って食べたもので、海外で日本食を食べるのもまた楽しみのひとつ。前回5年前もこの日本人街を訪れ寿司屋に入って夕食を食べたので懐かしくもあった。
そしていよいよこの旅の最大の目的である公演を鑑賞。眞理子さんの計らいで客席は何とオーケストラシートのど真ん中。これは嬉しい。今までいつもバルコニーや端で観ていたものだったからこんな間近で観られるとは。ニューヨークステートシアターではよくオーケストラシートで観たが、ここまでいい席で観れるとは思わなかった。世界的バレエ振付家マック・エッツ氏のバレエコレクションでトリプルビルと言われる3本立て。「カルメン」「アナザープレイス」そして「ボレロ」。興奮していたためかあっという間であった。一番印象深かったのはやはり自分でも振付したバレエ「カルメン」。大きな扇状の壁の舞台装置が印象的。具体性はないけれども主人公カルメンが上に上って煙草をふかしている姿が印象に残る。日本人バレエダンサーオニールハ菜さんもアンサンブルで出演していた。主役の男女のフィジカルでパワフルな踊りが忘れられない。独特のアームスが馴染みあるものばかりで、それは青山眞理子さん振付の神奈川県民ホールの芸術文化財団主催のオペラ・舞踊公演に出演した時に習ったパが多かったからでマック・エッツが長年芸術監督を務めていたスウェーデンにあるクルベーリバレエ団のプリンシパルダンサーとして踊っていた彼女のキャリアによるものだったのだ。その後ピナ・バウシュ率いるウッパタール舞踊団でも中心的ダンサーとしてキャリアを積み上げられた眞理子さんだが、自分の振付にも多大に影響を受けて、生かしていたことが間違えではなかったことが確認できた思いで嬉しく、あらためて彼女と出会えてよかったと感謝したい。ラヴェルの「ボレロ」は若手たちの踊りや装置美術の釣りものが興味深かったのだが、またマック・エッツのお兄さんが俳優として出演し、舞台装置であるお風呂のバスタブの中にバケツで水を入れる動作が何度も行われるのだが、今思うとそれに気を取られて純粋にダンサーたちの踊りを集中して鑑賞できなかったのが心残り。「アナザープレイス」の男女の踊りは深みがあり素晴らしい。この作品の前作はミハイル・バリシニコフが主演したものだが、その続編ともいえる本作も女性ダンサーが感傷的に演じ、年輩女性の支持を充分に得ただろうし、この作品はかなり奥義深かった。終演後眞理子さんがロビーで迎えてくれた。外へ出ると日差しが差し込んで暑いぐらいであったがオペラ座を囲むその街並みは美しい光景であった。
その後青山眞理子さんと別れ、今度は恩師のひとりであるパリ在住の舞踊家の工藤大弍先生ご夫妻と会い夕食を共にさせていただいた。今から30年以上前にやはりここパリで工藤先生と出会い、当時フランスで日本人バレエダンサーでいながらモーリス・ベジャールバレエ団やマルセイユ国立バレエ団で活躍していた真っ只中で忙しいなか、一緒にレッスンを受けていただいたり、レストランに連れて下さりカフェでご馳走になった思い出がある。その後振付家に転身され東京で自身のバレエ公演を青山劇場で行い、その時のご縁でダンサーとしても出演させていただいた。以来親交は続き、小生がパリを訪れるたびに時間を割いてお会いして下さり、夫人のピアニストのゆかりさんとともに今でもお付き合いが続いている。20年前にルーアン州立劇場に出演した時も、11年前に大阪芸術大学舞踊コースがルーブル美術館イヴェントに出演した時も観に駆けつけていただいた心温かな芸術家でおられる。今回も連絡すると快くお会いして下さり、とてもトラディショナルなフレンチスタイルのレストランへ連れて行っていただいた。メニューひとつひとつ夫人のゆかりさんが訳してくれてたくさん注文してご馳走になった。毎年夏に日本に里帰りしてはバレエ講習会を開き、ご自身のフランスのバレエスタジオに留学生を迎えたり教育者としても活動されていたのだが、惜しまれながら昨年を持って終了された。しかしまだまだ元気でバレエ活動されて欲しいと願いながら旧交を温めた素敵な夕食会だった。
パリ滞在最終日はルーブル美術館へまず出向いたが入場券を持ち合わせてなく足止めされてしまった。いつしかネットで予約しなければならなくなりそんなこといざ知らず、前述したここ美術館で大阪芸術大学舞踊コースを率いて日仏友好イベントに招かれ公演をした場所に懐かしみに降りたかったのだが、入れず残念であった。
その後大学教授として日頃バレエ史にも触れていることもあり、研究目的も兼ねて、旧パリ市民劇場やディアギレフ率いたバレエ・リュスの本拠地であったシャトレ座を訪れた。バレエ・リュスとはロシアバレエ団の意で、今から約100年前にロシアで活動していたバレエグループが、バレエロマンティックがすっかり廃れてしまったパリで、ストラヴィンスキーやプロコフィエフといった当時の現代気鋭の作曲家のバレエ作品を次々と上演をして席巻し、その斬新さにパリジァンたちをは圧倒されたのだった。その後バレエ人気は復活し、そんな歴史的な出来事が繰り広げられたその地に立つことが出来たことは、バレエに一生を捧げている者として意義深く感じずにはいられない。その後再びセーヌ川を渡ってドラクロワ美術館兼アトリエ跡まで迷いながら歩き、やっとたどり着き中に入って見ることが出来た。有名なジャンヌ・ダルクのフランス革命の絵を描き、ロマンティックバレエの思想に影響を与えた彼の側面に触れることが出来た。かなり歩き廻ったので足が棒のようになったが、最後のランチは近くのカフェに入って今日のランチなるものを頼んだ。トマトスープ状のプレートでスパイシーな味のもの。でも天気に恵まれてオープンカフェは気持ちよかった。
長くなってしまったが今回のパリ滞在は日本人として海外バレエ団で活躍されたパイオニア的存在でおられ、今なお海外に拠点を置かれている青山眞理子さんと工藤大弍先生にお会いできておふたりの出会いにあらためて感謝の気持ちを抱くとともに、尊敬の念が更に強くなったことを付け加えたい。今の若いアーティストたちはおふたりのようなパイオニアが存在していたからこそ、今日の日本のバレエの国際化があることを忘れてはならない。 -
●2019年5月
ようやく春らしく暖かくなってきた。日本は四季というものが持ち味なのに、温暖化などで気候の変化が激しすぎて残念である。昔5年間にわたり留学を終えて帰ってきた時は5月上旬で春を肌で感じ「やっぱり日本はいいな」とつくづく思い、春や秋があったからこそ芸術心が芽生えたのだなと実感したものだ。日本人の古き芸術心が失われて離れてしまわないか心配してしまうこの頃である。
まもなく堀内充バレエコレクション5月公演が開幕する。といってもわずか1日限りの公演なのだが、今年で7年目。スタートした時に中学1年生だった子が大学生になっていることになる。
この日のために2月下旬から3ヶ月、30回以上リハーサルを重ねた。5作品を上演するのでむしろ足りないぐらいかも知れないが、本拠として東京・西麻布にバレエスタジオを構えているおかげでリハーサルがスムーズに進行出来ている。出演者は男女50名を超え、1日に数作品稽古することもあり、入れ替わり立ち替わりダンサーたちが行き交い、活気に満ちていて嬉しい。この公演の本番に向けて出演者たちが自らが日々のリハーサルのなかで、その日のダメ出しや問題点を洗い出すようにチェックに余念がない。出演者たちはまるでカンパニーの団員、団友のようでクリエイティブな姿勢がうれしい。このスタジオから一歩外に出ればバレエダンサーたちは社会の中では社会人と言っても稀有な存在で、それぞれさまざまな壁にも当たってきているだろう。
昔、ニューヨークにいた時はやはり広い社会の中で孤独を感じたことが多かったが、バレエのなかに入るとみんながバレエを人生の礎とする者たちの集まりで、そんなコミニュティーの中にいられることが実に心地よく嬉しかった。当時ほとんどが白人で東洋人は私ひとりであったが、バレエというものがまるで教会のような世界でもあったのだ。こうして今も若いダンサーたちと共に時間を共有できること、そして公演ではそのコミニュティーが観客席までに広がって上演できる有り難さをしっかりと胸に刻み本番を迎えたい。
皆さまのお越しをお待ちしています。 -
●2019年4月
今年の東京の春は桜開花発表から寒さが冬のように戻り、なかなか暖かくならない。おかげで桜の花も長く咲き続け寒さは別として鑑賞にはよかった気がする。日頃都内の交通手段は自家用車が多く、自宅からバレエスタジオまでさまざまな処で桜の木々に出会うことができ、たまに廻り道してその美しい光景に酔いしいれた。昨年はたしか審査員を3日間務めたバレエコンクールの最中に満開し、そしてすぐさま春の嵐や大雨が吹き荒れ一瞬で散ってしまったので、見れずじまいだったので久しぶりにたくさん見れたのだった。
その開花する2週間ほど前の3月上旬に母が永眠した。12月下旬から体調を崩し救急車で運ばれ長く入院生活を余儀なくされ、それでも体調が回復して一旦は退院したのだが、その2週間後に体調が急変してしまい、ある明け方に息を引き取った。自分にとっては実母であり、またバレエを生まれてから最初に教わったのも母でもあり、母の存在なしには今の自分が進んでいる人生はなかった。こうして毎日バレエに携わり日々送っているのも母のおかげで流石に落胆は隠せなかった。しかし人間とは素晴らしいもので、親戚や父のバレエ団関係者はもとより、告別式には多くの自分自身の舞踊恩師や関係者、同輩後輩やまな弟子たちも顔を見せ悼んでくれた。そう、悲しんでばかりいられない。このコラムにもよく登場するバレエ界のスーパースターの親友までも自身のバレエカンパニーの新作バレエの制作の最中にかけつけてくれた。彼も30代で母親を亡くし「母親は生命線だよ」と悲しみを分かち合ってくれた。もうすぐ5月公演だがこの悲しみはリハーサル真っ只中に襲った。
今年の公演では5作品を並べ一挙上演する。今年もオーディションで選ばれた女性舞踊手が40名も集まってくれ、私の後輩やまな弟子たちの男性ダンサーを交え50数名で連日リハーサルを行っている。もう公演を開始してから7年目で今や出演者たちも自主性を持って臨んでくれ、振付しっぱなしでたまに声も張り上げ、またダンサーの力量を頼りに任せる愚かな振付家なのだが、そんなこともへっちゃらで(ダンサーは演技達者だから騙されているのかもしれないが)作品に挑んでくれるのが素晴らしい。そんな彼女たちにはダンサーファーストの振付家でありたいといつも心がけている。私の師と仰ぐジョージ・バランシンも彼が残した遺作は自分のまな弟子のために創られたものが多い。彼の作品には主役と思われる男女以外にも時として「なぜここにふたり女性が現れるのだろう」「この男性ソロは何だろう」と感じることが多々ある。それは実は全て自分のお気に入りのダンサーのために振付したパートなのである。「ここにふたりの女性の踊りが必要なのだ」などと考えることはまずない。残念ながら日本のバレエ団は既存の作品上演が多く、ダンサーファーストに考えた作品上演可能なところは少ない。前出の親友とはよくこの事を語り合う。これからも真の日本発のバレエ芸術の輩出に邁進していく。もうひとつ、冒頭に述べた美しい桜の花から今度の公演の新作バレエのタイトルを取った。あくまで西洋舞踊にこだわるので英語表記にしたのだが、小野小町の桜にまつわる名句のひとつで女性を謳ったもの。かつて母は東京銀座育ちということもあったからなのか若い頃からずっと元気だった最近までひとりで街を歩くのが好きであった。部屋を整理していたら書き残された日記が出てきて、そこにはいつも「今日は渋谷へ出かけた」「日比谷の映画館にひとりで入り…」などと綴ってあった。そうだったのか…。今も街には多くの女性たちが街に溢れ闊歩している。ある女性たちは話し楽しみながら、またある女性はどこか影を持ちうつむきながらそれぞれ想い思いに歩いている。そんな彼女たちを遠目に見ると母を重ねあわせずにいられない。昔の時代にタイムスリップしてそんな母の姿を名作バレエの薔薇の精のように追いかけてみたい…。
よし、芸術家としてこの主題を作品にして母に捧げよう・・・こう誓って愛するダンサーたちと作品に取り組みはじめました。
ぜひ皆さまのお越しをお待ちしています。「堀内 充 Ballet Collection 2019」
・・・2019年5月31日(金)18:30開演 めぐろパーシモンホール大ホール -
●2018年11月
11月に入ってすぐに自分にとってのバレエの母国アメリカへ久しぶりに渡った。それもわずか3日間週末だけだったが、双子の兄が芸術監督を務めるミズーリ州セントルイスバレエ団秋のバレエ公演「ロミオとジュリエット」を観るのが目的であった。兄が演出振付したこのグランドバレエをどうしても観たかったのだ。フライトが到着したその日の夜がちょうど公演初日であった。劇場はセントルイス大学のキャンパスに隣接するトウヒルパフォーミングアーツセンター大ホールで、ロビー、客席とも現代的絢爛さでニューヨークシティバレエ団の本拠地ニューヨーク州立劇場と同じ建築デザイナーによって建立されたと聞きそれもうなづける美しさである。
アメリカではソワレ公演はどの都市でも夜8時からが一般的で日本に比べかなり遅い。国民的行事であるくるみ割り人形公演シーズンで家族鑑賞が多い演目でさえ夜7時半開始である。これはオペラ、演奏会、あるいはベースボールのメジャーリーグでも同じで、日本のプロ野球は6時、アメリカは夜8時にプレーボールとなる。ニューヨークでのバレエ、オペラ鑑賞に余念がなかったバレエ学生時代、オペラは特に上演時間が長く終演が12時前だったこともあった。しかし当時はニューヨークは不夜城と呼ばれ、マンハッタンの地下鉄とバスは24時間運行で貧乏学生でもアパートへ帰れたのである。
堀内元版ロミオとジュリエットは彼自身による日本公演の演目ではシンフォニックバレエがほとんどで、それだけに彼のドラマティックバレエの展開は興味深かった。彼の振付では戯曲の根幹である主人公のふたりのドラマにかなり絞っており、それがより悲劇性を帯びている印象を受けた。よってティボルト、マキューシオやベンボリオといったふたりを取り巻く登場人物のクローズアップは他の振付バージョンより少なめで、その分ふたりの愛のかたちをより深く見せている。もうひとつの目的であったバレエ団きっての看板女性ダンサーである日系人でもある森ティファニーがジュリエット役を3回公演中2回務め、実に素晴らしい踊り、演技をみせた。日本公演でも今や彼女はおなじみだが、やはり全幕バレエで観るとこちらも満足感が違い、彼女の魅力を堪能できた。バレエ団公演でも彼女が出演する回はチケットの売り上げもいいそうだ。終演後のカーテンコールもスタンディングオーベーションを受けていた。
またバレエ団員たちの踊りを観ることも久しぶりで、随分前に兄の計らいでカンパニークラスを一度担当させてもらったことがあり、今となっては貴重な思い出となっているが、その時のダンサーはほとんどすでにいなくて新しいメンバーとなっていた。しかし今回は劇場で行われたカンパニーレッスンクラスも拝見させていただいたが、特に印象深かったのが、カンパニー全員が芸術監督に忠実で、バレエのパひとつひとつ、一挙手一投足みんな同じようにこなしていたことだ。バレエ団のカラーとはまさにこのことで、主要ソリストから若いダンサーに至るまでホリウチメソッドどおりに踊っていることに感心した。本来のバレエ団とはまさにこの姿を指すのだろう。近年日本国内でもバレエ団が次々と立ち上げられているが、この理想の姿をぜひ学んでほしい。それにしてもアメリカのバレエ団とはいえボスの芸術監督は日本人である。7、8年ほど前にNHKが彼を追ってドキュメンタリー番組を放送してくれたが、今の姿もまた日本に紹介してもらいたいものだ。
こうして3日間連続して毎回兄と隣り合わせで着席し鑑賞させてもらった。久しぶりにアメリカの空気を吸ったが、初めて訪れた時が父親に連れられた14歳のとき。当時いちばんおどろいたのが食べるもの飲み物着るものすべてが大きいところ。人生初めてアメリカのコーヒーショップで注文したのがオレンジジュースで、カウンターテーブルにどかんと実に大きなコップで置かれ、また果汁200%はあるのではと感じるぐらいの濃厚さでこの日本人少年はあまりの量の多さと濃さに最後まで飲みきれなかった思い出がある。
今回帰国の途に着くためひとりでセントルイス空港で朝8時発のシカゴ行きを待っていたところ、突然午後2時に延期に。「えっ!」こちらはシカゴに行ってそこから午前10時発の日本航空成田行きに乗らなくてはならずしばらく途方にくれた。しかし翌日から大学の教え子たちの授業がひしめき、臨時休講となり彼女たちをプンプン怒らせないためにも帰国を遅らすことは避けたい。「よし!」と久しぶりに英語でぶちまけるしかないと意を決してアメリカン航空のカウンターに尋ねに行くと、次々と指示され預けた手荷物を戻され、ふたたび向かった出発ターミナルの航空カウンターで対応してくれた女性が「Oh hhn..OK.」とカチャカチャPCをたたきだし、その後「これからダラス(テキサス州にある)に行きなさい!そこからアメリカン航空の成田行きが30分後に出発するからそれに急いで乗るのよ」と言ってポンとチケットを渡され、お尻をたたくようにゲートへ向かわされた。その間わずか5分程度。どうしてくれるっと意気込んだはずがあまりの早い展開に呆気に取られてしまった。もちろん航空代はタダ。この大胆さというか気持ちのデカさというのかこれもまたアメリカならではなのである。
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●2018年10月
季節外れの台風が続く。ここ近年の兆候なので覚悟というかあきれてきたというのかいつの間にか慣れてきたが、やはり東西の移動時にまんまと台風の進路にあたるとやきもきするものだ。10月にまたもや台風がやってきて朝早く京都へ向かう際も7時前から東京駅で40分ほど新幹線運転再開まで待たされた。バレエ専門学校が10時半から授業があるのだが、ところがそんな心配をよそに数時間後京都に着くやいなや遅刻してなるものかとかけつけたら京都の空や専門学校生の顔も晴れ晴れとして「あれ、あの嵐は一体どこへ?」と拍子抜けしてしまった。だがこのように期待外れな台風もまたしょっちゅうなのである。でももちろん災害は恐ろしく安全だったことには感謝している。
そんな天候が続くからか、美しい夜空に出会えると江戸紫を思わせる紺色の透明感にしいれる。仕事を終えた夜、大阪へ向かう飛行機の窓からもすぐそこにいる星や月にも出くわす。先日大学の図書館で美術に関するコラムを読んでいたらピエール・モンドリアンの「海」という絵に出会った。この絵は卵型の円形のかたちをした縦と横の線状に描いたキュピズムなのだが、副題に〈星空と海〉とつけられ、海と星の融合が描かれてあり、絵そのもののインパクトだけでなく、モンドリアン自身の創造力にも惹かれた。あのデザイン画のような手法を展開してきた彼が海を自身のボキャブラリーで表現しようとする意欲がかっこいい。先月の演奏会でもドビュッシーの「海」を聴いたがこの音楽もまた旋律はドビュッシー自身の色彩に溢れていた。芸術家の先人たちである音楽家や画家はみな独自の表現方法で”海”を描いてきた。よし、舞踊家である自分もこのタイムリーで旬なテーマに挑んでみようとひらめいたのはいうまでもない。自身の舞踊言語のみを拠りどころにし、星、海をそれぞれダンサーを分類し融合をさせようと…。
つねに自分の公演や大学、振付依頼されている舞台などさまざまなところで振付出品する機会を当たられて芸術家としてありがたいのだが、今回このテーマに挑む発表の場は母校の玉川大学芸術学部パフォーミングアーツ学科舞踊公演に定めた。こちらもありがたく毎年作品を4年生の学生たちに交じって振付させてもらって今年で10年目。このコラムでもたびたび登場する公演だが早速取りかかった。しかし玉川大学には今年度は大学の年度後半にあたる秋学期のみの出講でもあり、今回のいちばんの心配事が出演ダンサーであった。何しろ大学スポーツ同様大学バレエは、プロカンパニーと違い、いくら手塩かけて教育しても長くても4年しかいてくれず卒業してしまう。ましてや過去3年間、2年生のときから主力として踊ってくれた昨年の4年生が6名ごっそり卒業してしまって自身の弟子にあたるバレエゼミ生も今年は3名のみ。春学期も不在で、3年生以下ほとんど会ってもなく果たして人数すら集まるのだろうかと心配していたが、大学内でダンサーオーディションをしたところ何と29名が集まり、そのうちに16名が出演することになった。それでも3分の2ほどが堀内作品初めてという者ばかり…。しかししかし、蓋を開けてみるとそんな心配はどこへやらレッスン、リハーサルが始まると16名の女子学生ダンサーたちは見事な静粛さと忠実さを持って振付に挑み稽古に励んでくれた。これは舞踊芸術の素晴らしいところで、昨年までの卒業生たちの軌跡をしっかりとたった3名のバレエゼミ生がこのキャスティングメンバーに継承し統率してくれているのだ。古典芸術に触れる者はその芸術に嗜むだけでなく、次の世代に継承もしなければならないという役割を背負っている。だからメソッドやセオリーに常に忠誠し勝手な解釈を加えてはならないのだ。この大学舞踊でも社会に比べかなりの縮図ではあるが先輩から後輩へのバトンタッチがなされ、これがとても大切なことで、これはもちろん主任を務める大阪芸術大学舞踊コースでも行われている。こうして作品振付と同時に衣裳デザインと製作、装置デザイン、照明デザイン、音響編集操作のいずれも玉川大学生の各メンバーが加わり私の周りをずらりと囲み、リハーサルが進行した。そう、お気づきと思うが舞踊作品は振付家ひとりで作るのではなく、さまざまな者が集まり、知性を発揮して造られていくのである。
”舞踊芸術って素敵だ”
玉川大学芸術学部卒業プロジェクト舞踊公演「Splendid One~それぞれの物語」
・・・2018年11月28日(水)~12月1日(土)18:30開演 12月2日(日)13:00開演
玉川大学3号館演劇スタジオ(小田急線玉川学園前駅下車徒歩10分)
入場無料(要予約)お問い合わせtel:0427-39-8092
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●2018年9月
劇団四季の浅利慶太先生が亡くなられた。演劇・ミュージカル界で多大な功績を残し、社会に好影響を与えた演出家・プロデューサーでおられた方だった。彼は演劇人でありながら実は舞踊界でも大きな貢献をされた。30年以上前だがご存知のとおりコーラスラインやCATS、オペラ座の怪人など米国ブロードウェイミュージカルを次々と輸入、日本上演を果たしたのだか、それらの作品で実に多くのバレエダンサーをオーディションをとおして起用していただいたことを特筆したい。当時はまだ新国立劇場バレエ団や人気のKバレエカンパニーが誕生前で、バレエダンサーが舞台出演の収入を得て生活するなどとても出来なかった時代のミュージカル劇団ではあったが、それを実現させてくれたのだ。当時同世代のダンサーたちが次々と入団して活躍していく画期的な姿を目の当たりにした。彼自身も舞踊芸術を愛し、バレエの美しさを熟知し、当時から全劇団員に毎日バレエのレッスンを必須の日課としていたのは有名でそれは彼が劇団を勇退した今でも変わらないと聞く。自分自身このコラムでよく記述してきたように様々なミュージカルにも出演、振付してきたが劇団四季と直接関わることはなかった。しかし浅利慶太先生とは親交があった。
20代半ばの頃ある日電話がかかってきて「充君、一度劇団に見学に来ないか」と誘われ、こちらは恐縮しながらも喜んで足を運び、劇団の稽古場を案内させてもらったり稽古を見学させてもらった。当時の看板スターであった野村玲子さんや加藤敬二さん、八重沢真美さんたちを前に真剣な眼差しでリハーサルに臨んでいた姿を今でも思い出す。その後先生の代表室に通され熱く舞台について長く語っていただき、その後も交流が続き、劇団のミュージカル公演をいくつも招待いただき、その都度観賞し、また赤坂や六本木の料亭の酒席にも招いてもらって演劇、舞踊談義に話しが盛り上がった。同席していた双子の兄とふたりに向かって「いつか一緒に舞台づくりをやろうじゃないか」と握手を交わしたりもした。その後兄の元は劇団にゲストで招かれCATSに出演し約束は果たされたが、私は時間的な折り合いがつかずついに実現しなかった。いちばんの心残りは30代後半にやはり秘書をとおして連絡があり「充君にぜひミュージカル『アンデルセン』のニールス役を」というオファーだった。私は飛び上がって喜んだのだか、その時すでに大阪芸術大学助教授という要職にあり、ロングラン上演という長期出演は不可能で、泣く泣く辞退したことであった。もうかなり前のことで、今となってあの時大学側に無理を言ってゴリ押しで出演できたのではと後悔している。なぜなら今の上司である大学学科長は元劇団四季の名優浜畑賢吉先生で、彼は今も舞台出演に忙しく講義を休んで活躍されているのだから。いいな…でも小生は器用ではないから大谷選手のように両刀は難しく、稽古に集中しなくて浅利先生に怒鳴られてクビになったかもしれない。出れなくてよかったのだ。きっと…。
大阪芸術大学第42期卒業制作舞踊公演が行われます。19名の女子学生たちが4年間の集大成を彩ります。皆様のお越しをお待ちしています。
・・・2018年10月31日(水)15:30開演 大阪芸術大学芸術劇場(お問い合わせtel:0721-93-3781) -
●2018年8月
酷暑が続くがこちらは劇場やバレエスタジオにいることが多く、また東西の往復で乗り物にいる時間が長く、むしろ効きすぎる日本の冷房対策で逆に身体や脚を冷やさないように注意ばかりしている気がする。いくら暑くなっても長袖やひざ掛けとなるハンカチなどは必需品で、出かけた時にそれらを忘れたら「しまった!風邪ひくかもしれない」「足や肩が冷えて硬くなるかもしれない…」など季節外れなことを考える羽目になる。エアコンほどわれわれダンサーにとって怖いものはなく、かと言って外気は40度近くなったりで、変な季節になったものである。
今年の夏はそんな真夏の日々にうってつけの全幕バレエ「真夏の夜の夢」堀内版を大阪で、また横浜と福井でそれぞれ全く真逆な季節はずれの全幕バレエ「くるみ割り人形」堀内版を上演させていただいた。「真夏の夜の夢」は以前もこのコラムに書かせてもらったY.Sバレエカンパニーの年1回の自主公演で7年ぶりの再演となり、関西でもっともバレエ公演にふさわしいNHK大阪ホールで上演させていただけたのが嬉しい。ここは名のとおり言わば公共的なホールでこの劇場で舞台公演するのも誰でも出来るわけではなく、それなりのステータスを持つものでないと劇場側の許可がおりないと聞く。この創立11年の若いバレエ団がここで創立2年目から10年間上演を続けられるのは実力を持つ証しでもあり、関わってきた者として喜ばしい。今回も私の教え子である山本庸督、高井香織のともにアメリカバレエ出身のふたりが主人公のオベロン、タイターニアを演じ、他にもたくさんの私が教鞭を執る舞踊大学卒業生、在校生が出演してくれた。また2つの都市でわずか4日違いで自分の全幕バレエが上演されるとは自分が振付をして30年経つがまさか始めた頃は夢にも思わなかった。どちらも親交ある舞踊家でおられる横浜在住の木村公香先生、そして福井在住の前田美智先生が主催された舞台に招聘され感謝の気持ちでいっぱいである。福井は前田美智バレエ教室自主公演で東京や大阪のプロフェッショナルダンサーを含め100名近い出演者が集まり、ほぼ満席の観客が集まって下さり、これも前田美智先生のバレエに対する熱意に他ならない。越前文化センター大ホールというところで2009年、2014年に続き3回目の上演となり、この公演でも教え子の前田朱加里が2幕の華である金平糖の精を務め、盛況なうちに幕は下り翌日に公演記事として地元福井新聞の社会面に報道、掲載された。
横浜の木村公香先生はご存知のとおり、東京バレエ団芸術監督を務めらている斎藤友佳理さんのご母堂でおられ、日本バレエ協会の役員など歴任された日本のバレエ界の中でもロシアバレエに精通しておられるトップでもある。そんな木村先生から「充さん、ぜひ全幕を私のアトリエで上演していただけませんか」とお声がけいただいた。自分のバレエスタイルはアメリカンスタイルで国内ロシアバレエの聖地とも言える木村公香アトリエ・ドゥ・バレエでくるみ割り人形をさせていただくのはこちらもかなり恐縮したが、公香先生は「遠慮なさらずに充さんの思う通りにして下さい」というお言葉をいただき気持ちが楽になった。本番は鎌倉芸術館大ホールで上演し、こちらも満席に近い観客の方々に観賞いただき、斎藤友佳理さんもバレエ団の多忙のなか駆けつけていただいた。
今夏の後半は2つのバレエコンクール計8日間にわたり審査員に明け暮れたが、そんななか残暑厳しい大阪で大学のリハーサルの帰りに清涼剤?を求めて大好きなフェスティバルホールに足を運び演奏会へ聴きに出掛けた。この日は読売交響楽団の定期演奏会で演目はチャイコフスキー・ヴァイオリン協奏曲、ドビュッシー・交響曲〈海〉、そして名曲ラヴェル・ボレロだった。職業柄というか、芸術大学に勤めるとあって音楽家やオーケストラと関わりが多く、オペラや演奏会のなかの舞踊シーンの振付や演出も多く、そんな親しみから時間があると「そうだ!演奏会に行こう」となる。しかしここ関西はクラシック音楽ファンが多く、演奏会もいつも満員で慣れてはいるが三階席しか残っていないなんてことはしょっちゅうである。しかしこの日はひとりということもあり、運よく1階席の前から10列目を手に入れられた。ちょうど2日前に台風21号が関西に上陸して暴風に襲われ、大阪は大きな被害を受け演奏会開催も危ぶまれたが、何とか鉄道は復旧し予定どおり開演にこぎつけた。今日の指揮者はフランス人ジョセフ・バスティアン。普段マエストロは壇上に上がり、観客席へ一礼して楽団側に向かうと一瞬深呼吸したり、間をあけてタクトを振り上げて演奏が始まるものだか、彼は一礼後振り向くとすぐさまタクトを振り演奏を開始した。その姿は一刻も早く演奏したくて仕方ない少年といった姿にも映る。そんな展開となるとはこちらも意外であったが、演奏は実に力強く、スピーディーなものであった。この日の注目でもあったのがヴァイオリ二スト神尾真由子の演奏で、名門チャイコフスキーコンクールの覇者で現在人気実力とも世界的にトップクラスの女性で、彼女の人気でこの日のチケットは売れていたといっても過言ではあるまい。彼女はヴァイオリン協奏曲を演奏したが実に繊細ながら正確な音色で音質も深くボリュームを感じさ見事であった。演奏後のカーテンコールも4回を数え聴衆を魅了した。そして何と言っても最後の演目「ボレロ」は演奏会では鉄板のトリ演目。バレエファンでもベジャール作品のボレロは一度は必ず観ているだろう。私も同世代アーティストで友人でもある男性バレエダンサーかつての東京バレエ団プリンシパル高岸直樹君の名演に2度も触れている。この音楽の特徴は木管楽器、弦楽器、打楽器とゆっくり加わりながら盛り上がって演奏されていくスタイルにある。とくに弦楽奏者がはじめ素手でギターのように静かに奏で、そして徐々にひとりずつ弓を持ち、演奏していく姿が実に舞踊的でかっこいいのである。そしてあの名曲のしらべの大団円となり、最後はやはり拍手の嵐となった。大阪はこのところ大きな地震や暴風で災害に見舞われ、まさに大阪市民が復旧に向けた気持ちがこの演奏と重なり感動的で、このように沈んだ気持ちになったときこそ芸術は力になるものだと感じた瞬間でもあった。
帰りは行きつけの大阪名物の串焼き屋でひとりカウンターで悦に浸りながら杯を上げたのであった…。でも実はインターミッション(休憩時間)でもシャンパンをこっそり飲んでいたっけ。フェスティバルホールのロビーは西洋風な内装で美しくもあり口にする飲みものも美味しい。ぜひ一度こちらもご堪能下さい。専門分野の舞踊公演とは違い、ついついリラックスしてしまうなぁ。